歳時記(diary):一月の項

一日

明けましておめでとうございます。
毎年恒例で実家詣で。朝食代わりにお節を食べた後で近所の神社巡り。寺社合わせて七つくらいめぐったかな?

二日

本日出勤初め。
朝一番に自転車走らせながらぼうっと「艦娘たちの同日同刻」を反芻していた。特に潮の物語を。
敗戦にたいしてどう心の整理をつけようと自問する潮は、気付けば亡き者たちのために自分の余生を費やそうとしていたように思える。そうするなと叩きつけたのは曙をはじめとする亡き者たち。亡き者たちのために生きるのではなく、現に生きるもの、現に生きてある世界のためになにごとかを為すこと。戦いに彩られた日常から終戦後の日常への切り替えは、想像もつかないほど大きなパラダイムシフトであったのかもしれないなどと思っていた。
戦争が限りなく繰り返されてきた歴史を見ればそうたやすく撲滅できるものではないのだろう。ふとこれは一種の依存症なのかもしれないと思った。戦争依存症に、人類は罹っている。そう思うと、唯一の対策はとにかく戦争を忌避し、遠ざけようと日々努力すること。なんどスリップすることがあったとしても、また一から戦争と手を切る決意を固めなおし、遠ざけようと手を尽くし続けること。程よい量とか、少しならいいとか、そういった誘惑に耳を貸さないでいること。それしかないのかも。

三日

休日当番で出勤。割と落ち着いていたので何より。

四日

仕事始め。で、さっそく緊急透析導入が。透析用中心静脈カテーテル穿刺で始まる。他にも血管穿刺が続き。

五日

外来透析回診に予約外来。新年早々の外来はやや避けられて、数が少なめなのが何よりで。

六日

夕方ローテートの研修医の振り返り予定だったけれど、予定がこなせずに延期とする。ま、そんなこともあらぁな。

七日

出勤して、午後まで透析当番して。夜は当直までしっかりと。 外来で見ている人が受診したりしてちょっと忙しかった。

八日

当直そろそろ終わりだな〜って時間に透析導入レベルの重症患者が来る罠。帰るに帰れないじゃないか。血液透析始めて落ち着いたところでやっとこ帰宅。

九日

朝から子供連れてお出かけ。模擬試験受験の付き添い。中学受験させるつもりもないのだけれど、受けてみるかと聞いてみたら受けるというので申し込んでみた次第。‥‥でも終わった後復習くらいやれと(ry

十日

この年始は透析導入が続いているのだけれど、休み中にもまた一人入院があったようで。何でこんなに続くかなぁ。

十一日

日中は一人出勤で、そのまま夜は当直で。当直研修の先生がいたぶんちょっと楽だった、かな?

十二日

当直明けで午後外来がデスマーチで。連続勤務時間が長いと集中力が落ちてなんて言われても、そうじゃないと仕事が終わらない現実をどうにかしてくれというのが多分世の中の勤務医の正直な声ではないかと思ったりする。

十三日

午後まだ仕事も残っているところで製薬会社から電話がかかってくる。新薬の紹介をしたいのでアポイントメントをとりたい由。…その薬、正直そんなに高いエビデンス出てませんよねまだ。それでいて既存薬より高額になりそうなんですがそんな薬の説明を聞いている時間が惜しいんですが。
製薬会社のプロモーションを聞くのは嫌いなので、機先を制して答えられないような質問をして黙らせることにしてますがこれって正当防衛ですよね(違)
そういえば某九州出身研修医に「先の先で勝負つけるのが好き」って言った記憶が..。

十四日

朝から早起きして軽井沢へ。強烈な寒気がきているとのことで、恐る恐る車を走らせる。横川あたりからはずっと雪がちらつく天候。
アウトレットモールで相方がお買い物した後でホテル軽井沢1130へ。以前行った時とは道の雪が大違い。
今季最も強い寒波、なんて話なのだけれど、昔読んだ三八豪雪のエピソードを思い出したり。しばらく寒波も続くようなので、どんな影響が出るかちょっと心配。

十五日

早起きしてスキーへ。パルコールつま恋リゾートへ。以前は少し雪が少ない感じだったけれど、今回は厳寒でどんどん雪が降るコンディション。上の方とか、人も少なかったので新雪積もりまくりで滑りやすいような滑りにくいような。 寒すぎて子どもたちが早々にギブアップ。お風呂に浸かって帰って来た。

十六日

入院なかったのでちょっと楽。 それでも十分終わるの遅いけど。
当直では何だか判らないイレウスをみる。外科にパスしたけど、これってアニサキスとか腸管異物とか、そういうものではないかと話していた。

十七日

夜、研修医から診断が迷走している患者の相談を受ける。カルテ見渡した第一感は比較的ありふれた病態がやけに奇妙な現れ方をしている、なのだけれど、研修医のアセスメントは極レア病態ではないかと。この手の見誤りはけして珍しいことではないので、よく病態を細かに評価することが大事なのだけれど。

十八日

一件患者面談は他の先生受け持ちなのだけれど、都合が合わないので代理でわたしが出る。いろいろ意見はあるだろうけれど、固定した担当者だけが対応しなければいけないという形式だと医師の業務はなかなか整理がつかないと思うので、できるだけお互いに引受けあうような形が大事だろうなぁと思う。

十九日

外来。30人/4時間はきついっす。

二十日

夜は臨床病理検討会。自分も関わった症例だったので興味深く拝聴。在宅療養していた歳の訪問看護師さんも来てくれていて、示唆に富むコメントをくれていてありがたく思った。医者だけでやっているとこういうところがなかなか見えないよね、とか。

二十一日

土曜出勤。そのまま夜は当直まで。幸いあまり呼ばれない夜で。

二十二日

朝方呼ばれたのは入院患者の嘔吐。夜中から症状はあったみたいなのだけれど、気を使ってすぐには呼ばなかったのかなぁ、とか。

二十三日

夜腎生検カンファレンスに新年会。

二十四日

病院の会議の後新年会、ってことで二日続けて飲み会が入る。最近体重が微増なんだよね...マズい気がする。

二十五日

朝早起きして、患者さんが起きる辺りに病院ついて負荷試験。おかげでちょっと昼間眠いような、でも出だしが早い分仕事に余裕があるような。

二十六日

勢いで「精選版 日本国語大辞典iPad版」をインストールしてしまう。子どもの教育の役に立つかなぁとか。

二十七日

カンファの後は当直で。あまり呼ばれなかったけれどそれでも気疲れ。

二十八日

当直明けで、そのまま荷物を背負って羽田へ。札幌で会議に呼ばれて出席。さすがに眠い。
行きの飛行機内で「天冥の標IX ヒトであるヒトとないヒトと Part2」を読む。さて、最終巻はどうなることやら(また分冊かなぁ)

旅先でうろ覚えで書いているのだけれど、医学教育誌の錦織宏氏のエッセイで、臨床研修必修化には新自由主義の影響があるというような考察がされていてはたと膝を打った。大枠だけきめてあとは自由にやれ、質の保証は研修施設に任せる、という部分は確かにあって、これは言われてみれば新自由主義ととても親和性が高いように思う。
ここにプロフェッショナル・オートノミーが適切に働くことで自律してやっていくことは不可能ではないと思うのだけれど、それが不適切であったからこその研修必修化という部分があるわけで、革命的な変化が起こせなければ単に必修化しただけでは良くならない、ってのはこういうところからも言えるのかなと。

二十九日

会議終わって早々に帰ってくる。帰り途中では「テスタメントシュピーゲル3上」を。全編バトルバトルバトル。この長い話で作中の時間はほとんど経過していないという。

三十日

新規紹介の方は79歳。無症状だが検査異常ありにて精査希望。さあて、どこまで精査しましょうね。
そろそろ発表演題の仕上げをしないといけないのだが一向にそこまでたどり着かない。

三十一日

朝は通学路の立ち番。終わってから仕事へ。
最近は呼吸器疾患がマイブーム(違) COPDとか肺炎とか、けっこう続いている。


Written by Genesis
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