歳時記(diary):十一月の項

一日

土曜出勤。そしてそのまま当直。
夜中の消化管出血対応で結構ばたついていた..。

二日

朝からお出かけ予定だったので、早めに抜けさせてもらう段取りをとっておいて、自宅へ戻ってお出かけ。病院には必ず一人以上の医師がいないと行けないので、自分だけの都合で病院を出てしまうわけにはいかないのでこういうのはいろいろと大変で。

都内へ電車で。電車好きな子どもらは最近自分で切符を買いたがるのだが、親はすっかり切符を買わずにIC乗車券で改札を通り抜ける生活で、「いくらするんだっけ?」という感じで。

三日

相方がお仕事なので、子供当番で在宅。
娘が踊りの発表会、ということで見物に行きつつ。‥‥まわりを見ながら合わせて踊るってのはばればれなので次回はもうちょっと覚えて欲しいなぁ。かわいかったんだけどさ。
晩飯は息子と一緒にみそ汁・ハンバーグ作成。

四日

少しずつ患者も増えてきているところ。割に落ち着いてはいるのだが。

五日

入院が何人か。
一日の終わりに研修医の記録をチェックして....こける。今後の計画が一行で終了ってどうよ。もう少しいろいろ書いてくれんかな。

六日

夜研修医につきあって細かく記載の突っ込みを。できるだけ手をかけて、どう変わるか見てみようかと。

七日

夜は当直。それほど数は居なかったのでよかった、かな。

八日

当直明け。早めに病院を出て、子どもの学芸会へ。
うん、割りといいレベルの学芸会だったんじゃないかな。

九日

相方がお出かけ、わたしも午後勉強会がある。
しょーがないので勉強会は少しだけ出て早抜けして、晩飯を息子と一緒に作り。

十日

週頭ということもありせわしない一日。

十一日

診療所の透析回診。余った時間で「サクラコ・アトミカ」(犬村小六/星界社文庫)を読み終える。
最後の方、これでもかのバトル描写がとても迫力で。畸形都市と銘打たれた丁都だけでなく、ナギもサクラコもある意味畸形の存在で。それでいて、作品はとても正統派の「ボーイ・ミーツ・ガール」気に入った。

十二日

ジバニャン方程式現る。子供にみせたら「すごい、ジバニャンだ」‥‥でもそれだけ。さすがにRのことには気付かないか。

十三日

日中の仕事が終わったところで研修医のカルテ記載チェック。「できたら言ってね、チェックするから」と言って、声がかかってからかれこれ四時間ほどチェックにかかるという。
もーちょっとレベルが上がってくれるといいのだけれど。

十四日

受け持ち患者が不整脈立て続けに出すのは結構きつい。

十五日

土曜日出勤。行ってみたらICUで透析が回っている..。
結構厳しそうな方で。

十六日

子どもの歯医者いって、その後はのんびりと。

十七日

明日が多量の退院予定。書類作成で必死に。
一通りめどをつけて帰りかけたところで病棟から電話。受け持ち患者さんの呼吸が止まりそうで。かくして帰れない...。

十八日

お看取りした方を見送って、それから家に帰ってくる。結構長いつきあいの方だったのだけれど、家族にはわたしのことをちゃん付けで呼んでいたらしい。親しんでもらえていた、のであればいいのだけれど。

十九日

夜は当直。 22時過ぎにばたばたと数人来院して、他はこともなく。

二十日

若手医師の発表会が近いということで、連日予演会という形で内容のチェックを入れる。……できばえ(の惨たらしさ)はなかなかのもので。第二版ではきっと内容が一新されて話の筋道もきちんとしたものになるのだろう、きっと。

二十一日

「先生、相変わらずブートキャンプやってるんですか?」って聞かれた。 理詰めで診断学の基礎と治療方針決定のあり方、カルテ記載についてくり返し説いているのがはた目にはビリー軍曹が新兵にトレーニングをしているように見えるらしい。
ハートマン軍曹ではないようなので良いことにしておくか。

二十二日

朝は早くに起きだして、新幹線に乗って京都旅行。
妹夫婦と親夫婦、という組み合わせでの旅行で、決まっているのは宿と晩飯の店程度、という。初日は夜に晩飯の店に集合、という計画だったので、日中何しようかと迷った揚げ句嵯峨野のトロッコ列車を目指す。旧山陰線の廃線を利用して観光列車を走らせている訳だが、トロッコ嵯峨野駅について当日券を買いに行って見るとすでに行きの券はあらかた売れていて、二時間足らず後の帰りの列車ならば立見券が手に入る由。購入して駅前散策+昼食を摂って、馬堀駅まで乗ってからあぜ道のような道を歩くとトロッコ列車の折り返し駅。駅舎内に入ってみると....車で来るといっていた妹夫婦が居た。どこに行くか決めていなかったようだが、思いつきで来てみたとの事。残念ながら切符は買えなかったとの事で、見送ってもらってトロッコ電車に乗って帰ってきた。
ジオラマパークで模型電車も(息子が)堪能した後で、近いという理由で天龍寺へ。紅葉が見ごろでなかなか美しい。カメラで子どもたちが写真を撮りたがって面倒ではあったが。
その後は京福電車嵐山線〜地下鉄へと乗り継いで丸太町駅へ。晩飯喰って国際会館駅へ行き、大原行きバスに乗り継ぐ。宿はそこからさらに山道を進んだ古地谷なので、そこまで行くバスがすでにない。車で先行していた妹夫婦に迎えに来てもらった。

二十三日

本数の少ないバスに乗ってまずは大原へ。親夫婦と共に大原三千院を見物。子ども向けに境内でスタンプラリーも開催されており、子どもたちがそっちで盛り上がってくれたのがありがたかった。
親と別れてから国際会館へ出て、源光庵〜金閣寺というルートプランを描いていたのだが、源光庵についてみると人混みでとても子ども連れて歩く雰囲気ではない。もう少しすいていた光悦寺で紅葉を眺めてから、付近の軽食喫茶のお店で昼食(ケーキとピザしかないという割り切ったメニューではあった)。この辺はとにかく飲食店が少なくて昼食を摂るには向いていないロケーションだった。そのあと北大路まで歩いて金閣寺。
行ったことのない晴明神社にでも、と思ったのだが、バスが激込みで列も長く、事前に予測した進行通りに電車に乗るのが困難と判断して諦める。
夕食は居酒屋まんまるのきもち。大テーブルをちょうど占める形で座れたのでみんなでわいわいと。

二十四日

起きて朝食とるとまずバスに乗る。この日は揃って行動予定で、目的地は二条城。先日購入したパナソニックのビデオカメラを構えながら見物。庭園をみると紅葉の時期にもかかわらずあまり色彩が多くなく。松などの常緑樹が割と多くて、解説を見ると有事には使える樹木を植えてある由。
ぐるりと廻って、たまたま中でやっていた結婚披露宴を見物して。
昼飯を喰って解散、と考えていたのだが、十数名の団体様がまとめて入れる店をいきなり確保するのが難しく。京の街を歩きながら店を探し、なんとかランチを食べて、解散した。
最後二日は京都観光二日乗車券を使ったのだけれど、地下鉄バス乗り放題。大原まで足を伸ばすつもりがあるなら十分元を取れるので(国際会館駅から大原バス停まで往復700円、地下鉄が往復580円)。地下鉄乗ってバス乗って二日間で2000円なら良い値段だと思う。

二十五日

診療所の外来。透析開始時の穿刺に難渋して、ようやくなんとかなったのは昼近くなってからだった。
おかげで終了も遅くなり。まぁこういう日もあります。

二十六日

朝から娘が発熱する。他の症状ないし、寝かせておくしかないなぁと判断して、実家に預けてから出勤。
午後になっても今一つ調子が出ないようだったので、明日どこに預けるかいろいろ画策して、病児保育の予約をしていく。

二十七日

昨日よりは熱が下がってきた娘を病児保育へ。しっかり保育室に座り込んで挨拶もおざなりなのはどうかねと思ったり。
仕事始めたところで受け持ち急変の連絡有り。対応しながら予定の腎生検を実施して、午後の外来をこなしながらお見送り。外来終わると速攻で病児保育へ駆けつけて、時間ぎりぎりで引き取ってくる。大して仕事してないのにせわしない一日。保育園に子どもを迎えに行くというのは遅れちゃならんと結構なプレッシャーだった。

二十八日

今週自転車で出勤は今日初めて。なんだか落ち着かない感じ、ではあった。
受け持ち患者で結核発症があり、保健所から電話がかかってくる。役所って何をするにも動きが鈍い印象はあるのだけれど、こと結核となると迅速に電話がかかってくる。……忙しいので報告して欲しいなら質問項目をまとめて送り付けてきて欲しいのだけれど。

二十九日

土曜出勤して、そのまま当直へ。

三十日

当直明け。家に帰ってまったりしたあとで、自宅の庭整備の打ち合わせ。植木の整理や植え替えなどの相談を。

夜は東京カルカルにてSF作家クラブの企画に。
参加者は東野さんを司会に、藤井太洋さん、矢崎存美さん、高野史緒さん、片理誠さん。 「二作目出版の苦労」とか、結構内輪なお話を。「(作家になるために)簡単に仕事を辞めてはいけません」とか面白い話が。「アルケミスト」に出てくる、環境によって人生観・哲学が異なる人々をきちんと書き分けられるのが理想、という話には首肯するものがあった。


Written by Genesis
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