歳時記:葉月の項

一日

当直明。救急転送などあってそれなりに忙しい一夜。
午前中に外来研修。ぼちぼち慣れてきた感もあるけれど、「どこまでやって次回につなぐか」を決めるのが難しい。今日は二人ほど、以前に診た患者さんも受診していてその人も診察した。
午後には指導医の先生の外来に以前受け持って退院した人が受診していたので呼んでもらう。ちょっと心不全の再発傾向があり、帰してよいものか悩む。帰した当夜に呼吸苦で来院、なんてケースも少なからずあるだけに。

「ほしのこえ」(大場惑著/新海誠原作/MF文庫)読了。30分弱のアニメーションの世界では言葉にならなかった部分も含めて、より鮮やかな世界を描き出しているような気がする。特に、世界背景の部分や登場人物の心情の部分で。
作中でいちばん好きなのは、と聞かれたら、「背、伸びたな」と言われたときの美加子の返事、だろうか。

二日

朝よりカテ。でもこの日は一件のみで、その後胸腔穿刺など。
午後はペースメーカーの手術にはいる。受け持った患者さんでペースメーカーを入れるのは三人目。ちょっと多いかも。

最近、諸般の事情がありWebで海外のホテルなどを検索している。──これだけ情報があるとは思わなかったというのが正直なところ。英語が読めれば、下手なガイドブックを買うよりよっぽどいろいろな情報が入ると思う。

三日

今日は出勤日ということではないので少し朝寝坊しようかと思っていた。しかし7時過ぎに電話が鳴る。受持患者がクモ膜下出血を起こしたとのこと。当院では脳外科手術は難しいので、急いで他院に転送となった。
血圧が高目で推移していて、もしこれを何とかできていれば....と思っても、後の祭りではあるのだが。

午後歯科を受診、親知らずを抜歯する。曲がって生えてきていて、痛みはないものの虫歯の原因になっているということで抜歯と相成った。かなりの覚悟を決めていたのだが....思ったほど痛みはなかった。抜いた後も仕事を片づけ、飲み会にまで行ってしまった(さすがに酒は飲まずにソフトドリンクオンリーだったが)

四日

受持の患者に90代のおばあさんがいる。足が動かなくてベッド上の生活なのだけれど、頭の方はいたって達者。少しずつよくなってきて何とか食事も始めた。血管が細くて点滴が入りづらく、何とか早めに点滴を外してあげようと、朝から出勤して診察。食事を増やすめどを立てていたりした。
その後帰って昼寝して、夕方から当直。

五日

比較的穏やかな夜。最近いろいろ起きることが多かったので少しほっとしたり。

えーと、この日は何したっけ(爆) さしたるイベントもなしに終わった気が.....。あ、夜は研修委員会だったか。

六日

原爆忌。(この言葉が登録されているEGBridgeっていったい....)

午前救急外来。この日は比較的患者様が多数来院。一人困ったのは薬物中毒。前夜に薬を多めにのみ、翌朝になっても起きてこないということで来たのだが、状態が安定しているなら点滴を多量にかけて尿から流し出すしかない。起こしてもすぐ寝てしまうのでそうしておいて午後の先生に引き継いだのだが...後で聞いたら目が覚めてくるとあれやこれやとうるさく注文を出し始め、応えてくれないとみるや「こんなところにはいたくない」とお帰りになられたとの由。もともと精神疾患で薬をもらっているとのことなのでそういうキャラクターの人なのかもしれないけれど、自分だったら対応できたかなと振り返ってみたりする。

七日

午前中運動負荷検査。この日は8人....かな。
静脈ラインとりに苦労するのは相変わらずなのだけれど、少しやり方がわかってきた気がする(というか、教えてもらったポイントをきちんと押さえられるようになってきた気がする)
それでも何だかやけに時間がかかってしまった。

夜、研修医ケースカンファレンス。発表者は自分。よくわからない症例を持っていって、みんなで一緒に悩んでもらった。

八日

午前、患者さんをある程度回ってから外来研修。
見た目でわかるような黄疸の人がきて、入院を勧めたのだけれども断られてしまう。──どうすればよかったのか、と悩む一例。

九日

原爆忌の朝は病院で迎えた。当直明。
この日は心臓カテーテル検査なしの金曜日。自分の患者だけ診ているならたっぷりと時間があるなと感じることしきり。血液ガスの採血やら診察やら新患の診察やらこなしても、3時過ぎには一通り仕事が終わってしまった。
でもそれで仕事が終わるわけでなく、サマリやら何やらこなすべき仕事は山ほどあって。はふ。

十日

すこうし朝寝過ごす。土曜日だから....と言い訳。

歯医者に行った後、書店に行く。久しぶりの感じでリフレッシュ。既に有明で開催されている聖戦への参戦(謎爆)はあきらめたので、せめてもというところか。「キノの旅VI」と「まんがサイエンス」を買って帰った。

十一日

暑い。普段は冷房が程よく効いた病院内にいるからわからないけれど。
少し家の片づけをして、外回りの買い物とか。その後で病院へ行って、資料整理。

「キノの旅VI」(時雨沢恵一/電撃文庫)と「まんがサイエンス」(あさりよしとお/学研ノーラコミックス)読了。キノの旅は割と味があって好きなシリーズなのだけれど.....この作者の他の作品も読んでみたいと思ったりする。「アリソン」がわりと好きなお話だっただけに。

十二日

テレビの主役は夏の甲子園。病棟の談話室のテレビも野球中継のことが多い。わたし自身は残念ながら見入っている時間はなくて、翌日の新聞で結果を知るだけなのだけれど。
高校時代、という限られた三年間しかこの舞台に立つチャンスはなくて、しかもこの晴れ舞台にたつためには同じ夢を持つ相手をすべて蹴散らしていかなければならない。たったの一度も負けないで残ったチームだけが晴れ舞台に立ち──そして、舞台により長く立ち続けるためにはただ一つ、勝ち続けなければならないというのが夏の甲子園大会のしくみ。
やり直しのきかないこのシステムの是非はいろいろあるだろうけれど、少なくともそういう仕組みゆえに生まれた数々のドラマがあって、それが人を感動させたりしているのだろう。
個人的には、敗戦の後の物語が気になってみたりはするけれど。

十三日

‥‥最近の妙な余裕は何だろうとふと考えてしまったりする。夏休みモードで検査が少ないせいだろうか、それとも循環器疾患の患者が少ないせいだろうか(爆)。肺炎に胸水に痛風に脳梗塞ときたものだ。

集英社の"YOU & Super JUMP"増刊掲載「チャールズ・リンドバーグ・グレイブ」(さだまさし原作/あおきてつお漫画)読了。元歌は「リンドバーグの墓」(アルバム"夢回帰線II"収録)。歌の雰囲気をそのままに物語にした感じの優しいお話。

十四日

二ヶ月経ったところでの研修振り返り。──わりと好評価だったのだけれど自分としてはあまり実感がなく。呆れられていないことを祈るのみ。
高校時代に部活の指導の先生から「厳しい要求をするのは、できると思っているから」と言われたことがある。期待の裏返しとしての厳しい指導がなくなってしまえば、進歩はないだろうなと思う。

十五日

ポツダム宣言受諾の日。いろいろな意味付けがあるだろうけれども、少なくとも二度と戦わない、二度と武力を用いないという思いを新たにする日にしたいなとは思う。

ふと思いだして「寺田寅彦随筆集」(岩波文庫)など本棚から引っ張り出してみる。明治-大正期の知識人がどんなことを考えていたのか、と見てみれば、そこかしこに現代に通じる言葉があって面白い。

同期が喘息発作ということで、急に当直を変わることに。医者も人間なので、こういうことに目くじらを立てていても仕方がない。これまで病欠したことはあまりないのだけれど、それは別にわたしが頑健な体の持ち主だからではなくて、疲れていたら何はさておききっちり寝てしまう人間だから、だと思っている。
医者の不摂生は意外とある。何しろ、不規則な生活だ。だからこそ、きっちりとリズムをつくっていかないと仕事ができないという側面がある。

十六日

朝よりカテ。‥‥そのまえに、静脈留置針を刺しに行く。これまで毎週水曜日にやっていたのだけれど、こういうものは数をこなさなければということで、回数を増やすことにした次第。3回刺して、2回成功。
基礎技術として静脈路の確保というのは結構大事なのだけれど、普段は看護婦さんがやっているということもあって、やらないで済ませていたつけを払っている形。少しは成長してきたと自分でも思うので、以前よりは気楽に患者さんのところに行けるようになっている。

今日のカテーテル検査は医学生の実習生と、臨床検査学生の実習生とがきていてかなり混雑。説明役などやらされていた。

十七日

土曜日。朝より救急当番だったが、喘息の人と尿閉の人と各一人ずつのみ。
この尿閉という奴、以前にも書いたけれども救急には時折来る。非常に苦しい状態なのだが多くはチューブ一本で楽になるということで、患者さんにはありがたがられることしきり。
でも、尿閉が気づかれないままに放置されていると、腎不全にまで至ることがあって、怖い病気でもある。

午後には歯医者に行って帰る。何だか最近余裕が出てきて、逆に怖い。

十八日

まったりと起きる。近所では氏神様のお祭りとかで、お神輿の音が聞こえた。
ごそごそと部屋の片づけをして、掃除機をかけてみたり不用品を捨ててみたり。結構しまい込むたちなので、あれこれと不要な品が出てくる。思い切って処分していくのだが....本だけは捨てられないという因果な性分であったりする。

二十日

午前救急外来。──混雑する。結局午前中めいっぱい張り付きとなってしまった。

食事を掻込んで戻ると看護婦さんとのカンファレンスで、その後患者さんの家族と話したりなんだりしているとあっという間に時間が過ぎる。うぐぅ。
それでも終わって書き物する時間が少しはあったりするから....まぁよいか。

二十一日

朝から運動負荷検査。この日は6人いた患者さんの全員に一撃で静脈留置針を挿入。なんだか努力が報われた感じで嬉しい。

こそこそとiBook UNIX化計画を発動中。まずはX window systemのインストール。ソースをとってきてmakeが一発で通るのに感動。あっさりとインストールできてしまった。ktermを起動すると文字化けするが....きっと設定絡みだろう。しばらくはJterminalを使うことにする。

二十二日

午前の外来研修は担当の先生の都合でお休み。一日、病棟業務。
循環器のボス(一部では"社長"とも呼ばれているらしい(^^;)から、"心膜炎の管理"ということでマニュアル作成を頼まれる。とーぜんあとでチェックが入るのだが....勉強しないと。

合間を縫ってnamazuのインストール。nkfおよびkakasiと一緒にインストール。nkf-->kakasi-->File-MMagic-->namazu の順にインストールすると素直にインストール完了。さて、これから設定をやっていかないと(これがいちばん面倒くさい)

二十三日

カテのない金曜日。ゆっくりと患者さんを回って、明日からの休暇(といっても三日間)に備えて中間サマリを書く。
久々に早めに病院を出て、少し買い物なども。平日夜に買い物できるのは久しぶりかも。

二十四日

電車に乗る。車内で「暗いところで待ち合わせ」(乙一/幻冬舎文庫)読了。
乙一の作品では周囲にうまく適応できない人間がよく主人公になる気がする。この作品と似たような状況設定が登場する「幸せは仔猫のかたち」でも、「死にぞこないの青」でも、この作品でも。周りに受け入れられないという孤独感を抱えた登場人物達は声に出してはあまり言葉を発しないけれど、葛藤を抱えていてそれがとても切なく感じる。
ふとこの作品を映像にしてみたのだけれども、じっと二人の人間が居間で言葉も発さずにいるという状況で、読みながら感じたような緊迫感や切なさが現れてこない感じがした。
終盤に明らかにされるアキラの秘密とミチルとの意外な交点は安直といえる気もするけれど、ラストが素敵なのですべて許してしまう。(^^;

電車に乗ってどこへ行ったかというと、羽田から岡山へ。
はい、新しく同居人ができるということで、引っ越しの手伝いをしに行った訳です。
運送屋さん(赤帽だった)は一度下見にきて、「ちょっと軽のトラックの荷台から荷物がはみ出すくらいで収まります」と言っていたとのことだったが、予言通りにほんの少し荷台からはみ出すだけで荷物が積み込まれたのにはびっくり。プロとはこの様なものか、という感じ。

二十五日

昨日は積み込み、今日は同居人の車に乗って東名をひた走る日。
中国道から名神を経て東名へ。大井松田過ぎから渋滞につかまったがさほどでもなく、計11時間ほどで到着する。それでも十分疲れたけどね。

二十六日

この日は同居人の荷物が届く。
六畳一間を空けておいたのだが.....そこに収まりきらないほどに荷物がある。(死) 一番の問題は蔵書なのだが(更死)。
何とか眠るスペースを確保できてほっとした。

二十七日

出勤。
そろそろ新しい患者を持つには残り時間が少なくなってきた。今日持った人でおそらくは打ち止め。

夜は当直。というわけで早めに夕寝をしておいたのだが、パートで外来に来ていた同級生にそこをしっかり見られていたらしい。(^^; 相手の帰りがけにばったり会って、しばし立ち話。この間転院となった患者さんのこととか。医者の世界はけっこう狭いもので....

二十八日

それなりに寝られた直明け。

毎週水曜日のお楽しみ(違)、負荷RI検査。
この日困ったのは手術前チェックのため検査したおばあさん。大腿骨頚部骨折があるらしくて盛んに痛がるのだが....それで動かれてしまうと検査が出来ない。鎮痛薬というものはあるけれど、全く痛みを感じないほど強い薬をてんこ盛りにしてしまうと今度は意識まで落としてしまいそうで使いたくない。
高齢者医療の難しさの一つ、だと思う。

三十日

朝よりカテーテル検査。静脈ルートを取ってから検査にはいる。
受持患者が二人カテーテル検査をやったのだけれど、二人ともかなりの狭窄があるということでPTCAの方向に。やっぱりちょっと落ち込んでいた感じだった。

この日は当院におけるCPC(臨床病理検討会)200回記念の講演会。近所のホテルの広間にて開催されるということで、仕事を片づけて参加した。
患者の治療に当たるのが医師の仕事ではあるが、残念ながら死亡される患者さんは確実にいる。ある方は手の施しようもない状態で亡くなられるが、ある方は「もしかしたら何か手だてがあったかもしれない」という経過をたどる。ある程度亡くなられるまでの経過が病態として説明できる人もいれば、何が起きていたのかもわからないという方もいらっしゃる。
画像や血液検査で推測した病態と、実際に患者さんのご遺体を解剖・検鏡して推測される病態とを照らし合わせながら、学んでいくのがCPCの意義だと理解している。
そういった会を続けていく意義についても今回は話があった。亡くなられた患者さんにさらに無理をお願いするのだけれど、その中で自分たちの医療を振り返る機会にしていかなければいけないと思う。  


Written by Genesis
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