歳時記:文月の項

一日

午前回診・午後カテ一件・夜会議の日程。夜の会議は医局会議。

ICUの重症患者さんが少しずつよくなってきて喜ばしいことなのだが、さて何が起きていてどの治療に対して反応して改善してきたのかと聞かれたとき、よくわかっていない自分に改めて愕然とする。Experiment Based Medicineだと言われたら返す言葉もないのだけれど....せめてこれからきちんと解きほぐすことにしよう。

二日

午前救急外来、午後は病棟で、夜当直。
午前の救急外来ではもしや解離性大動脈瘤ではと疑うような患者さんが来たのだけれど....それらしい所見に乏しくて、"念のため"で撮ったCTも異常なし。
もしこれで異常ありなら「よくぞみつけた」と言われるところだろうけれど、異常なしだと「無駄な検査をしてしまったかなぁ」と思ってしまったりする。

当直はベッドが空いていないせいもあって比較的平穏かと思ったが.....。入院中の喘息の人が病状が悪化、ICU収容となった。
喘息というのはヘタをすると死ぬ病気である一方で、治療がうまく行けば元気に帰れる病気であるということで、早め早めで手を打とうとさっさと厳重監視のできるICUにあげてしまったというのが現状なのだが。肝を冷やしたのは確か。

三日

直明け。ここで心エコー検査が予定に入っているのはわたしに寝ろと言われているようにしか思えない(死)
当直明に医者が働くのはごく日常的なことなのだけれど、おなじ医療従事者同士ですらこの事実はあまり知られていない。まして患者さん達は全然知らないのではないかと思うのだけれど......

仕事をしていて、自信を失うことは少なくない。わたしの場合、「知らなかった」ことは必ずしも自信喪失にはつながらないけれど、「もっと異常に敏感に」という指摘や「ちゃんと調べなさい」という指摘を受けると落ち込むことが多い。
今が未成熟なのはしかたないとして、将来の力量を決めるのはそういったことではないかな、と思うから。わからないこと、調べなければいけないことばかりで、最近は落ち込むことが多い。

五日

カテの日。朝一で入院患者を一人受け持ったので、少し遅れて参加する。
結局終了したのは三時。その間もちろんぶっつづけ。待っている患者さんも大変だろうけれど.....。

夜のケースカンファレンスは「周産期の薬の使い方」。こと妊婦さんとなると薬の使い方に非常に神経質になる。胎児に悪影響のある薬は使いたくないのだけれど....意外なほど、妊婦に対して「安全宣言」の出されている薬は少ない。薬の本を見ると明確な副作用の指摘のある薬以外は「妊婦に対する安全性は確立されていない」「投与する際にはその有益性が大きいときに限る」などといったあいまいな表現に終始している。
薬を飲んだ後で妊娠がわかり「薬の影響は」と問い合わせに来る人はそれなりの数いるのだそうだが、「安全か、安全でないか」のどちらかで考えてしまい、「危険性がないわけではない」といったような医者のコメントをきいて「じゃ、中絶します」と決めてしまう人がいるそうだ。危険とわかっている少数の薬を除くと、多くは明確に胎児への影響があったという報告がない薬か、さもなければせいぜい自然の奇形発生率を数%増やす程度だそうである。
「これまで報告がない」ということと「安全」ということは違うけれど、過去に何十年も使われてきて一例も報告がない薬ならば、比較的安全だと考えて必要ならば使うことになる。中には喘息など悪化すれば命にかかわるような病気を持っていて、妊娠がわかったということで自分の判断で薬をやめて悪化する例もあるという。「安全」を保障することの難しさも感じた。

六日

朝から救急外来。一般外来が閉まったあたりから続けて患者さんが来る。ヒマをみて病棟を見たりしつつ仕事。
この日も一人入院を持つ。つい一月前まで受持していた人で、外来で免疫抑制剤療法を続けている人。帯状疱疹、ということでまぁ重病というわけではないのだけれど、飲んでいる薬の絡みもあり入院で経過を追う。
なんか最近、舞い戻ってくる例がいくつか....。

午後、「群青神殿」(小川一水著/ソノラマ文庫)読了。汗水垂らして機械と格闘するようなお話は割と好き。でも、あんまりリスキーな手段で切り抜けるようなやり方にあこがれてちゃいけないのかなぁ....。

七日

目を覚ますと十時だった。とりあえず27時間テレビなどつけておきつつ、食事をして洗濯をする。なぜ27時間テレビかといえば、さだまさしがところどころで歌っているからというそれだけだったりする。
合間にちょこちょこと楽天市場のオークション画面を覗く。自分が出品したものが今日で終了だったためだが.....いや、最後の追い上げがすごいこと。昨日の夜の段階で3000円位だった品が、最終落札価格は10000円になっていた。無事落札者も決まったということで、これから発送しないとね。

銀行・郵便局の通帳記入など済ませて、書店へ回る。「天帝妖狐」(乙一/集英社文庫)を買い、「容疑者の夜行列車」(多和田葉子青土社)をチェックする。多和田さんは高校の先輩にあたる人なのだが、不思議な文章を書くのでちょっと気になる人。
書店で立ち読みしたのが「異形コレクション 恐怖症」(井上雅彦編)。早見裕司さん目当てだったのだけれど、早見さんの作品が"スタジオ恐怖症"とでも言うべきフォビアを取り扱った作品。読んだ後、仕事がなんの引っ掛かりもなくスムーズに進むようになったら、それは別な意味では危ない状態なのかもしれないな、と思って、少し元気が出た。
その後古書店へ回って、「俺に撃たせろ!」(火浦功/徳間書店Dual文庫)を買う。

八日

疲れた日。
その理由はといえば、午後のカテーテル検査が異様に──午後七時半まで──長引いたこと。不整脈で入院して一時ペースメーカーを挿入したものの、その後心電図変化が出てきて急性心筋梗塞とわかり、苦心惨憺した揚げ句PTCAが十分にできずに終わった。──きつい、ですね。

九日

追いまくられるように過ぎた日。
午前中は例によって救急外来で、午後は病棟業務だったけれどなんだかわさわさとしているうちに終わってしまった感じで、夜は必須な仕事を終わらせるだけで過ぎた気がする。
何だったんだろうなぁ、けしてあれこれのイベントがあって超多忙というわけではなかったんだけれどなぁ。

午後の救急担当は一度日記に書いた某先生。ゆったりマイペースなこの先生が、引き継ぎの時になんか面白いことを言ってくれたので、「これは覚えておこう!」と思ったにもかかわらず、夜になったらすっかり忘れていた.....。

十日

気がついたら過ぎていた日。最近こんなのばっかかも。
午前中心臓エコーをやって、午後は回診と看護婦さんとのカンファ。夜は当直。比較的患者さんが落ち着いてきているので、この隙にじっくり考え事をしないとねぇ.....。

十一日

深夜はあんまり呼ばれずに眠れたのだけれど、未明から呼ばれ続け。呼吸状態悪化の患者さんが二件で、二ヶ所を往復していたような感じであった。

夜、元いた腎臓などの科の集まる病棟の歓送迎会。歓送される側として参加。知らない会場にあやふやな記憶で行こうとして看板を見つけられなかったりとかして、遅刻する。
どうも病棟の看護婦さんにこのページを見つけられたらしい。おかしいなぁ、目立たないようにやっているつもりなのに。(^^;;; 「このページの内容はフィクションであり、実在の人物・団体等とはなんの関係もありません」って但し書きしておこうか。

十二日

本日カテの日。今日は七件。
人によって所要時間は違うが、長ければ一人に一時間くらいは平気でかかってしまう。今日は九時に始めて、二人目が終わったところで十一時を回っていた。患者さんは朝ご飯抜きで、昼ご飯も検査が終わるまでお預けになっている。‥‥となれば、こちらも途中で食事をするわけにはいかない。六件目が終了した二時半過ぎまで、飲まず食わずだった。(ちなみに、一件は緊急で、食事の後もう一件こなしたのだったりする)六件目の患者さんから「先生たちは昼を食べてるのかと思った」と言われたのだけれど、無理もないよな、と思う。

今朝はちょっと寝坊気味だったので、朝食はパン一枚。昼は遅い時間にカップラーメン(日○のラ□)、夜にケースカンファレンスを聞きながらおにぎりを二つばかり食べ、いま夜食でモスバーガーでチキンバーガーを食べながらこの文章を書いている。
‥‥なんてジャンクな食生活....。

十三日

出勤して仕事した後、ちょっと早めに帰って3時ころから一寝入りする。患者さんも安定しているし、夜にゆっくり仕事をしよう...と思っていたら、目を覚ましたのはPM8:30...。やっぱり疲れがたまっているみたい。
それでも再度病院に舞い戻って仕事して。‥‥で、11:00ころに一年目二人、四年目一人(もちろん当直医ではない)に出会ってしまうというのは....けしてみんな病院好きだから、ではないと思うぞ。
病院で仕事を終えた後、深夜営業のファミレスでコーヒー飲みながら看護婦さん向け勉強会の資料作りなどしていたら、すっかり目が冴えてしまって、何だか十分眠れずに朝になってしまった.....。まるで当直でもしたような感じである。

十四日

えと、この日は、ふらふら起きて、あちこちふらふらして、なんだか消化不良なままに終わりました。やっぱり規則正しい生活が一番と思い知った次第。

十八日

ばたばたとこの日まで過ぎてしまった。
昨日夕方から風邪気味で、今日は一日鼻水との戦いだった。わたしの風邪のパターンは大体決まっていて、初めはのどの痛み、続いて水様の鼻汁と咳・くしゃみ、徐々に鼻汁が粘度を増して、だんだん量が少なくなって終了となる。水様の鼻汁が出続けるときが始終ふき取らないといけないためにかなりつらい。
朝の症状は軽かったから出てきたんだけど、無理したかなぁ。(今日はそれでも早めに切り上げた。それで現在午後九時)

早く帰っても食事はどこかでしないといけない。近くのサイゼリアでリゾットなぞ食べつつ、@niftyのログに見入る。FCASE(症例研究会フォーラム)の「内科医の部屋」に連載されている「神経学史」が面白い。私見としては日本内科学会誌の「内科──100年のあゆみ」の特集よりよい(核爆)。

十九日

体調不良につき、午前中寝ていた。
午後は通常業務。だんだん快方に向かっている感じがする。

二十日

海の日。朝寝して、洗濯をする。週末に晴天が続いているのは嬉しい限り。

WHOのworld health report 2000年版では、日本の保健医療制度を褒めているらしいと聞いて読みに出かけた。‥‥なんじゃい、サーバーに接続できないって。かなり謎。

この夜は当直。結論からいうとこれまでで最悪の当直。
夜にひとわたり病棟を回診して、準夜勤の看護婦さんから気になる患者さんのことなど聞いておくのだが、回診を始めたばかりの時間に外来に完全房室ブロック──つまり心臓の電気信号を伝える線が切れた状態で下手に放っておけば心停止する──が来たということで、緊急ペースメーカーをやってもらうために他院に転送する算段を立てる。患者さんに付き添って救急車に乗り、無事に送り届けてやれやれと帰ってきたのだが。
呼吸状態の悪化した患者さんがでてICUへ移し、その最中に末期癌の患者さんと末期の心不全の人を看取り。
ばたばたとしてしまって、十分な対応ができたかなと思ってしまう。何かいいやり方があったのではないかと悔やむようなケースは、(他の先生の受持ではあるけれど)自分でも深めてみたいと思う。

二十一日

昨日の余波で、引き継ぎをして朝食をとった後医局で爆睡。
やおら起き出したのは夕方で、それからちょっと仕事。

二十二日

また新しい週が始まるのだけれど....こんな調子でもう既に循環器研修を始めてから6週間が過ぎたことに少し愕然。

週末で入院した患者さんで、一人どうにも病歴・症状のはっきりしない人がいた。過去にかかった病院などに問い合わせてみた結果は、どうも薬物中毒で入退院を繰り返している人であるらしかった。
違法な薬物の売人もやっていたようで、服役歴まであったとわかってちょっと愕然。
その話を聞いた某先生、ひとこと「売り物に手を付けるなんてなってないね」‥‥いやまぁ、お説ごもっともではあるのですが。

二十三日

‥‥なんだかすらすらと仕事が進む日。こういう日の後にはとんでもないポカをやってしまうのではないかと、いらぬ心配をしてみたりする。なんとか無事に一日は終わった。

二十四日

午前中負荷心電図。循環器のボスと一緒に心電図を眺めたり、静脈ラインをとったり。
実はこの静脈ラインとりがえらく苦手。よっぽど条件の良い血管でないとうまくとれないのが現状。患者さんには申し訳ないが練習させてもらっている状況。
数をこなさないとうまくなれないんだけどね。

夜は当直。‥‥いきなり四人入院があった他は比較的平穏だったのだが。夜半過ぎから重症肺炎を起こしてきた患者さんがいたのがかなり大きかっただろうか。ま、全体を通せば平均的な忙しさだったのではないかと思う。

二十五日

直明け。でも仕事を終えたのは11時を回っていた。(死)
患者さんも落ち着いていて、比較的ゆったり仕事ができたのだけれど、それでもそれだけ遅くなったのは明日から不在にするため申し送りなど記していたせい。
休みをとる直前が実は忙しかったりする。

二十六日

ふと目を覚ますと8:45。‥‥無情な遅刻。
第34回医学教育学会に参加する予定だったのだが。慌てて起きて家を飛び出す。向かうは旗の台、昭和大学医学部。
今回のテーマは「改革の波」。「医療」と「教育」という"改革"の焦点が重なるこの分野、どんどんと新しい方向性が示され、それに対する賛否が問われているのが実際である。──肝心の患者さんからの意見は十分届かないままに進んでいる可能性もあるけれども。
行くと知り合いに会うことも多いこの学会。地方の友人とは年に一度のご挨拶という例も少なくない。発表を聞くことも大事だけれど、普段会えない友人や先生方とのトークも学会の効用というべきだろうと思っている。
発表の詳細は省くけれど、いちばん面白かったのは「医学教育の国際比較」という講演。しばしばアメリカの医師養成がとりあげられるけれども、それだけでなく欧米や東南アジアの制度の紹介もあって興味深かった。最後に先生が言われていたことは「学習者がどれだけ学んだかがいちばん大事」ということ。教育者はしばしば「自分が何を教えたか」を考えてしまうから、それに対する警鐘として受け取った。
発表が終わった後は懇親会。出身大学の先生に挨拶してみたり、知り合いの先生と話をしたり。終わった後は二次会でお茶をしつつ、研修医の抱えるストレスについての考察をたたかわせていたりした。

二十七日

通勤ラッシュが嫌なため、五反田に泊りを確保して学会二日目に臨む。一日「卒後教育」のセッションの発表を聞いていた。自分に直接かかわることだから、気になるわけだ。
今の医学教育の中で論点になっていることの一つは外来の研修。枠の確保、やり方、フィードバックのし方等々。病棟での研修は長年やられてきてそれなりにノウハウも蓄積しているのだろうけれども、外来に研修医を出すことにはスタッフも含めて抵抗感が強いようだ。けれども、病棟で診て、退院後も追いかけたい患者さんは少なからずいる。今は指導医の先生の外来で管理するしかないことが多く、残念なところもある。いま外来研修を少しずつやっているけれど、自分の外来をもてることは不安もあるけれど楽しみでもある。

学会が終わってからbunkamuraに「ルネ・マグリット展」を見に行く。絵心のないわたしだけれど、マグリットは好きな画家だ。その絵に描き出された謎や奇妙な具象が想像力を刺激してくれる。「ピレネの城」がなかったのはちょっと残念だけれど。

二十八日

諸般の事情があり写真を撮る。‥‥肩凝った。

二十九日

週末留守にして、その間に会っていなかった患者さんのところへ。小さなトラブルは少しずつあって、それらに対応していく。
循環器のボスが夏休みのため、業務量が少なくなっていたこともあって比較的ゆったり過ごせた。それでも、帰る時間は一向に早くならない。

三十日

もう七月も終わり。──むかし小学生だった頃、八月になってしまうと何だか夏休みが半分近くも過ぎたような錯覚に陥ったことがある。今は、循環器研修の間に自分がちっとも進歩していないような気がしてあせっている最中。理想がはるか彼方であっかんべをしていて、奴を必死で追いかけているつもりなのにどんどん距離が開いていっているような、そんな感触。

午前救急外来。──そこへ重症心不全の患者が来たとなれば、主治医はわたしで決まったようなもの。(爆)
もうかなりの高齢で、ベッド上の生活をしている人なのだけれど、病状としてはレスピレーター(人工呼吸器)を必要とするくらいに重いもの。そこで、レスピをつけて少しでも延命を図るか、延命を目指す処置をしないで、苦痛緩和に徹するかは、医療者側と(本人の意思が明確なら本人と)家族の話し合いで決まっていく。
ある意味ではすべての医療は延命措置だと思う。何人も死から逃れることはできず、延ばせるだけ延ばしてもせいぜい100歳そこそこまでしか生きられない。大事なのはその間をどう生きるかということで、たとえば生来健康な人に起きたちょっとした肺炎であればまた病前と同じくらいに元気になって元の生活に戻れるようになる可能性が高い。その時、医療者側としてはできるだけの薬を使い、延命のために最善の処置を行うことをためらうことはないだろう。
けれども寝たきりで本人の意識もなく、ただ流動食を流し込まれてそれを消化している人が肺炎になったとき、すべての延命措置を行うべきなのかは──個々人の倫理の範囲に属することではないかと思う。実際にはすでに意識のない本人には発言権はなく、家族の意向で決まっていくことが多い。
「なにかをする」と決めるのはともかく「何かをしない」と決めるのは実はそれなりに勇気のいる決断であると思う。「レスピをつけない」「手術は受けない」と決めた後で、その決定に与らなかった関係者から「やっておいたほうがよかったのではないか」と非難されるなんていう話は少なくない。そうしたごたごたを避けるためには、自分のCPR(心肺蘇生)方針くらい決めておくのがいちばんいいのではないかと思うのだけれど、どうだろうか。  


Written by Genesis
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