歳時記(diary):十一月の項

一日

仕事を必死で終わらせてさだまさしコンサートへ。新日本風土記はセルフカバーということで少し古めの曲が。でもアレンジでとても変わっていてなかなか楽しめた。

二日

CKDチーム医療研究会。初参加だけれど、医師以外の視点から見るのは改めて勉強になった。
相方が夜いないということで早め帰り。

三日

修理に出ていたバイクを受け取って、その後都内に少し。
帰りに晩御飯の材料を買って帰って用意をし。たまには割と楽しい。

四日

透析当番で出勤してそのまま当直へ。ベッドあまりなくて救急受診もあまり来ず。

五日

当直明け。
帰ってPC使っていたわたしの画面を見て「論文?」と娘から。なぜそうなる。そして使う前から「わたしはかけないとおもう」とか断定するのはどうかとおもうのだが。もっとも書けない理由を聞いたら「パソコン使えないから」らしいのでこれもまたどうかと。

六日

忙しい日。データチェックと処方を一気にこなして疲れ切る。道中の読書は「バビロン」野崎まど。先が読めない展開で続きが楽しみ。

七日

外来に受診してきた高齢のご夫婦。ふと手に持っていた紙袋見たら「comic market」とかって書いてあるじゃん。娘さんいるって言ってたのでその方の戦利品かな....。

八日

午後のカンファレンスでは、炎症所見のない不明熱、という症例の検討で盛り上がる。普通発熱って炎症疾患のことが多いので、血液検査上は何らかの異常が出るもので。全くとは言わないものの所見が乏しいのであっちかこっちかとみんなで勝手なことを言い合うような感じで。つまりは決め手がないのだが。
丁度院内コンサルトでも同じような症例が持ち込まれ。熱が出たらとりあえず抗生剤、ってのは良くないよね。

九日

朝方看取りで呼び出し。病院行ってみると家族と連絡がつかず、ようやくついたところからおいでを頂いて、その後に死亡確認やら剖検のお願いやら。割にあっさり了解がいただけたので病理の先生にお願いをして。
そして午後は慰霊祭。‥‥俺休日だったけど仕事しにいってる....。終わった後は家族でのお茶会に行ってきた。

十日

子供の歯医者に付き合った後当直へ。気候が良いせいか落ち着いていた。

十一日

夜医師研修についての検討会。今後の方針とか体制づくりとか。「ダメなやつはそういう風にしか育たない」的に放言する人がいたりして辟易。良い姿に育たなかったということと、他の育ち方はあり得なかったということはだいぶ違うことではないかなあと思うのだが。ここは信じるしかないところだとおもう。

十二日

twitterでHow the UK transformed its electricity supply in just a decadeなんてものを拾ってくる。電力供給の様子をこうも変えることができるのか、と感心。

十三日

診療所の外来日。少し今日は余裕のある日で。

十四日

午後外来に透析回診も加わってひいひい言っている感じで。

十五日

夜は臨床病理検討会。研修医の受け持ち症例で、終わってから慰労会を行なって。

十六日

午前中子供の発表会に行って、後はのんびり。
オーダーでスリーピース欲しいなと長年思っていて、注文に行ったくらい。

十七日

朝一から患者会の勉強会の講師、午後は自分の勉強会。なんだか変に忙しい。

十八日

透析当番しながらあちこち呼ばれて、夜は当直。

十九日

それほど呼ばれはしなかったけれどでも眠い...

二十日

診療所外来。研修の先生を伴って。
業務の仕組みに興味があるようで、意外なところが関心ポイントだったりした。

二十一日

午後外来は結構目一杯で。その外来終わりかけにアポイントなしで来るMR。行けばそのうち会ってもらえると思い込んでいるのかなぁ。もうアポイントなしのには会わないしかないのかねぇ。

二十二日

朝一業務に入っていたところで急変コール。後輩の患者。対応しながら他にも呼ばれてなかなか仕事が進まない。
それでもなんとか早めに仕事を終わらせて広島へ。腹膜透析学会初参加の予定。

二十三日

広電に乗って広島国際会議場へ。行きの道すがらで原爆ドーム写真撮ったりした。
腹膜透析学会初参加。相対的に看護師向けの教育講演とか多いかも。指導がかなりの部分を占める治療、というのが一つの特色かな。
基本的にはひたすら教育講演を拝聴。基本的知識の習得確認に努める。
帰りの機内と電車の中で「プロペラオペラ」(犬村小六)読了。重雷装駆逐艦って北上様じゃないんですか(こら)

二十四日

のんびり起きる。予定のない日曜日はいいよね...。

二十五日

午前中透析と紹介外来を兼ねて、夜は当直。
「殴られた」が主訴だったりする女性が来て、もしやと思ったらやっぱりDVで。ネットだったらデモデモダッテちゃんと言われるような人なのだけれど、何か厳しい事態に陥った時にひたすらその状況に適応して嵐をやり過ごそうとするような人はいくらでもいると思う。現実と戦うだけの勇気が持てない人はいくらでもいて、それをいけないことだとは言えない気がする。立ち向かう気になれないほどに強大だと思うことは実際にあるから。当事者とは言えないわたしからは、少しでも立ち上がる勇気を揮えるように支えるだけ、と思うのだけれど。

二十六日

当直明け。
早めに仕事を終わらせて立川へ。シネマシティでの「機動警察パトレイバー the movie」を観覧。これ1989年か、今見ても十分面白い。人間が根本的には変わらないから、なのかな。

二十七日

朝から診療所。道中で「裏世界ピクニック 2 果ての浜辺のリゾートナイト」を読み終える。
合間で後輩の外部研修のための準備を少し。幅広い経験をしてもらわないと進歩がないからねぇ。

二十八日

夜会議。
先の展望を考える、ということの難しさを思う。こうであったらと夢を見るのは難しくないが、その実現可能性やそのための手立て、費用なども見積もっていくのはとても難しい。ともすればくじけてしまいそうなその作業を営々と続けながらそれでも自分が目指したいところを忘れない人が真の理想主義者ではないのかなと思ったりする。

二十九日

短期間研修に来ていた先生とご苦労さん会。

三十日

午後からさだまさしメイリングリストの30周年記念ライブ。終わった後飲み会まで。
「だいたいWIDEのせい」とかって謎の言語が交わされる謎の空間と化していた。


Written by Genesis
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