歳時記(diary):五月の項

一日

夜はヤンデル先生のツイキャス聞きながら「ドクターG」を観る。豪華二本立て。
飛行機の中、という設定で、ある意味病院でならばそれほど診断が難しくない疾患でも、道具の限られた状況下ではなかなか診断しにくいもので。

二日

土曜出勤。
診断に苦慮して他院へコンサルテーションした結果が返ってきて。いったん退院している患者さんに連絡をとって今後のことを協議。方向性が見えてほっと一息つく。

三日

息子のリクエストにお答えして、青梅の鉄道公園へ。軽く見て回って、見物するにはちょうどいい、というところか。

四日

朝からボウリングへ。子供らがWiiUでボウリングやり始めていて、久しぶりにやってみたくなって。実際に投げるのはやはり感覚が違うけれど。

五日

透析当番で出勤。
GWはすでに終わりました。もうありません。(爆死)
そして、上旬のうちに保険請求業務を片づけなければならない医療事務のかたがたもやっぱりGWがないようでありました。

六日

透析当番出勤。
夜透析の患者さんは仕事している人も多いのだけれど、祝日だと休みということで皆早めに来院することが多い。‥‥それでも、普段通りかそれ以上に遅かった人もおられて。ご苦労様。

七日

休み明け。主治医決まってない患者の対応して、午後は外来で。

八日

腹水検査してたら予想と違った結果が返ってきてさてどうしようか、とか。

ケースカンファレンスに研修医が参加してない...どういう訳なんだろうねぇ。

九日

土曜出勤。
今書いている論文、だいぶ進んでいるのだけれど、改めて論文検索を追加してみると、もう少し書き直しが必要そうで。

十日

のんびり起きて、朝から新海誠監督の「雲の向こう、約束の」を観る。先日中古屋で見つけて購入したDVD。
細々としたところがとても綺麗で。再見してやっぱりいいなぁと

十一日

やや早めに仕事を抜けて、夜の六本木へ。 Billboard Tokyoのラスマス・フェイバー・ジャズを。
いきなりコミケット救護室の先生に会ったりしたけれど。

十二日

夜は台風。
そろそろ帰ろうかな〜と思っていたら、同僚が表で息止まりかかってた人を救急室に担ぎ込んできたということで医局に総動員発令。心肺蘇生しつつ身元確認とかかなりの修羅場。警察まで呼ばれてたので、そっちの相手までしていた。

十三日

早めに帰れそうなので自分の勉強を少しずつ。‥‥でも机で座ってやれないんだよね。ファーストフード店とか喫茶店の机がよかったりするのはちょっとコスト高で。

十四日

夜は当直。
そこそこの混み具合。

十五日

夜のカンファは昔自分が受け持ったことのある患者さんのCPCで。改めて勉強し直すこと多数。

十六日

朝からジェネラリスト教育コンソーシアムの例会に。大都市の地域医療省察がお題。
大きくなると体力も大きくなって処理能力が上がる、ってのは一面の真理なのだけれど、一方で全体が協働して動くことが難しくなって思ったほどに処理能力が上がらないのはよくある事で。大都市圏での医療問題って、しばしば協働しないことには解決できない問題に対する協力・共同関係の構築の難しさに起因するのではないかなぁと漠然と思った。

十七日

夜は腎生検カンファレンス。

十八日

未明にたたき起こされる。透析患者が心不全との由。透析始めたら家に帰ってきて、家事を手伝って。

十九日

朝から診療所。待機時間中に「ヴァムピール KING AND BARON」を読む。「赤マントの男」の元になった「青ゲットの男」事件は一応知っていたし同じ題材を取り扱った松本清張の「家紋」も読んだことがあるので、なるほどこう来るか、という感じで。

二十日

そんなに仕事がきついわけではないのだけれど、睡眠不足傾向な感じなので、思い切って家帰ったら食事摂った後爆睡してみた。

二十一日

午後外来は予約いっぱい+飛び込みで診て欲しいと来院する患者もあり。でもまぁなんとか時間通りに終わる。

二十二日

週末で退院患者出ると受け持ちがだいぶ減る。というわけでせっせと書類書きに勤しむ。

二十三日

土曜出勤。そのまま当直へ。
隙間の時間でデータ入力を少しずつ。

二十四日

当直明け。
子どもの歯医者行って、午後は実家近所で桑の実摘み。結構大量にとれた。(注:東京近郊です)
夕食は居酒屋兼用のそば屋で。料理の出がゆっくりだけれど美味しいので許せる、そんな店。

二十五日

透析当番までやって、遅くに帰る。

二十六日

夜は透析室師長さんの定年退職ご苦労さん会。退職した人も何人か来ていて、ちょっと同窓会気分。

二十七日

ジェネリック薬「20年度末までに8割普及」厚労省案って出ていたけれど、内容を見る限りあまり踏み込んだ内容はないし、患者に「もっとジェネリックを使え」とお説教する、というのが基本的な内容と取れる。
ジェネリックの比率を高める上で、多分最も確かな効果が見込めるのは、先発品の保護を緩めることだろう。ジェネリックが発売できるようになるまでの期間を短くする。あるいは、最近はやりの合剤の特許を厳しくする(もしくは、合剤の薬価算定を厳しくして、新薬であっても廉価になるよう誘導する) 先発品メーカーの既得権益に切り込むことが重要ではないだろうか。

二十八日

夜は当直。
当直研修で研修医もいたのだけれど...なんだかあまり来ない間に時間が過ぎてしまった。数を診るのも研修だと思うのだけれど。

二十九日

明けて、昼過ぎに相談が舞い込む。診断不明ながら敗血症で血液浄化の適応は、と。まずは診断つけないと治療もできないと返したのだが。原因抜きに治療を適切に、ってのは無理難題なのだけれど。

三十日

子どもの運動会。良い天候に恵まれて....暑い。

夜に地震。二回来たかと思ったら、どうもかなり長い地震動であったらしい。日本全国で震度一以上ってすさまじいな。

三十一日

娘の踊りを見に会館へ。前よりはちょっとしっかりしてきた、かな?


Written by Genesis
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