歳時記(diary):十二月の項

一日

重症患者の転院に、救急外来からの高度脱水患者にとてんてこ舞い。加えて午後の外来には救急外来から廻されてきたちょっと重めの患者さん。
忙しくてキャパシティ超えたのはわかるけどさぁ、最低限相手のキャパシティを量りながら患者の移動を指示するくらいの判断が欲しいと思うんだ。もっともそれすら出来ないからキャパシティオーバーなのかもしれないけど。

二日

ピザが野菜の国から、8歳男児、肥満で親と別居というニュース。
愛があれば、SAS(睡眠時無呼吸症候群)の息子をそのままにしておいても赦されるってことなら、わたしはそんな愛は要らないって言いますなぁ。

三日

午前中から出勤して日当直。夜半に一人患者さんを看取り。
別れ際に「先生もご活躍を」と言われたのは初めて。

「損保会社が病院を提訴」の衝撃 の記事を読んで、日本もここまで来たかぁと。
同じ趣旨の訴訟が患者から起こされたとすれば特に目新しいことはなく、病院の処置の妥当性とか、病院の責任ではない他の要因があるかなどの検討を行うことでよいと思うのですが、保険会社が原告ということで、これが拡大解釈されていくと「保険会社に損害を与えるような医療を行った」ということで訴訟が提起されかねない気がするのですがどうなのかしら。
「外来で治療が出来るのに入院の指示を出したので損害受けた」とか言われたらやってられんのだが。

四日

当直終わって、午後から三多摩腎疾患治療医会。特別講演として長瀧重信氏(長崎大学名誉教授)が放射線障害について語る。
長瀧先生はネットでは原発擁護派の御用学者という扱いがわりと広くあるようだが、言っていることは少なくとも医学的に間違ってはいないように思う。「放射線によって死んだ」ということを証明するのは、急性放射線障害でもない限り難しいことで、放射線障害によって癌その他の病気が起きたといっても、「病気は自然にも起きるもの」とも考えられる。となればその証明方法は疫学の手法によらなければならない。他の地域と比べて、高放射線にさらされた地域で統計的に有意にとある疾患の発症率が高く、しかもその理由が他の因子(たとえば年齢や食習慣や生活環境など)で説明がつかないとき、放射線によって疾患が増えたと考えていい。
自民党の古川俊治議員が国会で取り上げた原発労働者の低線量被曝に関わるデータ、非常に重要なものだと思うのだが、解釈がやや恣意的な印象がある。「実は存在していた『低線量被曝データ』」のなかで、有意差が出ているにも関わらずそれをタバコや酒のせいにしていると書いているのだが、癌の誘因を考える上で酒やタバコは避けて通れない課題だ。非喫煙者に対し喫煙者の相対リスク(relative risk)は全がんで1.6にもなる。単純に解析すると有意差があるとしても、放射線を沢山浴びた作業員の喫煙量が多かったとしたら、それは喫煙の影響なのか放射線の影響なのか、判断はきわめて難しいことになる。そこに焦点を当てて解析することで差を明らかにすることは可能なはずで、差が出ないとなれば、放射線の影響があると断言することはできないのだ。
長瀧先生は「ポリシーと科学的事実をわけて考える」ということを強調していた。同じ事実を見ても、ポリシーによって導かれる結論は違うし、ポリシーと事実を混同してしまえば議論は不毛になっていく。講演の中で目新しい話は実はなかったのだが、そういう姿勢は押さえておきたいと思った。

五日

午後、救急外来に心筋梗塞患者ありと。維持透析中ということで循環器科と一緒に対応。……予後厳しそう。

六日

診療所の回診の合間にNew England Journal of Medicineを手に取る。Ful coverage for Preventie Medications after Myocardial Infarctionで、結論を要約すると、心筋梗塞後の患者に医療を行い、費用を保険で全額給付した群と一部自己負担を求めた群とにわけて費用や予後を分析したところ、予後は変わらず総医療費も変化しなかった、ただ全額給付群で服薬のコンプライアンス向上と血管イベント再発の減少が認められた、ということだ。
これを敷延すると、いわゆる「痛みを感じることで無駄な医療費を削減する」という名目で行われている自己負担増強によっては医療費は減らないし、むしろ疾患の再発の可能性を上げてしまうということになる。
この研究では心筋梗塞後の患者のみ取り上げているのだが、この間徐々に上げられてきている日本の保険給付でも同様の研究が出来ないものかと思う。「総医療費が減らない」ということからすると、あとは負担割合の話になっていく。医療費総額の伸びを抑えるために負担割合を変える、という理論が破綻するのかどうかが興味深いと思っている。

七日

医局秘書の人に「そろそろ総合内科専門医試験の結果が来ていると思うのですが」と言われて届いていないことに気付く。<トロい
受験番号確認して内科学会に電話してみると、全員分すでに発送済みと。届いていないんですがというと「発送先は合ってますか?」なにせ受験票も届いているのではいというと「えーと、○○市ですよね?」……どこですかそれは。
どうも他人の名前での届けを間違って処理したのかなんなのか、わたしの所在は現在地から遠く離れたところになっていました。そういえばここ一二ヶ月学会誌が届いてなかったと気がついてみたり。

八日

午前中入院患者の対応で忙殺されて、午後は外来で。でも割りと早く終わって帰り、夕食にすき焼きを。

九日

病棟で看護師長さんが「本でも買ってね〜」「お菓子でも買ってね〜」といいながら配りものしていた。手元をみると……賞与の明細。
「お小遣いレベルかよっ」って突っ込みが。でも微妙にみんな納得している雰囲気だったのは....なんだかねぇ。

十日

一日家で子どもの相手。
自転車でお出かけしたいと息子が言うので、後から自転車でついていく。それなりによろよろしてはいるのだがきっちり坂道も上りきり、車にはねられもせず進んでいく。駅一駅分サイクリングして、お買い物までして帰ってきた。少しずつ成長しているんだなと思うのはこんな時。もっともよろよろ具合を見てるとあんまり心臓にはよくない伴走だった。

粉ミルクからセシウム検出とのことで、産婦人科学会がコメントをだす騒ぎになっている。ところでこれまでカリウム40でどのくらい被曝していたのかしらんと計算を始めてみる。
……と思ったらすでにtogetterで議論済み。この育児ミルクにはカリウムが1kgあたり7.9g分入ってて、カリウム40の存在比は0.01%程度なので、この中には1gに放射性カリウムが30.8Bq含まれている筈だから、 1kgあたりの放射性カリウムを計算すると240Bq含まれてることに。
これまではもっとひどかったなんてお話もあって。つまりは大騒ぎしなくてもいいということかねぇ。

十一日

朝から家の周りの木部にペンキ塗り。うっかり多めにペンキを出してしまったので使い切るまで塗る羽目になる。

モーレツ宇宙海賊PVキタ...

十二日

外来終わったあとICUで気管内挿管患者の抜管。結構久しぶり。
抜管したら急変、ということもあるので再挿管できるように心積もりしてやるべきものという事になっている。少々緊張してたけれどスムーズにできて何より。

十三日

朝から透析診療所の回診。数が多いので午前中いっぱい立ちっぱなし....。

病院の仕事終わって時計の電池交換をしに行って、帰りがけに自転車のペダルを漕ぐようにして始動しているバイクに出会う。調べてみるとPeugeotのVOGUEらしい。自転車として漕ぐような動かし方もできるようだが、あくまで扱いは原付との事。スクーター買うならこういうのがいいなぁ。

十四日

患者数はそれほどでもないけど重たい人が多くてなんだか落ち着かない。

十五日

夜は透析室技師の歓送迎会。宴会終わって家に帰ってさて寝ようと思ったところで看取り方針の方の心拍が落ちてきた由。行かなきゃいけないわけじゃないとは思うけど、やっぱり行って対応したほうがいいと思うんだよね。

十六日

ICUに透析導入寸前レベルの方あり。透析しない方針という触れ込みだったのだけれど結局やって欲しいと言う事で透析用中心静脈カテーテルを挿入。点滴もできないくらいむくんでいると言う事で点滴用中心静脈カテーテルも穿刺。
午後には自分の患者で血液透析導入が必要という事で透析用カテーテル穿刺。……一日に三回も中心静脈カテ刺すのはあんまりいい生活じゃない気がする。

十七日

当直明け。そして通常の勤務。
平日より早く帰れたなぁって程度なのはどうよと思ったり。

十八日

母親と子どもと三世代で高尾山登り。
好天に恵まれて何よりで。行き帰りとケーブルカーで途中まで行き、行きは一号路を、帰りはいろはの森コースを経由して四号路を。
子供らも多少ぶつぶつ言った程度で休みながら歩き通し。山頂でたっぷりお弁当を食べてご機嫌だった。

十九日

外来終わって昼飯の前にICU患者を見ておこうと思ったのが運の尽き。結局昼飯を食い損ねた....。

二十日

透析外来の処方がなかなか終わらず。結局昼飯を喰い損ねた。

夜は当直、と思っていたのだけれどよく当直表見たらそうではなく。あやうく当直弁当を食べてしまうところだった。

二十一日

透析外来の処方がなかなか終わらず(ぉ なんとか必死で昼食は確保した。
夜透析の担当までして合間で院内の発表会の講評となかなかハードな一日。

二十二日

久方ぶりで内シャント手術。血管は割とよかったのだけれど、予想外に時間がかかってしまって結局他の先生の手を煩わせる事になる。修業し直しだ.....。

夜は子供らのお迎えに。そのまま実家へ行ってメシをいただいてきた。

二十三日

朝からお掃除。昼前から子供らのクリスマス会。片づけだけで結構大変。
そのあとし残しの仕事をやりに病院へ行って、帰りがけにコミケカタログDVDやら本を購入。さらっとまわっただけで五冊くらい。最近そう言えば本屋行ってなかったな俺...。

「きのうの世界」(恩田陸)を読了。終わり近く、子どものおまじないの話からふと「球形の季節」を思い出したのだけれどそれとはまた違った結末で。
最近の恩田さんは序盤で提示された謎と作品の主題とが違っている感じで、謎についてはときに十分語られずに話が終わっていくように思っている。この作品は作品としてはしっかり終わったあとで謎が解かれた、そんな気がした。

二十四日

一日家でだらだら。「ヴァルプルギスの後悔 Fire 4」「キノの旅XV」など読了。

二十五日

クリスマスは日直。
午前中はあまり患者が来ず。交代が近くなったあたりから混み始めて、午後の外来は大盛況。お手伝いをいろいろしたり、した。

二十六日

An incidental finding of a gastric foreign body 25 years after ingestionという論文のまとめのことばに”occasionally it may be worth believing the patient’s account however unlikely it may be.” とあり。まず信じてみるのは大事な姿勢なのかもしれないと思ったり。

二十七日

本日当直明け。
日付変更ぎりぎりで来院したのは高校生。ヒステリー発作と思ったのだけれど住所は他県で成人の引率者が不在との事。救急車に同乗してきたのはやっぱり高校生ってことで、どうしろというのか。
結局三時間車を飛ばさせて両親においでを願い。なんだかなあ、と思った事例。

二十八日

夜は仕事納めを兼ねた医局忘年会。本年回顧企画にくじ引きと、ささやかながらそれなりに盛り上がって終了。

二十九日

年賀状作りして子ども連れて買い物して。冬休みモードに入っているけどあんまりそんな感じがしないのは何故だろう。

三十日

朝食食べたあとで実家へ向かう。毎年恒例もちつき会。足腰はともかく、握力含めた上肢の力が足りないんだよね.....。適当に交代しながら餅をつき終えて、すき焼き喰って帰ってきた。

帰ってきたあとでちょっと病院へ顔を出す。年末ぎりぎりに入院した患者の様子を見て、食事を食べさせてみて。
えん下障害、という病がある。食べ物・飲み物の飲み込みが悪くなる病気で、おそらくは桂宮様がこの病気。喉頭気管分離術を受けたか、気管切開のみ実施されたか、と思う。肺炎を起こしやすくなり、虚弱高齢者の肺炎はかなりの割合でこれ。嚥下に障害があるとなると食事をさせるのがなかなか難しい事になるが、一方で食事をさせなければ栄養障害から確実に衰弱が進む。年明けまで食事なしにするのがいやで休日出勤したわけなのだが。

三十一日

朝五時に起きてコミケットへ。
救護室的には穏やかな回で。全体を通してみても、一日目に更衣室列の整理がうまくいかなかったくらいと聞いた。
買い物は小説分野をさらりと。多少新しいところも買ってみたり。


Written by Genesis
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