歳時記(diary):六月の項

一日

透析当番しながら脳内血腫が見つかった患者さんの転院先探し。
転院決まったら即診療情報提供書も書かねばならず、月頭ということで各種指示切れも多数。昼食摂ったのは三時だった....。

二日

手持ちのSASの有効期限が切れており。しょーがないので、というわけでもないのだがRに手を出す。とりあえずクロス集計表くらいはさらっと作れる。それ以上のことをするのにどのくらいかかるかなぁ。

三日

日々帰りが遅くなる今日この頃。木曜日は午後外来の後なにもなければ早く帰れる日なのだが。やることが残る。

四日

一日病棟仕事を。
入院患者さんが透析の患者さんばかりだと透析室で大体の仕事をしてしまうのだけれど、今はそうでもないので病棟で仕事できる時間はなかなか貴重。
飲み込みが悪くて食事は無理といったんは判断されたのに、諸般の事情あって食事させてみたら意外に食べられているという人が約二名。どういう理由かは謎。天命とか奇跡とか名前をつけてみたくなるほどに。

五日

透析当番してスライド作りして。なんだか一つ一つが進まない。

六日

午前中患者会に呼ばれて講演予定。……なのに朝八時に電話が鳴る。「消化管穿孔の患者さんにPMXお願いできますか?」ええい、病院行って手配して、講演には滑り込みましたさ。

ほんでもって夜は当直。また病院に行く。

七日

当直あけ。そのまま外来やって夜は透析当番まで。他の仕事やろうとは思っていたけれど、結局はバタンキュー。

八日

「なぜ私は救急患者の受け入れを拒否したのか」を読む。うーん、首つり自殺の男性かぁ、わたしなら「死亡確認だけならできます」っていうようなシチェーションだなあ。まともに助けて欲しい、最善の治療を行って欲しいって希望であれば、まずは医師一人しかない有床診療所ではなくて村上医師がいうようにもっと大きな救命センターを当たるべきだろうなぁ。
ただ北海道新聞の記事をみると、死亡確認のみとも受け取れるので、そうだったらみてもよかったんじゃないのとは思う。もっとも、死亡確認のみで、というようなケースでこんな報道をかけるほうには問題があるとは思うのだが。一番近いところで確認しても遠い病院で確認しても、結果は何にも変わらないわけで。
しかし、市内でCPAになると医者一人しかいない有症診療所に運ばれる、ってのは現代においてはぞっとするような救急医療体制だと思うのだが。

九日

外来透析の患者さんの処方日。日中次から次へと処方を書いて、夜の透析の人にもまた次々と処方を書いて。まあ、外来に専念している先生とかだと日に百枚くらい処方せん出している先生なんて珍しくもないのだけれど。患者一人あたり五分で八時間診てればそのくらいになる。

十日

昼過ぎに腎生検。終わってそのまま外来で、腎生検適応な患者さんが紹介受診。なんかせわしなくなってきましたねぇ....。

十一日

夜、「おしっこの話」ってお題で開業医の方向けに腎臓病・慢性腎不全なんかの話を。そんなえらそうなことしゃべっていていいのかと自問しつつ。

十二日

朝から大学まで行って透析医学会向けの発表原稿作り。
夜は戻ってきて当直。未明から調子の悪い人がいてけっこう寝れない夜であった。

十三日

当直明け。朝方一人患者さんを看取り、剖検をいただく。いったん家に帰って飯を食ってから髪を切り、昼過ぎから剖検開始。
終わって帰ると夕方。家庭に何にも貢献してないと怒られる週末。

十四日

調子の悪そうな患者さんの手術をやるかやらないかでちょっと悩む。
調子がいいときに手術したい気持ちはあるんだが、どうにかすれば調子が良くなるってもんでもなさそうだしな。うむむ。

十五日

病棟の看護師さんがいま大型自動二輪免許に挑戦中との由。
「勢いで、自動二輪と大型自動二輪の同時講習セットを申し込んだんです」
「免許とったらどんなバイク乗るの?」
「乗らないです」
「……は?」
「教習で乗ってたら怖くって
……この場合免許証の価値はどこに....。こういう人はトライクにでも乗るしかないのか?

机に戻ってみるとゆうパックが届いている。昔診た患者さんの家族から。かかりつけへの対応が必要、ということで送り返した人なのだが、紆余曲折はあったが無事退院しましたと報告とともに、不要になりましたのでよろしければお使いくださいと物品がいくつか。
患者さんから手紙が来ること自体はそんなに珍しいということはない。でも、丁寧な礼状をいただけばうれしいし励みにもなる。
ただ、穿った見方をすると直前まで入院していたところではなくてその前に診ていたところにこういった物が送られてくるというのは、「より良く診てくれたところにあげよう」と思ったってことなんじゃないかと思えていろいろ考えてしまう。

十六日

一昨日悩んでいた患者さんの手術が無事終わり。後は術後管理。自分の領域に戻ってきたと思えるので精いっぱいやっていくしかない。
周術期管理は日本では外科医の仕事になっている。しかし、"切る"仕事に長けていたとしてもそれによって引き起こされる体の変化を適切にとらえてそこに対して薬剤などの投与を行っていく仕事に長けているとは言い切れないと思う。むしろ、そこには内科的な視点が必要なのではないかと思う。
高齢化が進み、手術手技に長けていれば手術成績が良くなった時代ではない。高齢者や各種の疾患を持つ患者でも安全に手術前後をマネジメントし、場合によっては危険が大きすぎるのではないかと正確に見積もって本人や家族に伝え、治療方針の検討を行うような周術期内科医が多数必要なのではないかなと思う。麻酔科医は現在のところ数が少なくて、手術そのものにかけている時間が大きすぎて術後の管理を多数引き受けられる状態ではないし。

十七日

当直明け。入院ができない状況だったせいか患者もあまり来ず。

明日より休みという週末に限って退院が計四人予定されている罠。

十八日

水ぼうそうの子どもを親に預けて、透析医学会学術集会へ。
行く途中の道すがらで「バッカーノ!鈍行編」「テスタメントシュピーゲル」など読了。よみかけだったのだが。
道中のニュースとかで消費税率上げの話が聞こえてくるんだが.....税金上げるのって手段でしかなくって、一番大事なのは目的じゃね?と思ったりする。国債の返済を急ぐとか公共事業費を増やすためとか社会福祉に充てるお金を増やすとか、まず使い道の問題があって、必要なお金なんだけどどうにも工面が付かないから申し訳ないけど税金上げさせてよって話の流れを見せてもらえないと賛成はできないと思うのだが。今のところ具体的に上がってきている使い道って法人税の減税なので、ウチらからとっておいて黒字の企業に配分ってどういうわけだよコラって感想にしかならないのだが。

会場ついてまずスライドデータを登録すると、「適切なフォントのトランスレートができません」とかってエラーで読めない。Macで作った奴を持ってきたからかなぁと思いつつ、すべてのテキストをMSゴシックとArialで表示するように設定し直す。いくつかCentury Gothicのフォントのところがあったからそのせいかなあ。
夜は晩飯を食った後ちょぴっと「Virtual-On Oratorio Tangram」戦ってから帰る。発表のしゃべり原稿作るの忘れてた.....。

十九日

朝はよから起きだして、軽く朝食食べて学会会場へ。途中で漫画喫茶に寄って発表原稿をプリントアウトして、ランチョンセミナーの整理券まで手に入れて発表会場へ。
とりあえずはつつがなく終わって何より。

その後はアフェレーシス関係やら急性血液浄化関連やら、聞いて回る。

二十日

ちょっと寝坊したので朝一番からのセッションは聞けず。腹膜透析関連の教育講演聞いてから撤退。
帰りがけに「天冥の標II─救世群─」(小川一水)を読む。このパンデミックの設定は、なかなかえぐいと思う。いや、人がバタバタ死ぬ伝染病ってならいくらでも過去に例があるし、見た目に感染者であることが丸分かりになる病気ってのも天然痘やハンセン病などいくつもある。こっからさきはネタバレだと思うので控えるが、こんな病気相手にしたくねーなーと思わせるような設定と思う。
んで、第一巻とどうからむんだ?(爆) ざっとしか読んでないので詳しい固有名詞が頭に入っておらず。第一巻も読み直しかなぁ。
他には「ミニスカ宇宙海賊4漆黒の難破船」を読了。

二十一日

日常業務へ復帰。
休んでた間のいろいろに始末をつけて。割と落ち着いていたようなのは何より。

二十二日

午前中透析当番。
本日処方日ということで十分忙しかったのだが、さらに忙しくしてくれたのは本日初診の透析患者さん。他院で入院していて本日より当院外来で、ということだったのだが、診療情報提供書の内容がやけに乏しい。三ヶ月も入院してたんだからもう少しいろいろやったんじゃないのかと突っ込みたくなる薄さ具合。同送の看護サマリに書いてある病歴経過のうちいくつかのことは医師の診療情報提供書に書いてないという。
それでも患者さんがそれなりに元気ならば今日はとりあえず無難に済ませることもできたのだが、来て早々息苦しいと。どうも水が溜まっているっぽい。三ヶ月も入院管理されててドライウェイトも決められないのかと前診てた医者を小一時間(ry。
前の担当医に電話して一番聞きたかった心臓機能についての評価を聞くと「えーと、けっこう悪いですね」……おい。もう万事がこんな具合で。
もう少し徹底的につるし上げてやりたいところではあったのだがそこにかかずらっていると仕事が終わらないのであきらめた次第。
こんな日に限って入院は計三人入り。はあ。

二十三日

いくら大学病院からの依頼とはいえ、明らかに効果が乏しい抗生剤投与法で抗生剤が使われているならば従う理由はないよね、と思ったり。

二十四日

腎生検やって、午後は外来やって。まぁ普通に普通の仕事を。

二十五日

夜はケースカンファレンスの司会。
淡々と進めてもいいんだけど、面白くしたいと思うと難しいんだよね。

二十六日

当直の合間にWikipediaを眺める。「江戸時代の事件」のカテゴリながめて「貞享騒動」とか「三閉伊一揆」なんかを一渡り。
一揆って学校で習ったときには一種の暴動という印象もあって、その理由が生活困難であったとしてもあまりよいことではないような風に受け止めていたのだけれど、「渋染一揆」「三閉伊一揆」なんかの団結力・理性的な対応はとても近代的というか、現在でもこれだけまとまったデモンストレーションはなかなか見られないぞと思うくらいで。

さて、この夏の一票一揆、わたしはどのようにするか。
とりあえず「こども園」とかのたまいながらちっとも保育園を増やさない民主党に投票することはないのだが。可処分所得が減っているときにさらに可処分所得を減らす消費税増税はなしだろうと思うし、もしやるとしたらそれを上回るだけ低所得者層に何らかの給付がいかないと消費が伸びないと思うので、企業減税と消費税増税を掲げるところは却下。それだけで相当絞られてしまうのがなんとも。

二十七日

明けて、家帰って一息入れたところで三多摩腎疾患治療医会へ。
帰りがけにNAPsに寄る。(こっちが本命だったりとか^^;) 主にはリアボックスの鍵が壊れていて、その交換部品の購入だったのだけれど、店内セール中ということでついつい夏用の手袋とかヘルメットとか購入してしまった。この辺は消耗品だしね。

二十八日

午前外来はけっこう数が多く。終わって軽く病棟診た後は外の診療所の夜透析当番。せわしない。

二十九日

夜はW杯サッカー・日本-パラグアイ戦。夜の医局では「きっとみんなテレビみてるから救急外来には来ないよ」とかって根拠のない推測が交わされる。
NewEngland Journal of Medicine誌に"Cardiovascular Events during World Cup Soccer"なんて論文が載ったことがある。要約には"Viewing a stressful soccer match more than doubles the risk of an acute cardiovascular event"とある。これを指してオシム前監督が「わたしもリスクを冒している」といっていたのかは定かではないが。

三十日

自宅の空調が壊れる。全部ではないのだが、一階の空調が全滅。この季節に冷房なしはさすがにかなりしんどい。
でもなー、みたら94年製とかって書いてあったからなぁ。寿命という説もあり。


Written by Genesis
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