歳時記(diary):七月の項

一日

当直明け。
いったん自宅に帰ったあとで、実家へ。姪たちと昼食食べたあと子供らが散歩に出かけている間しばしのんびり。
帰ってきたら夕方で、飯作って食わせると夜も寝る時間で。
ようやっと「モーレツ宇宙海賊」見終わったくらい。
「モーレツ宇宙海賊」最終回見ながら「星のダンスを見においで」を思い出した。海賊側の作戦はわりと似通っているかな、と。

二日

ルーチンワークを終了させるとスライド作っている元気がない今日この頃。

三日

外診療所のヘルプへ。午後で引き継ぐ予定が、引き継ぐDrが来られなくなったということで病院へ戻るのが遅くなる。まぁ大きな影響はなし。

四日

ひたすら処方せんを書きまくる午前。
夜透析の担当までして、帰宅。

五日

夜から当直。
気候が落ち着いているのか、ぽつぽつと来る程度でほっと一息。

六日

当直明け。
んでもって夜はケースカンファレンスの司会まで仕事がある罠。

七日

土曜休み。少しのんびりしてスライド作成したりなんだり。
夕方学童保育所へ息子を迎えに行ってみると一人だけだった。先生すみません、と思ったり。

八日

午後は勉強会、ということで午前中に書店に買い物。「ふたりの距離の概算」など購入して帰ってくる。

necomimi一般発売されている由。買うかなぁ。

九日

外来がすこうし少なめで少しだけゆっくりやれた。

十日

読売の記事の見出しを読んで奇妙な思いに囚われる。告訴がなくても捜査をすることは可能だと思うのだが....。
現状でも告訴・被害届はあくまで捜査の端緒としてのものだけで、被害届がなかったにしても何らかの事件があったと判断したら警察は独自に捜査を開始していい筈。親告罪である罪については裁判所への起訴を行う際に告訴がなければならないが、捜査を行い事実を詳らかにした上で告訴の意思を表明してもらって起訴、という流れでもよい筈だ。
強姦罪などについてはセカンドレイプの発生なども含めて丁寧な対応が求められていると思う。起訴に被害者の同意が不要となることで、被害者への配慮がより濃厚になるとは思えず。犯人を処罰するより何より平穏な生活に戻りたいという被害者の思い(それが正しいとは思わないが)をいたずらにかき乱す結果になりはしないかと危惧する。

十一日

夜透析当番しながらスライド作りを細々と。
学会発表ってしばしば「しまったぁこんなミスをしでかしていたとはぁ」という反省を突きつけられることがあって、楽しいとは言えない気分になるんだよね。

十二日

低リン血症の評価としてTRPとTmP/GFRの二つの指標があるのだが、どういうわけかTmP/GFRを求める計算式がなかなかみつからない。海外誌で見つけたので書いておく。
TRPが0.86(86%)以下の時、TmP/GFR=TRP×血清リン値。 TRPが0.86を超える時、TmP/GFR=0.3×TRP/(1-0.8×TRP)×血清リン値 

十三日

夜は東京腎生検カンファレンスへ。
あまり見ない症例が多いので、そういう意味で勉強になる。

十四日

午前中は透析外来、午後は救急外来。
引き継ぎが二人。すぐに来た救急車が二台にその他。取りあえず全力全開で診察して指示を出しまくると....看護師さんがついてこれない罠。「この人よりあっちの人を先に採血して」とかそんな指示まで出す始末。

十五日

朝から内科学会地方会。演題用意していたのだが発表自体はつつがなく。
行き帰りの電車で「ベイビー、グッドモーニング」と「ヘンたて」を読む。

十六日

ゆっくりする休日。
「人類は衰退しました」のアニメに「宇宙兄弟」のアニメに。衰退ダンスに中毒しつつある今日この頃。

十七日

外来の処方日。病棟の入院患者も一人受け持ち。
そのまま当直へ。結構救急車が立て込んで、二台待ってる状態とか出現していた。

十八日

お客さん患者さんが捌けて一息ついたところで病棟から電話。入院して受け持ちになったばかりの方が呼吸停止、と。
かなりの高齢で弱ってきている印象だったので一応経過観察、ということで入院だったのでちょっとびっくり。連絡を受けてこられた家族が「大往生だったんでしょうね」といってくださったのでそう納得してもらえればありがたい、と思ったり。
死期というのは閻魔様しかわからない、とわたしは患者様に説明している。もうそろそろ、と思ったら意外に持ちこたえたり、まだもう少しと思っているタイミングで急に呼吸が止まったり、する。そういうものだと思っていたほうがいいだろう。

十九日

腎生検の日。まぁつつがなく。

二十日

病棟診て、午後は総回診で。終わったあとでスライド作成を少々.....。

二十一日

午後は日直やって当直やって。なんだか先週も同じ事やってたような気がする。

二十二日

当直明け。帰りがけに髪を切って、帰ってきたあと昼飯を喰って。その後は昼寝してテレビみてでとってもだらけた日曜日。

二十三日

午前外来が結構立て込む。終わって一時半を過ぎていた。

二十四日

夕方透析の回診が終わったあたりで病棟患者急変とのこと。他の先生の受け持ち患者だったのだけれど、一緒にあーだこーだやっていると結局夜半過ぎとなり。帰って寝ると三時.....。

急変患者さんの緊急手術が終わるのを待っている間に従妹から電話。最近体調悪いのでちょっと聞いてみたい、くらいの内容。
Dr.G名乗れるほどじゃないけどいろいろ問診的な質問をしながら病気の解説をしていると「なぁんか、お医者さんみたいだねぇ」と。結構遠方なのだけれど中学生くらいまでは毎年行っていたので、彼女の中では中学生くらいのくらいのイメージの方が強いのかもしれない。
そういえば叔父には「遅くまで仕事で体力は持つのか」と聞かれた。ひ弱なイメージなんだろうなぁ。いや運動得意じゃないし、体が丈夫と思ったことは一度もないけどね。それでも、なんとなく大した病気もせず当直に夜外来とこなせているのは、何のおかげなんだろうね。ある意味では勿論丈夫なのだろうけれども。

二十五日

朝は六時過ぎに起きましたが何か。

午前中透析外来の回診、夕方から夜透析の回診。終わったあとスライド作成に手を付ける前、さすがに一眠りしないと無理でした...。

二十六日

予定の腎生検は少々手間取り。まぁこんなこともあります。

二十七日

できれば医学教育学会大会いきたいな〜とか思っていたのだが果たせず。

二十八日

午前中から慶応日吉で医学教育学会。午前中「専門医vs総合診療医の育成と課題」のパネルディスカッションを拝聴。「専門医の方には高齢化に伴って総合的な診療へ向かわせる圧力がかかっている」という指摘になるほどと思った。

行き帰りの電車の中で「いのちのパレード」(恩田陸)を読了。「夕食は七時」はどこかで読んだことがあるのだけれど、掲載誌のJ Novelは読んだ記憶がない。どこで読んだのやら。
「蛇と虹」を読みながら、アン・ペリーの事件とか思い出してたんですが駄目ですかね。

二十九日

ボーイスカウトの初代総長である後藤新平がスカウト運動の本質について問われたとき「人の御世話にならぬ樣。人の御世話をする樣に。そして酬いをもとめぬ樣。」と答えた、という文を読んでよい言葉だな、と思った。けれども同時に、「人の世話にならないことを優先するあまり、能力を活用できてない人も沢山いるのだが」とも思った。たとえば立ち上がる時に介助してもらえれば歩ける、という人が、介助を拒否してしまえば歩くことは出来なくなる。自分に出来ることは自分でということと同時に、自分で出来ないことを他人にやってもらうことはなんら恥ずかしいことではないと強調したい。

三十日

外来結構予定が入っていたわりにはどんどん片づく。……診察前検査の予定がない人が多かったせいか?

三十一日

診療所の透析外来当番。気持ちゆっくりして。

帰ってくると少々問題が勃発しており。プロフェッショナリズムの教育について思いをいたしたりする午後。熱心でありさえすれば問題ない、ってわけには行かないことがいろいろあるんだよなぁ.....などと。


Written by Genesis
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