コミケットスタッフになる100通りの方法

「はじめまして。──わたしが『とかげ』です」
午後二時、東京駅八重洲中央口改札。待ち合わせの場所で、僕はかなり混乱していた。そうなってしまった原因を作った張本人は ──軽く笑って、追い討ちの一言を繰り出してきた。
「『小倶那』さんですよね?」
「そ、そうですけど‥‥あ、秋田さんが『とかげさん』だったの?」
「あはは、その通りよ。やっぱり気づいてなかったかぁ。」
屈託なく笑う同級生の秋田さん ──今後はとかげさんと呼ばせてもらおう ──を見ながら、僕はなんて言っていいのかわからなくなっていた。

そもそもここで待ち合わせをすることになったのは、僕が出入りしているパソコン通信のチャットで、とかげさんから誘われたからだ。医大生なんぞやっている関係で、医療スタッフのあつまる会議室やチャットに出入りするようになっていて、他にSF小説の会議室にも発言をしていた。そのどちらにも出入りをしていたのがとかげさんだ。
昨日のチャットででた話題の一つがコミケットのことだった。行ったこともなかったのだけれど興味はあって、何度も行っているというとかげさんにカタログを見せてもらうという話になり、今日オフラインミーティングという運びになったのだけれど‥‥。

「驚いたみたいね」
「それはもうたっぷり。知り合いだなんて思ってもいないもの。どうやって僕が『小倶那』だとわかったの?」
「こないだ教室で休み時間に『おもいでエマノン』読んでたでしょ?ちょうど会議室で話題が出た直後で、その後『小倶那』が感想書いていたから。前々から会議室で話題の本を読んでたから、なんとなく見当がついたわ。」
その通りだったので、僕は恐れ入るしかなかった。
「そういうことだったのか‥‥。」
「さて、本題に入りましょ。その前に、ちょっとイイところに連れてったげるね」
そういって「こっちこっち」と先に立って歩き出してしまったとかげさんのあとを、僕はあわてて追いかけた。

秋田さんは同級生の女性陣の中でも活発さが目立つ人で、顔はかわいいのに女っぽくない、そんな人だった。ネット上でのとかげさんも年齢性別不祥などといわれるよくわからない人だったから、そういう意味ではあまり違和感はなかった。
ただまぁどうにもハンドルで読んだものか実名で呼んだものか、どちらにしても違和感がある気がする。
「どっちでもいいわよ?あたしはそっちの方が好きだから小倶那くんって呼ぶけど」
「じゃ、あわせよう。ハンドルで呼ぶから」
「ん、じゃそれはそれで。---はい、このバス乗るよ。」
「は?ビックサイト行き?下見でもしようっての?」
「いいからいいから。三十分くらいでつくからね。」
二百円払って都バスに乗り込む。素早く席を確保したところで、ごそごそととかげさんが荷物を開け始めた。
「それで、これが例のカタログね。すぐには読みきれないから、貸したげるよ。こっちがカタログCDROM、通称カタロム。冬コミ前には返してね。」
「確かに分厚いね。重さは ──重っ。」
「薄い紙使ってるけどそれでもかなりね。ニークラッシャーとか凶器とかいろいろいわれてるけど。コミケの雰囲気を知りたければまずはマンガレポートを読むといいわ。後ろの方にあるから。」
ぱきぱきと必要なことだけ伝えてくれると、「読んでみ」と言い置いて自分は別な本をとり出してしまった。表紙を見てみると ──「地球はプレイン・ヨーグルト」?
「これ?『エマノン』の梶尾真治さんの初期短編集。『美亜に贈る真珠』が好きなのよね」
「へぇ、僕は梶尾さんはエマノンしか読んでないや。」
「こっちも貸したげるわよ。」
そのあと、結局バスの中ではエマノンの話をしているうちに時が過ぎてしまった。

到着したビックサイトは特にイベントもないようでがらんとしていた。そこをすたすたと入っていくとかげさんを僕は追いかけていく。会議棟へ上るエスカレーターを上りきると人込みができていた。
「ちょっと今日は遅刻ね。はいこれ持って中入るよ」
紙を押し付けられてホールの中にはいる。混雑した大会議場の壇上には机が一つに人が二人ばかり。なんだか説明している感じだったけれども僕にはさっぱりわからず‥‥。
「はいこれ書いて。ペンあるから」 ととかげさんに言われて渡された紙を見ると‥‥スタッフ登録書?
「あのさ、そもそもこの会議、何?」
「拡大準備集会。コミケのスタッフの連絡会議。あたし単にコミケに参加するだけじゃなくって救護室のスタッフもしてるんだけどさ、看護婦さんが多いし若い力のありそうな男って少ないのよね。そんでもってまぁ、小倶那くんはコミケに興味も持ってくれたことだし、スタッフやるときっと得難い経験ができるだろうってんでお連れしたんだけど、いいよね?」
にこやかにそう解説してくれる。つまりは初めから仕組んでいたらしい。
「参加したこともないのにスタッフ?」 「経験不問よ。救護室は有資格者ばっかりだけど、学生なら大丈夫。」
けして押しは強くないが、気がつくと言う通りにしているってのが学内での秋田さん評だったっけ。見事に捕まった形の僕には同意するしかないようではあったけれど、一応無駄な抵抗をしてみた。
「スタッフやると何かいいことある?」
「お昼が出る。スタッフのみ通行可のところを通れる。きれいな看護婦さんと仲良くなれるかもしれない。コミケ前日に宿に泊まるとき補助が出る。」
「悪いことある?」
「盆暮れがつぶれる。ムチャをするオタクの生態を目の当たりにする。交通費や食事代はほとんど自腹。」
はぁ。命まではとられないにしても‥‥。何だかえらく条件の悪いスタッフのように思える。
「あたしとしては小倶那くんのボランティア精神に期待してるんだけど、どう?」
かわいらしく ──多分ポーズだけど ──僕を見つめるその眼は雄弁に「断るわけないよね?」とダメを押していて ──僕はあっけなく敗北した。

そして、初日。
七時過ぎから救護室が開くと聞いて、その時間に救護室に来ると、スタッフ数人だけでまだ誰もいなかった。会場は机とイスが並べられているだけでがらんとしている。まだこの時間だとサークルの入場も始まっていない。
サークル入場が始まると少しずつ喧しくなってくる。準備で指を切ったとかいう人も来るけれど、中には並んでいるうちに気分が悪くなったなんていって来る人もいる。問診をとるとかげさんと一緒に話を聞いてたら‥‥「寝てない、食べてない、水飲んでない」
「それじゃ夏コミは乗り切れないよ〜。水飲んで休もうか。」
「でも、売り子する約束なんです‥‥」
「売り子してる間に倒れて今度は救急車になるよ。サークルのみんなに迷惑かけたい?」
口調は優しく、でもあくまできっぱり「寝ていきなさい?」と伝えるとかげさんは、なんだか自分と同じ学生に見えなかった。
「でも、あーゆー人がたくさんいるからね。体をいじめても約束を守ろうとするのは律義だけど、でもそれじゃこの厳しい環境に耐えられない。あたしたちにしても休むための助言と場所を与えてあげられるだけ。」
あたしとしてはみんな元気でコミケが終わってくれれば一番いいんだけどね。昼ご飯をつつきながら、とかげさんはそういってため息をついた。

そして、二日目。気がつくと僕は東ホールの中ほどで売り子になっていた。
「一回この組合わせでコスしたかったのよね〜」といいながら、とかげさんはなんだかというゲームキャラの服を僕に着せていった。とかげさんは同じゲームのキャラの服という、何だかとてもかわいらしい服を着ていた。
座っているとさまざまな人が通った。通りすがる人、足を止めて見てくれる人、買ってくれる人。中には服を褒めてくれる人もいたけれど、僕には何が何だか判らなくて、その分はとかげさんがきっちり対応してくれた。
三日目は再びスタッフ業務。男性向け創作が中心の日ということで救護室利用者も男性が多くて、搬送に力が必要ということで僕も何度か車イス押し部隊として駆出された。
そんな風にして、僕の初めてのコミケットは、初めてのスタッフとして、初めてのサークル参加として過ぎていった。
「コミケットは楽しかった?」
三日目が終わって帰る電車の中で、一杯の荷物を抱えながらとかげさんが聞いてきた。
「うん、よく判らないところもあったけど、それでもこういうイベントの仕事って面白いね。何かを作る、っていうライブ感があって。」
「そっか。気に入ってもらえて何より。‥‥じゃ、次の冬コミの手伝いもお願いできる?」
「いいよ。」
僕の返事に満足したようにとかげさんは笑むと、「それじゃあ、明後日あたり空いてる?あたしんちで作戦会議しようか」といった。
「は?──何の?」
「決まってんじゃない。次のコミケはどんな本を出すか。サークル申し込みもしないといけないし。手伝ってくれるよね。」
──やられた。はめられた。でも、僕としてはあまり逆らう気もなくなっていた。大変だけれど刺激的な時間のために、労力を費やしてもいいと思っていた。
「はぁ‥‥わかりました。」
「なんだか哀しそうね。」
「いや、哀しいっていうかなんて言うか」
「まあそうね、何もただでとは言わないわ。作戦会議の時にはなんか作ってあげるわよ。じゃあ決まりね。」
にっこりと笑むとかげさんには何も逆らえず。苦笑しながら僕は、嵐のようだった三日間と、これからとはどちらが大変なのかな、とふと考えた。

(fin)


Written by Genesis
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もちろん、この作品はフィクションです

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