歳時記(diary):十月の項

一日

土曜出勤。
午後に患者さんに病状説明。癌の告知をしたんだけど....わかっているのかいないのか、「ああ、子どものころから腸が弱いって言われてましたから」
ソレ絶対違うから。でもこういう人の方が長生きしたりすることは確かにある。

災害医療救護班を解消できそうということで一つの区切りが来た様子。 当院からも支援が組まれていたので一部なりとも参加できたと思っている。
記事中にもある気仙沼市立本吉病院は、常勤医二人がいたのだけれども津波で一階が水没、水が引いたところで不眠不休の対応を続ける中で医師が体調を崩して辞職するという事態に見舞われている。各方面からの応援医師によって診療を続けたのだが、この診療は保険診療では実はない。本吉病院は健康保険から見ると常勤医が退職したあとからは保険診療を行うことができず当然入院その他の対応もできない。仮に機材も人員も無傷で残ったとしても、常勤医がいなければ病院として存続することはできないのだ。
この辺の理屈は確かきちんとしていたと思ったのだがとっさに調べがつかなかった。多分医療法で管理する医師を置かなければならないとしている為だと思う。平時においてはもっともなことで、常勤医が確保できない病院に未来はないと思うが、急場しのぎをするため、ということでは、特に公的病院などでは一時的に非常勤にのみで診療をつなぐための規定があってもいいように思った。

二日

日中子ども連れてお出かけして。午後は組み立て式の本棚作って。ウチの相方組み立て式好きなんだよね....組むのは主にわたしなんだが。
夜は当直で出勤する。

三日

午前外来。院内紹介の人がいたのだけれど、長い経過の割に紹介はさらっとしたもので。過去カルテ取り寄せて読みながら外来やるのって面倒で。どうせなら紹介する時に経過のまとめ位しましょうよ。

四日

「脳の中、のぞけるようになる? 脳内映像の再現に成功」 なんて記事を読みながら「それって『秘密−top secret−』?」と思ったのは正常反応だと思います。

五日

入院もなく、病棟の患者も落ち着いている。のんびり仕事っていいよねー。

六日

午後外来やって夜は当直。それなり、という感じかなぁ。

七日

朝方電話で起こされたのは「指輪がはまって抜けなくなった人が来てます」まあ、治療ってより指輪を破壊するってことが対応になるのだけれど。指輪はしっぱなしだと指がむくんで抜けなくなることがあるのでご注意を。

八日

午前中だけ論文&ポスターの原稿準備。
論文の方は査読意見に対し直しなのだけれど、直したあとで「どこを直したか下線を引け」って指示が出る。逐次直しているとどこを書き換えたかなんて忘れてしまうのだけれど、latexdiffというツールがあるということで使ってみる。latexファイルの差分(latexdiffを日本語で使うには)あたりを参照して、

latexdiff -e utf8 <Oldfile> <Newfile> > <Output file>

でそれなりのものができた。ただ修正部分に改行が入らないという問題があるので、修正が必要だけれど。

午後はこどもと一緒にうろうろ。公園へ放り出しておくとすべり台とかでひたすら遊んでいる。体力無限大でいいよね....。

九日

引き続き子どもの世話をする日。
天気もいいので昭和記念公園まで連れだす。うっかり食い物・飲み物の用意を一切してなかったので中に入ってから調達することにはなったが。サッカーボールも持っていったのだけれど、それよりはわんぱく広場の遊具で遊んでいる時間の方が長かった。

十日

透析当番出勤。
空いた時間で書き物したりもしながら。

十一日

そうか、やっぱり香川県というのは世を忍ぶ仮の姿だったのか。

十二日

当直明け。そのまま処方日の業務をこなしていく。夜には会議まであって。

十三日

午後外来は割と落ち着いていた。時間かかる人もおらずのんびりと。

十四日

明日の発表に備えて読み原稿作成。読んでみると時間かかりすぎであることが判明。慌てて直前からポスター本体まで含めて直しを始める。

500Bq/kgの米ってどのくらい危険なんだろうと思ったり。日本人の摂取量が60kg/yearだそうなので、137Cs 30000Bq/year程度の摂取、というのが想定されることになる。これって何Sv?と思って計算して。
BqとかSvとかを必要に応じて変換しながら議論しているシーンはあまり見かけない。

十五日

腎臓学会東部会。ポスターセッションのためにポスター張りにいく。張ってみて気付いたのだけれど明朝体だと文字が薄くて沈んでしまう.....初歩的なミスをしてしまった。
腎炎の治療のシンポジウム聞いて、ポスターのプレゼンテーションして。

十六日

早朝に電話。週末入院したばかりの方がなくなった由。出かけて看取り対応して、いったん朝食摂りに戻ってきてから日直でお仕事。
わりと少なめで、気候がいいせいかなぁ。

十七日

午前外来やって午後臨時で腎生検を。

十八日

夜から当直。
一昨日もそうだったがそれほど混まず。そろそろ冬も近いので、そうなると大変なのだけれど。

十九日

「患者転院:220人、透析担当医に1億円報酬」ってニュースに頭痛くなるような思いが。
結構医者についていく患者さんはいるので、大学病院などでも医者が移動するとそれについて結構遠い病院まで外来を移動したりする人はいる。それにしても、引き抜いて連れていってそれを理由に給料増額を求めるってのはタカりの構造だと思うのだが。

二十日

午後外来に結果を聞きに来院した患者家族。他の先生が診察・検査したのみでわたしは全くの初めてなのだが「検査の結果をもとに対応を決めて欲しい」と来た。家族の話だと前に診察した医師が家族だけ受診すればいいように説明したようなのだが...。
診察しないで薬出すのは医師法20条違反ですが。そもそもわたしは話だけ聞いて診断も治療も出来るほどの神医者ではないので。なんか間違えてるよな.....。

二十一日

人の配置を間違えて一人でわたわたしていた午前中。昨日酔いつぶれて重役出勤になっていた奴が約二名いたのが一つの誤算なのだが。

私の新医師宣言。常に悩みながら「善くあれ」と行動する、ってのが基本原理かなぁ。

二十二日

家庭サービスの一日。
午後無料のミニコンサートがあると言うことで子ども連れていってみる。──子どもが速攻で退屈したので早々に撤退。こいつらどっちかと言うと多動の傾向だからなぁ。
曲目にはジブリメドレーとかも入っていたのだが、そこにたどり着く前ってのがなんとも。

二十三日

朝から車でボーネルンド イオンモールむさし村山店へ。あそびのせかいがお目当て。
目論見通り大興奮で遊び倒していたのでその隙に相方がお買い物を。初めはボールプールではしご登ったりボール投げしたりしていたのだけれど、少し飽きかけたかというところでクアドリラ作りを振ってみたら、初めあまり乗り気でなかったものの作り始めたらしっかり乗っていた。

帰ってきたところで庭に鈴なりになっている柿を少し採る。不完全甘柿なのか渋柿なのか判然としない柿で。結局干し柿にしないといけないのだな....。

二十四日

夜医者同士で飲み会。焼き肉を食いながら。

二十五日

午前中ひたすら外来透析の処方、夕方も処方書いて。

二十六日

午前中処方日再び。終わると昼を過ぎるくらいには。
夜透析まで終わって帰る。

二十七日

午後外来に認知症の方が再来。初めに来た時よりはだいぶはっきりしてきていて、おそらくはアルコール多飲が影響していた人なのだろうと思う。
そのまま夜は当直へ。

二十八日

午後はこどもの就学時検診ということで早退して子ども連れて小学校へ。小学校入学を楽しみにしている息子は勇んで出かけた。
来た順でメニューをこなしていく形なので全体をみたわけではなかったけれど、みた限り父親の姿を見かけず.....育児参加と言っても現実はこんなもんかなぁ。

二十九日

Csの食品への汚染がこれだけ話題なのだが、どれだけ危険なのかを 具体的に把握している人はほとんどいないはず。
それゆえに余計怖いのではないかと思うのだけれど。
わたしたちが摂取する食物にもっとも多いカリウム40だったら何Bqある、なんてのを一緒に表示すると、受け取る印象はだいぶ違うと思う。安心は安全につながるものではない、けれどもね。

三十日

妹夫婦と待ち合わせて、昼飯を。引っ越したの相当前になったのだが、引っ越し祝いで壁掛け時計を。割といい雰囲気だったのでこれはよかった。
そのあと市民会館に移動して、もう一人の妹が出演するダンス発表会を観賞。今回は子供ら割りと静かにみていた。

三十一日

夏休み。(もうすぐ立冬だという突っ込みはこの際不許可)
スパリゾートハワイアンズまでお出かけ。東京駅から無料の送迎バスを利用。
震災で被害を受けたことなどからまだ動いていない施設がいくつもあるようで、ダンスショーも仮設のステージを用いてのもの。それでも十分に楽しい。子供らは早速プールで大騒ぎを始めており。さすがに野外プールは若干寒いのだが、温泉のプールなので野外プールでも水中にいればそれほど寒くない。


Written by Genesis
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