歳時記(diary):八月の項

一日

子どもたちは夏休みとして嬉々としているのだが、親はなにも変わらない生活....。

二日

夜のケースカンファは当科の研修医が担当。お題は血管炎。学問の基本は分類学、なんてお話からCHCC2012のお話。
ウェジナーさんはナチスに協力してた経緯があり、病名として残しておくことはよろしくない、なんて議論があったとか。国際社会のナチスに対する厳しい視線を考えるにつけ、冗談だろうがたとえ話だろうが「ナチスに学ぶ」などと口走ることは国際的な立場をなくす発言なのだろうと思ったりする。

三日

土曜日出勤、そのまま当直。
症状乏しい重症患者がさりげなく入院していて。週明けまで様子見は危険と判断して転送。結構どたばたした。

四日

明けて帰ってみると子供がプールに行きたいと猛アピール。体力的にムリです....

五日

忙しくしているだけで日が過ぎる月曜日。それでもまぁ終わって夜には「流れ行く者」を読む。

六日

数は多いのだけれど入院が入らなくて急変がないと比較的落ち着いていた印象になる。夜にはコミケットカタログDVDを入手。

七日

先生元気ですよね、なんて言われる。普通に病院来て普通に仕事しているだけに思っているのだが、パワフルだとか頑丈だとか言われて。
「休まない」「体調崩しているイメージがない」「疲れている風がない」ということらしい。……そんなもんかなぁ?

八日

休んでいる医師もいるので入院立て込んでも対応するメンバーの選択肢が限られているという。結局三人受け持ち増える。

「主訴:不安」って患者さんはなかなか難しい。

九日

当直明け。
夜中、痙攣を起こしている患者がいるというので相談に乗る。カルテを見ていると処方薬の中に痙攣誘発しやすい薬が入っている....。珍しい話ではないのだけれど脱力。

「透析の患者さんが来院するんで腎臓内科で対応お願いします〜」って言われて、来てみたら心筋梗塞だったりする罠。それ循環器科でカテーテル治療やってもらわんと助からんだろ...。

十日

コミケ初日。
朝からスタッフのお仕事に出かける。猛暑の中大量に倒れてくる熱中症の相手。寝る場所がなくなりそうでやりくりが大変で。幸い熱中症以外の症状を示していた人はそう多くなく、ある程度空調の効いた室内で休むだけで復活する人が多かった印象ではあった。

夜は東京湾大華火大会を見物。ま、こんな例外もあるということで。

十一日

コミケ二日目。
お買い物もしたい日だったのだけれど....そんなヒマどこにあるのかという状況で。一時間に40人倒れてくるとかいう状況はどうにかならんかと。気分は硫黄島守備隊帯同野戦病院軍医って感じの一日であった。
とは言え参加者数が十数万とカウントされている中では、その1%が倒れてくるだけで千人超えるわけで。超高温多湿の熱中症を養成しているような環境内で並んでいる人を対象にしたと考えると、健闘しているとも言えるのかもしれない。

十二日

流石に平日休みは取れずに業務に戻る。

十三日

週末に向けて少しずつ患者退院の予定が上がっていく。……処理、間に合うのかな?

十四日

普段通りにお仕事。入院入らなかったので淡々とお仕事できたのでよかったかな。

十五日

そろそろ休み前ということで退院サマリ・中間サマリの作成にいそしむ夜。集中力が切れてきたところで終了。

十六日

日中透析当番・夜も透析当番。間で休み前のサマリーを仕上げる。
夜帰ってみると子どものお泊まりの準備が進んでおらず、寝たのが3時であったりする。

十七日

昼過ぎに子どものお泊まりの集合。電車で出向いて、さて荷物積み、と思ったところで忘れ物に気付く。今更致し方ないのでそのままお願いしたが。
その後は家に戻りながら、買い物したりしつつ明日の自分たちの旅行に備える。

十八日

朝から相方と車で群馬方面へ。目的地は温泉と尾瀬湿原散策。
初日は沼田IC降りた辺りで食事できるところを探して、たまたま見つけた「ランチやってます」看板が出ていた寿司屋で昼食。他に客がいなかったけれど値段も手頃でおいしく頂く。
その後は通り沿いで入浴できるところを探し、結局花咲の湯で入浴。のんびり浸かった後で予約しておいたシャレーモンテローザへ。夕食はチーズフォンデュのコースということで腹いっぱい堪能。建物自体はやや古いのだけれど泊まるのに支障はなく、きれいに整った印象の宿だった。

十九日

メインの尾瀬ハイク。朝食ががっちりベイクドフレンチトーストということで、朝食摂らずに出発するオプションは摂りようもなく。もう少しさくっと済ませられる宿にすればよかったとかぜいたくなことを言っていた。
戸倉まで車で来てみると、鳩待峠まで上がれるとのことでえっちらおっちら登ってみる。実際には駐車場の残りがわずかだったようで、車を止めて出てみるともう駐車場の入口が閉まってロープで閉鎖されていた状態。ぎりぎりセーフでよかったと思いつつ、あまり無理しないほうがよかったなあ、と思った。
コースは鳩待峠から山の鼻へ下り、牛首〜竜宮小屋〜ヨッピつり橋〜牛首〜山の鼻〜鳩待峠と廻ってくるコース。季節的にはあまり目立った花の季節ではなかったのだけれど、それでも少しずつ咲いている花を見つけて楽しむような感じで楽しみはしっかりあった。
山の鼻に戻ってきたころにはもうちょっと体力あるかな、まだ余力あったかな、と思ったのだけれど、最後が登りになるので鳩待峠に着いた時には結構しっかりへばっていた。やっぱり山歩きでは余裕を持ったコース設定が大事だよね、と思い直した次第。
尾瀬では結構熊を見かけることが増えているようで、歩行中にも熊のものとおぼしい糞を二ヶ所で見かけた。山の鼻から鳩待峠へ戻ってくる途中では道端の草むらががさがさ音を立てて、見てみたら熊らしき黒い姿を見かけたりした。……こっちに気付いている風ではなかったのであまりそちらを見ないでどんどん歩き去ってしまいましたが。この対応がいいのか悪いのか微妙なところだとは思うけれど。

夜の泊まりはヴィラ花時計。昨日は食事がセールスポイントのペンションだったけれど、打って変わって廉価路線。食事も泊まりも悪くないけど、普通によいレベル。スキー乾燥室があったりするので、スキー宿にしたり、尾瀬ハイキングのベースキャンプ的な使い方に向いたところかなぁと思った。

二十日

朝食を食べてから、宿をチェックアウトして車を走らせる。せっかくここまで来たんだから伊香保の温泉入ろうぜぇということで伊香保の湯本にいく。……めちゃくちゃ坂上でしかも道が細いのでびびりましたが、無事に伊香保露天風呂に入ってきた。
その後は昼飯食べてから車を走らせて帰京。

二十一日

朝から新宿へ急いで、「風立ちぬ」を観ようと思ったのだが残念ながら間に合わず。朝飯を食べて、世界堂をうろついてから、子どもたちの帰京の出迎え。ちょっと心配そうに出かけたのだけれどしっかり楽しんで帰ってきたようで。娘は緊張の糸が切れたのか軽く一泣きしたが。

二十二日

相方がママ友とおしゃべりタイムしている間子供らの面倒を見ているという。

二十三日

久しぶりの出勤。
……で、入院が立て込んでくるという罠。まぁしょーがないよね。

二十四日

土曜出勤、そのまま当直。

二十五日

明け。割とおちついていた。
家に帰ってみると息子たちがプールに行きたいとのご希望で、アクアブルー多摩までお出かけ。背泳ぎでぷかりと浮くのがなかなか難しいらしい息子と、水中でくるりと回るのにはまっている娘と。まぁ楽しく遊んだからいいか。

二十六日

外来に加えて入院も立て込む罠。ひぃぃ。

二十七日

夜は腎生検カンファ。相方感冒につきその後の納涼会は失礼したのだが....焼き肉行きたかったなぁ。

二十八日

夜病棟飲み会。終わってカラオケ行ってみて、「自由の翼」歌ってみる。……JoySOUNDの「自由の翼」歌詩が普通に表示されない....覚えないと歌えないってか。

二十九日

朝から来院している患者さんが午後まで持ち越しになっている。出すべきと思われた検査を追加してみると...これ、入院必要じゃね?
手際の悪い前医を呪いつつ手配を進め。まぁお互い様と思うしかないのだけれど。

三十日

夜は当直。
あまり数も来ず、穏やかではあった。

三十一日

明けて、そのまま土曜日勤務。午後まであるのはやはりちょっときついかな。
帰ってさて寝ようかというところで病棟から患者急変の報。緊急手術必要ということで外科医への相談も進んでいるという。そのまま対応をお願いはしてしまったのだが....不眠。


Written by Genesis
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