歳時記(diary):九月の項

一日

土曜休み。録画しておいたSONGSさだまさし特集を聴く。
「前夜」で朱鷺のことがでてくる。ニッポンという名前の鳥と歌うのを聴きながら、ふと他にもニッポンという学名を持つ生き物がいるのかgoogle先生に聞いてみた。……他にはみつからず、朱鷺のことばかり。
japonensis、という名前をもつのはタンチョウヅル(Grus japonensis)をはじめとしてタイコウチ(Laccotrephes japonensis)、ヒグラシ(Tanna japonensis)、ヤマトヒメミミズ(Enchytraeus japonensis)などあるようで。ニッポンでなくジャパン、なのはやはりラテン語で命名されることとも関係するのかなぁ。
学名にニッポン、という言葉を含むのはあとはNipponites、所謂異常巻きアンモナイトが有名だろうか。日本古生物学会のロゴにも含まれるあたりはやはり日本を代表する「ニッポン」なのかもしれない。

二日

日中雨を衝いて矯正歯科へ。子どもの歯並びについて相談。成長過程も含めて理論的な説明を拝聴しつつ。自由診療なのでそれなりのお値段がするのでさてどうしようかなあ。

三日

外来。なんか少ない、と思うと、先月の一週目を休んだ影響と思われ。

四日

午前中透析診療所の外来。終わってから病院戻って患者回診。その後はひたすら週末に迫ったケースカンファレンスの資料作り。

五日

相方とともに休暇。「おおかみこどもの雨と雪」を観賞。
こどもを抱えながら毎日があっという間に過ぎ去っていく中では、自分たちの気持ちとマッチしているというか、今観て良かった映画だと思った。
活動的な雪、内向的でひ弱い印象の雨。成長に従ってその姿は少しずつ変わっていく。けれども、エンディング近くで大きく育った雨もどこかしら子どものころの面影を残している。そんな風に子どもは育っていくものかもしれない、と思った。
個人的にはオープニングあたりで一橋大学や国立駅前の描写があるのがツボだったり。多摩地域ネタですが。

六日

腎生検があり、その後外来。わりとのんびりやっていたことが多かったのだけれど、最近患者さんが多め。定着してきた患者さんもおり、そのせいかなぁ。

早めに帰って子どもの世話をして、飯喰わせて寝たあたりで相方帰宅。そこで病院へ取って返してケースカンファレンスの資料作成を3時まで。さすがに疲れた....。

七日

夕方はケースカンファレンス。概ね無難に仕上がった、だろうか。

八日

日中で病棟を診て、午後透析当番。夜は当直。
なんだか結構来院があったんですが。最近暇な当直に当たってない....。

九日

当直明けで帰ったところで亡くなる受け持ち患者。病院取って返して家族に説明して剖検の依頼をしたりして。
帰ってきてみると子どもが遊びに行きたいとか言い出し。公園まで連れだして遊ぶのを監督。

十日

外来は結構予約詰まっていたのだけれど、終わって見れば普段通り。

十一日

朝の日課はぐずつく息子をなだめすかして教室に放り込むことになりつつある今日この頃。なんとか教室に入ってしまえば普通にしていられるようなのだが。

放射線による甲状腺への影響。この中では表2についての意見が分かれるんだろうなぁ。「日本人小児の甲状腺結節(腫瘤)、のう胞の発症頻度の参考になる可能性 があり、成人と同様に小児でもかなり高頻度に認められると考えられる。」としているけれど、一部の反原発・反放射能の人からは「福島ではこれだけの異常が出ている」ととらえているだろうから。

十二日

相方もわたしも帰りが遅いことが予定されていたので、母親に子どもの世話を頼んだ夜。
収入だけで言えば、相方が仕事をする必要は必ずしもない。大人二人子ども二人、わたしの給料で生活することは不可能ではない程度に給料を貰っている。では、喰っていけるならば仕事をしないだろうか。わたしなら否という。喰うためには仕事をしないかもしれない。けれど、やりたい仕事をやるだろう。医者かもしれないし農業かもしれない。給料は多少安くたって割に合わなくったって構わない、なにせやりたい仕事だから。
「人間は労働を通して社会的存在になる。」とかつてカール・マルクスは曰った。生活の不安がなくても行う仕事は、それがまさにやりたいことだから、と気付けないのはもしかしたら哀れなことであるのかもしれない。

十三日

夜、東京保険医協会へ出向いて「福島県における小児甲状腺超音波検査の現状と今後の展望」と題した講演を聞く。演者は福島県立医科大学教授の鈴木眞一先生。
「50歳未満の未分化癌(1年生存が稀)は稀」「放射線治療では20歳以上ではリスク上昇はほとんどみられない」「チェルノブイリでは、事故後に出生した子どもの甲状腺癌発症は増えていない」「調べがついた範囲で、外部被曝はほとんどが10mSv/year以下。内部被曝も1mSv/year以下がほとんど」「今回の甲状腺超音波は基礎状態を見るもの。今後の変化を評価するベースになる。」等々。
鈴木先生のProfileをみると、甲状腺・内分泌外科の豊富な実績を持ち甲状腺超音波にも詳しい方。こういう方が福島にいたということ自体が僥倖なのかもしれない。
第一次の甲状腺超音波検診でかなりの数の嚢胞や結節が指摘されたということで騒ぎになっているが、どうやら年少者の甲状腺には、もともと嚢胞などの異常所見が少なからず認められるものなのかもしれない、と解釈するのが妥当であるようだ。(参考)癌の発症は相当先まで認められるというのが過去の知見のようなので(参考)この検診も福島の子どもたちの生涯を追いかけるような検診になるのだろうと思う。

十四日

病棟の回診がさらっと終わってしまう今日この頃。寝たきりでお話も出来ない患者さんが多いのが主な理由だが....。

十五日

土曜出勤で透析当番。そのまま当直。
空いてるベッドを埋めるがごとく結構入院を入れる。緊急手術例もあり。それでも診た患者の総数はそれほどでもなかった。

十六日

明けて、夜間電子カルテが止まっていた分の入力し直しを。結構面倒....。昼近くまでかかってしまった。

十七日

透析当番出勤。
回診して、ちょっと病棟の患者も診て。普通に一日仕事。

十八日

病棟患者多い割にはなんとなくスムーズに日々が流れるのは病棟急変がないから、かなぁ。

十九日

入院複数受け持ちして透析当番やって夜まで。朝の子ども送りはルーチンワークということで。

二十日

専門医取りたいので論文書きたい、と相談を受ける。学会によって専門医の基準はさまざまだが、学会発表や論文発表を必須にしているところは少なからずある。
書けばいいんじゃない、ってところだけれど、論文にできるような症例がない、と来た。臨床やっているときちんとした研究をやるのはなかなか難しく、比較的手軽に書ける論文というと症例報告論文になる。症例によっては、書いて出せばまず載るだろうと思えるほど他に類例のないものもあるが、一方でそういう症例を引き当てることは稀だから、考察を工夫したりしながら新規性を打ち出せるように書くことに苦心することになる。
実際にはなかなか「論文向きな症例」が転がっているわけではないのでそんな相談に来たのだろう。そう思って、そのうち論文にしたいなと温めているテーマがあるのでそれはどう?と提示してみたら、書きにくそうと却下された。……いったい何をわたしに求めているのやら。

二十一日

午前病棟・午後回診。半日あれば大体患者さんの回診をして必要な対応は出来るけれど、日によっては午前も午後も何かしら予定で埋まっている日もある。半日でも病棟業務に専念できるのはありがたい、と思ったりする。

二十二日

自己都合で退職した元同僚が半年間のプー経験を売りに在籍時以上の待遇を求めて復帰を希望してきて驚いた。を読む。……事実は小説より奇なんでしょうか。

近所の神社のお祭り。子ども神輿が出るということで子ども連れて出かける。こういうのって多くはお母さんがたが取り仕切っているので、ふらりと出てきた男親としてはなんだか居場所がない感じで。子どももお神輿担いでいるんだかぶら下がっているんだかって感じではありましたがまぁそれなりに堪能。

二十三日

雨の休日、ということで久しぶりに本棚の整理をする。購入して読んだ本は本棚の上に積み上げてあるので、時々きちんと収めないと崩壊の危機を迎えるもので。

二十四日

外来は予約20人。それでも四時間ほどで終わる。初診も再診も混ぜてですが、まぁそれほど早いほうではないのは自覚してます。

二十五日

外来透析の処方。どうも電子カルテが処方を続けて出していると時々エラーを吐いて落ちる。再現性が乏しくてどこが悪いのかよくわからないのだけれど...。

二十六日

今日も処方日。……休暇が重なっていたことに気付かなくて入院透析も病棟も一人で回さないといけなくなる罠。まぁなんとかなりますがそれでも結構しんどい...。

二十七日

当直明け。朝方「飛び降りなんですが……」って救急車を受ける。ちらっとみただけでブラックジャックでも助けられないとわかる様な状態で。第一発見者にトラウマが残らなければいいのだが。
そんな状態でも搬送してくる救急隊もご苦労様だと思う。

午後外来で患者さんに「保育園以来ですね」って言われる。久方ぶりの再会、ということになりますが。地元出身故だがもう慣れました。

二十八日

夜はケースカンファレンス。司会を仰せつかっていたのだが、相方の仕事の都合で早帰りのリクエスト。困った、どうしようかなぁと呟いていたら、他の科の上の先生が「じゃあわたしが代わりますよ。わたしもよく他の先生に代わってもらってたし」とあっさり言ってくださる。驚いたけれども渡りに船なのでありがたく。
こういうのってある種の文化なので、養うのは難しいのだろうけれども。

二十九日

午前中は散髪したあと子どもの学校公開。
親を見つけるとそっちが気になって授業に手が付かなくなる長男を懸念して、物陰から様子を窺うように観ていたのだが、とりあえず邪魔はしていないようでよかったよかった。

子どもが帰ってきたところで、車を出してお台場。コミケの拡大準備集会へ。

三十日

朝起きて「宇宙兄弟」観たあともうちょっと寝ようかと思って寝倒れる。目を覚ますと昼ってどうよ。寝て曜日...。


Written by Genesis
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