歳時記(diary):九月の項

一日

穏やかな一日。予定通りに事は進み、なべて世はこともなし。

二日

外勤。
午後外来やってると知らない患者さんが受付に入っている。(もちろん予約外来) カルテ開いてみると他の曜日に外来やっている腎臓内科の先生からのパス。でもどんな患者さんかさっぱりわからない。(滅)

またもやSASのプログラム書きを再開している。あるデータベースに書き込んだ値を参照したくてぐるぐる。キーになる値をsortしてmerge、でよいはずなのだがうまくmergeできない。プログラムをさんざんいじり回した後でふとSASに読み込まれた状態を確認してみるとそもそも元データの問題でまず読み込みでトラブっている罠。小数点があるとうまく読み込めないらしい。データを整理し直してから走らせるとあっさりOK。

三日

出勤途上で前を走っていたトラックの荷台には「性欲抑制装置付き」とステッカーが張ってあった。
トラックのステッカーってネタが多いな‥。

四日

来週の入院依頼が多いな〜と思って頭を抱えていたら、今日の外来でさらに増やされてくる罠。よっぽどぶち切れようかというくらいに。
かくして午後の入院調整会議では他の科と一大ベッド争奪バトルが。完全勝利とは言えないまでも、絶対防衛ラインよりは穫ったからよしとするか。

五日

当直明け。夜中呼ばれたのは血友病持っている人の外傷。幸い出血はすぐに止まっていてほっと一安心。

そのままいったん帰って着替えたりした後で、研修医向けの腎臓セミナー。私がしゃべるお題は薬剤性腎障害。ケーススタディして解説して。それなりには受け止めてもらえた、かな。

六日

日帰りで実家に帰省。相方が出かけている間子どもらを遊ばせていたが、一歳半と三歳半、それなりに一緒に遊ぶ。割とすぐに上の子が横暴を発動するので引き離すことが多いのだが。

七日

手術室に出たり入ったり。
午前中は腹膜透析カテーテルの出口部形成術の見学。午後には形成外科に依頼した上腕動脈表在化術の様子を。
手術室って割と好きであったりする。じゃあなんで内科なんだって言われるとなんだかよくわからないんですけど。

八日

腎生検やっているさなかに超音波の機械が壊れる。ハイテクに頼っている現状では検査中止にせざるを得ない。
医者の能力は果たして上がっているのか、こんなときふと悩んだりする。

九日

外勤。
一人、悩みの深い患者さんが。それほど、というわけではないのだが少しずつ腎機能が落ちている。しかし、これといった症候がない。経過を見るしかないのか、何か治療をした方がいいのか。

十日

午前中に回診すませて、休む間もなく腎生検を。最近立て込んでるなあ>腎生検 予定入院の方で通常の腎生検の時間が埋まってしまっているので、急ぎたい人は隙間の時間を狙ってやるしかない状態であったりする。
そして、午後は緊急で内シャントの手術を依頼。‥手術室の予定決めに間に合わなかっただけなんですが。

夜は講演会。慢性腎臓病と尿酸、がお題で、他にも小発表がいくつか。病院実習に来ていた学生さんたちも来ていて、帰り際に話していたら「こういう会って費用はどうなってるんですか?」って素朴な疑問が。会費ほとんどとらずにホテルで開催されて食事まで出るって、確かにあやしいよね。
はっきり言ってしまえば後援についている製薬会社とかが支払っているわけなんだが、こういう関係ってけしていいものではないよなあとは思う。どうしても会の中身に宣伝臭さが出るし。その費用は突き詰めれば薬代に跳ね返っていくわけだし。

十一日

普段通りにお仕事。予定の入院数が炸裂していたくらいか(滅)

十二日

オンコールで出勤。
自分の仕事をしていたら、消化器外科が緊急手術をするそうでエンドトキシン吸着依頼とのこと。終わったら九時を回っていた。

十三日

だらだらする日。子どもが騒ぎだすまで寝て、起きて軽く朝食を取ったところでカラオケへ。普段テレビで音楽聞くとノリノリな子どもらがカラオケだと静かなのは、やっぱり雰囲気も画面も違うからだろうか。‥‥昼寝タイムで眠かったのかもしれんが。
昼飯喰ってお買い物出て。間歇的に吹き出す噴水に突撃していった娘、びしょびしょになりながらニコニコ。着替えてさっぱりした後に、また噴水に突撃していく。しょーがない。

十四日

内シャント手術が立て込んでいる日。そういう日に限って一件目からハマる。見に行った研修医曰く、修羅場だったらしい。そりゃープレッシャーかかるだろうしな。
自分が担当したケースは比較的普通にできたのでやれやれ。

夜は研究発表会で中間発表。とりあえずは無難にすませ、課題も残り。うう。

十五日

腎生検して、夜は研究会の後歓送会。自分が今週いっぱいで仕事先を変わるために企画。
諸般の事情によりちょうど世代的に空白になっているところに自分が入り込んだということで、非常に重宝であったというのが実情であるらしい。自分としても面白く仕事ができたということで感謝。
記念品としてiPod shuffleをいただいて帰ってきた。

十六日

外勤。
普通に透析回診と外来をやって、最後にサマリを大量に書いて帰ってくる。約半年で交代ってのもなんだかなと思いつつ、自分の事情で‥と謝ってきた。
そのまま来年の後期研修説明会へ。まあ、事実上接待ですな(笑) 軽く食べて帰ってきた。

十七日

総回診。最後ということで挨拶など。

終わった後でごそごそお仕事していたら、「焼肉食べにいきませんか」とメールが入る。了承して、喰って帰った。

十八日

最終出勤日。

主に机の片付けを。できるだけいらないものを捨てて、必要なものだけにしぼって箱に詰める。箱は透析室にいくと山ほど補液の箱があるのでそいつをいただいて。
合計三箱ほど。それを車に積んでもって帰ってきた。

十九日

引っ越し。
昨日のうちにだいぶ荷造りはすんでいたので、朝子どもらを保育園に放り込んでから搬出作業。
終わってから単車を飛ばして新居へ向かう。つーか、昔住んでた家へ戻っただけなんですが。
高速を一時間みっちり単車とばして、かなり疲れました。
料金所手前で減速するためにアクセル戻してクラッチも切ったらその衝撃でか突然エンジンが停止。急激にアクセル戻したから燃料不足状態にでもなったのか。すぐクラッチつないだら押しがけされてかかりましたけれども。

二十日

片付けを少しずつ。
庭の整理も急ぐところから手をつける。義弟の応援ももらいながら進めた。

二十一日

ごそごそと片付け続行中。
買い物と子どもらを家から離しておく(いると片付けがいっこうに進まない)目的で、ちょっと遠目のホームセンターまで出向く。大きなお目当ては物置もしくは小屋だったのだが、それなりに良さげなものが。木製もしくはその風格のあるものがいいと思い続けているのだが、やれ基礎を作らなきゃとか値段が張るとか面倒なところがあり踏み切れていない。

二十二日

買い物とか庭仕事とか、少々。

インフルエンザの感染が拡大している。日々ニュースで死者が出たのなんだのと。若年層に感染が広がり、合併症のない方の死亡も伝えられるなど、なかなか厄介なことになりつつある。
ただまあ、シーズン毎の超過死亡数のサーベイランスを見る限りではインフルエンザ関連死亡が増加しているとは言えないように思える。まあ、ここではっきりわかる前に感染を押さえ込みたいところではあるが。
長妻大臣、ある意味とんでもない時期に厚生労働大臣をやることになったわけなのだが、さてどうするのか。

二十三日

電気屋へ洗濯機を買いに。帰りがけにHDDレコーダーを眺めてみるが、安いのを狙えばそう高いということもなさそうで。そのうちに、だろうか。

二十四日

片付けの手すきのときに「ヴァルプルギスの後悔 Fire2」上遠野浩平を読む。「ビートのディシプリン」とかなりつながってきたなぁと思うのだが、一読しかしてないのでうまく関連性をとらえきれない。再読するか。

二十五日

旧住居に出向く。退居の手続きをとりに。
新住居の地域ではゴミの分別が細かくて、うっかり旧住居のおおざっぱな分別でゴミ袋につめてしまったためにいまさら新住居ではゴミ出しできないという罠にはまっており。朝もはよから行ってゴミ出しまでした。
そのあと職場にご挨拶などしてから帰ってくる。

二十六日

子どもがストレスためている感じだったので自転車で連れ出したりとか。
やろうやろうと思っていて手を付けていなかった内科学会のセルフトレーニング問題やったりとか。

「獣の奏者エリン」を毎週楽しみに見ている。今週登場した女の子は、父も兄も教導師で、自分もその道に進みたいと思っていると語っていた。知識を得るのが好きで、本を読み向学心は高い。‥でも、それは"教導"を生業にすることとは実は直接結びつかないんじゃないのかなと実は思った。
研修指定病院でたくさん研修医や学生を見ていると、教え好きな人間が実は学び好きとは限らないことに気づく。よく学んでいるけれども誤りを教えたりしてしまうのが怖くてあまり教えない人、また自分が興味あることは積極的に教えるのだけれども知識が半端だったり偏っていたりすることに気づいていない人。後者は少なくとも(本人の思いとは違って)よい教師ではおそらくないだろう。本人は教師になりたいと思うかもしれないが。
「教えるのって気持ちいい、だからこそ怖い」とよく後期研修医には強調していた。自分の言葉を見つめ、見直しながら教えることは重要なことだと、常に意識することがよい教師にとって必要なことだと思っている。

二十七日

本日より豪州旅行。15:00ころ家を出て、成田エクスプレスにつないで成田へ。
20:25ゴールドコースト便に搭乗予定だったが、成田に着いた時点で21:30出発予定に変更になっていて、ちょっと余裕を持って夕食を食べたりしていた。が、21:30になっても搭乗が始まらない。到着遅延と整備遅れの重なりらしいが、結局22時過ぎにようやく搭乗が始まった。空いた時間にひたすら騒ぎ続けていた子どもたちは、飛行機に乗ってだっこされたところで割とあっさり沈没。おかげで夜の機内で子どもが騒ぐという事態だけは避けられた。
大人二人に一歳児と三歳児となると席は三つ。うまく四人がけの一席が空いていたので、そこも使わせてもらって寝たが、座ったまま背もたれに寄りかかって寝るのは子どもにとっては難しいことであるらしく。だっこしたりすると今度は親が寝ていられない。飛行機に寝台席とかできないのかなあと思ったりした次第。

二十八日

割と早くに目覚めてしまったので「ビートのディシプリン」を読んだりして機内の時間を過ごす。何となく当直明けのような。
飛行機おりて旅行者の人にピックアップしてもらう。今回一応ツアー旅行なもので。海外旅行三回目にして初のツアー旅行。そのままカランビン・ワイルドサンクチュアリへ。虹色いんこの餌付けやコアラのだっこなど体験してから、園内を軽く回る。一日かけてもいいくらい広いんだけれど、予定の関係であまり時間をかけられず。カンガルーもワニも見たからいいか。
その後は昼飯を食べてホテルへチェックイン。結構疲れてたので、夕食は町でケバブ(何故か結構店が出ていた)を買ってきて終了。

二十九日

夜はよく眠り。やっぱり子連れ海外旅行は余裕のある日程を組んでおくものだなあと思った。
今回食事は頼んでいなかったのでおもむろに朝飯が食べられるところを探しに出る。ホテル近くでSUBWAYを見つけてそこで朝食。
その後息子を連れて息子の水着を買いに。陽気なおばちゃま店員のお店で買ったブツは普通の海水パンツに同じ素材のTシャツ。紫外線が強いこちらではあまり露出の多い水着はよろしくないということで選択。日本ではあまり見かけないけれど、これはこれでよいと思った。
午後かなり日が傾いたところで海辺で砂遊び。ただし東海岸なので日陰はちょっと肌寒い。海に入っていると震えがくる。それでも息子は波打ち際で水遊びが気に入ったらしかった。

夕食はテラス席があるような店をいくつか回って、結局ベトナム料理へ。それなりに堪能。

三十日

朝食をSUBWAYで買ってきて食べて、シーワールドへのお出かけ。
旅行社のバスで送ってもらったが、そう遠いわけでもない。地元のバスやタクシーでもよかったかもしれない。
園内は結構広くてのびのびできる感じ。いくつものアトラクションが無料なのでそういう意味でも楽しめる。ただ小さな連れがいたので身長制限に引っかかるものが多くて乗れなかったのは残念だったが。
後は水上機がすぐ近くの海に着陸してたり、ヘリが離発着してたり。Water Park(つまりはプール)があると知ってれば水着も持ってきたのにとか、いくつか後悔があって。またいけたらいいなあ。

シーワールドから帰ってきたところで、相方のリクエストで日本料理のMIKADOへ。ClockHotelの3Fなのだが、開店時刻に予約を入れておいて訪ねたところ、何故かエレベーターが3Fに止まらない。階段ではいけないので何度かエレベーターで行こうと試しているうちに3Fのボタンが押せるようになった。どうやら開店までは3Fにエレベーターが止まらないようにしているのか、それとも何かの間違いがあったのか。
松花堂弁当はおいしかったのでよかったけれど。


Written by Genesis
感想等は、掲示板かsoh@tama.or.jpまで。リンクはご自由に。

日記のトップへ
ホームページへ