歳時記(diary):三月の項

一日

子ども二人連れて大洗アクアワールドへ。イルカの芸等もみたが、さすがにわかるにはちょっと子どもたちは小さすぎた感じ。個人的にはもちょっとゆっくりみたかったな、と。
とはいえ、子どもの遊び場なんかもあって、それなりに堪能したようであった。もちろん帰りの車内では爆睡を。

帰ってきてからETCの取り付けに。アンテナ・本体分離式のブツを買って取り付けまで依頼。
ETCカードをあとは用意しなければならないけれど、どこがいいのか思案中。

二日

週末で一人緊急入院が入って、緊急腹部CTを撮影。今日登録された読影コメントをみたら「緊急で撮る必要はなかったものと思います」とかってコメントが入っていて。
いや週末のうちに手術するかもと思ってたから撮ったらしいんだが。結果的には手術しなかったとはいえ、なんだか脱力。

三日

外勤行って、終わってから病院へ一旦戻って。
帰りがけは霙。「みぞれはびちょびちょ降ってくる」と書いた「永訣の朝」を思い出しながら、歩いた。

四日

回診前日で研修医の準備の監督をしてから、自分の仕事。
造影剤腎症、という病気がある。検査合併症というべきだろうが、造影剤を血管内に注入してCT・血管造影などを行った後に腎機能障害が起きることを言う。腎不全が基礎にあると発症確率が高いとされていて、時に造影するしないでもめることになる。
で、造影についての院内コンセンサスミーティングが開かれることになって、そこにだす基礎資料作りが下命されたわけで。論文読んで訳してまとめるのを三時までやっていた。

五日

普通の時間から回診が始まってましたが何か。

子どもの誕生祝いするってんで少し早めに(それでも七時)帰ってみると、日中から少しはしゃぎすぎていたのか主役はすでに沈没ずみという罠。

六日

昨日沈没していた子どものために、朝からケーキにローソク刺して吹き消したりしてから出勤。

よく掛け合い漫才しているH先生。最近よくネタにしているのは「ミクロの決死圏」。
「この人動脈硬化強いからなぁ」
「んじゃあ、中に入って処置しますか」
「そーだね、血管内に入ってプラーク破綻しないようにペタペタ壁塗りしてね」
「ついでにちょっと広げといてね」
「はがれた血栓が飛びかけたら拾ってね」
「ま、そんな感じで綺麗に治ると」
「問題は帰りのルートですね」
「うっかりすると脾臓でトラップされてマクロファージで処理されちゃいますね」
‥‥もちろん現実逃避の一環なんですが。

七日

子どもも相方もいない土曜日。出勤でもなくぽっかりと空いた一日。
意外と使いでに困ってしまう一日で。とりあえず漫画喫茶に出かけて「二十世紀少年」をひたすら読みまくる。それから古本屋で「眉山」と「きみにしか聞こえない」の漫画を買って、新刊で「星虫年代記1」と「赤い星」(高野文緒)、「銃とチョコレート」(乙一)を。

昼寝(というか夕寝)から醒めると八時。昼飯も外食しちゃったけど、メンドくさいから夕食も外食にしようかな〜と思いながら台所眺めてたら味噌汁の残りがあることを思いだす。
これは早く食べた方がいいなと思い直して冷凍庫をあさって炒飯をでっちあげる。味噌汁あるならって料理を始める感覚が自分でもちょっと謎。

八日

オンコールということで朝から病院へ。穏やかに済んでやれやれ。

で、Web逍遥していて牟田口中将の訓示のもじりを発見。‥‥牟田口廉也って人は、こんな意識で司令官やってたんだぁとかなり呆然。
大日本帝国時代の戦史を読んでいると、戦術の面ではそれなりに秀でた人もいて互角の戦いに持ち込んだりしているのだけれど、大局観とか戦略というレベルで負けているがゆえに、戦場の徒花に終わっている感じがするんだよな。

「塩の街」(有川浩/電撃文庫)読了。破滅の淵にある日本、のお話。極限状況にあってそれでも強くあろうとする人間のお話は好きなんだけれど、痛い。

九日

午後シャント手術。一例目が時間がかかって、二例目が始まったのが午後四時。終わって戻るともう夕食も終わった時間で、お腹が空いたと患者さんに言われてしまった。

十日

外勤。あったかくなってきて、数もほどほどで。善きことかな。

十一日

午後の病棟。調子の悪い患者さんがいて、痰からグラム陽性桿菌が検出されているとのこと。それ以上の情報はなし。
「グラム陽性桿菌かぁ、何を思いつく?」と某研修医に尋ねたらぼそりと「炭疽菌」。いやそれはないから、きっと、たぶん、おそらく。

十二日

総回診終えて、住民票取りに午後にちょっくら市役所へ行ったわけさ。手近な支所へいって庁内案内を見てみると、窓口どこにもなし。「窓口業務は本庁へどうぞ」‥‥だったら支所とか名乗るんじゃないと小一時間説教をしたくなりつつ、あきらめてバイクとばして本庁へ。

十三日

地獄の日。臨時で腎生検とシャント造設が入って、入院も三件。ようやっと切り抜けた、って感じ。
なんだか本日は快調にサーフローが入り。「ルートがとれないんです〜」ってヘルプを二件処理して自信をつけた。

十四日

地デジ対応にらみながらフレッツ光引きながら光テレビも導入する予定として、まずテレビを購入。それほどの大画面はいらないだろうと思いながら液晶画面のテレビを買ったのだが、よく考えると病院で病室に導入されている奴とほとんど同じだったりして。

夜は両親の還暦と祖母の米寿祝い。四世代揃ってどんちゃんさわぎを。

十五日

小熊さんの日記を読みつつ、そういえばこれだけ医療崩壊とか医者の逃散とか騒がれている割には医者の国外流出という話は出てこないと思った。要因を考えてみるに、一つには日本の医師(および医療従事者)は基本的に日本語で教育を受け、日本語で医療を行うことしかできない。特に優秀であったり自分で努力を積んだ人は国外で診療に従事する能力もつけているが、そこへ至るハードルは非常に高いと思う。
国民性、というところに理由を求めることもできるかと思うがそれを語れるほどの知識がわたしにはない。
逆に、過去日本において老人医療と健康保険本人の医療費が無料化され、健康保険家族だけが医療費の負担があるという医療費完全無料化の手前まで行ったが、その際にも医師の国外流出が問題になったとは聞いていない。ある意味、しばらく前の日本は「医療の無料化は必ず医療スタッフの国外流出を招く」という命題への反証になりえた、かもしれない。今は無理だけど。
現在医療費が無料(というか、税や保険料の負担のみで受診の際の負担がない)国はキューバなどだけではなくイギリスなどの西欧の国にもある。ただ細かくみていくと診察代は無料だが薬代は別扱いであったり、保険料が占める割合が高い(つまり医療関連の自己負担がそれなりにある)だったりはするようだ。またイギリスであるようにとにかく待ち時間が長くなる(特に高度医療・専門医療を希望する場合に)ケースもある。
わたしとしては、医療費の負担の問題と医療スタッフの流出の問題は必ずセットの問題だとは思えないでいたりする。もともと海外に仕事場を見いだす人は少ない民族であるだけに、充分な養成を行っていればそれほどの人不足には陥らないのではないかと。まあ少なくとも今の状況よりはましでしょう(炸裂)。

十六日

逃散した医者がどこへ行ったかといえば、どこへともなく、とでもお答えするのが一番適切かと。
医者はどこでも足りていないわけで、資本主義の原理に基づき、高給で招いてくれるところもたくさんあるわけで。ちなみに、わたしは現在本職の病院勤務で貰っている金額とほぼ同額を週一回の外来勤務で貰っていたりします。ホントのことだから始末におえない。
まさに小熊さんの感想通り、国内によい再就職先があるので、医者の逃散はなくならないのでしょう。

十七日

外来やって、透析をみて。合間で「村田エフェンディ滞土録」(梨木香歩)をちょっと読む。
夜は少し遠出して、臨床実習の学生さん達とお話したけれど。初期研修の場所を選ぶ時期で、なかなか悩みは深い、ようだった。

十八日

じわじわ増える入院患者数に把握が追いつかなくなりつつある今日この頃。なんか見落としているような気がしながら仕事するのは気詰まりな感じ。
明日は回診だ。

十九日

総回診。
終わって新入院の対応していたところで上の先生が現われる。「ボスからステロイド療法始めてって」あれ、その患者さんは回診の時には少し経過を見る方針にしていたのでは。
「実習にきてる学生さんと話してたら、考えが変わったらしくて。学生さんの目の前でわたしに電話してきたみたい」‥‥まあ、考えが変わることってあるよね。けど、学生さんもびっくりしたことだろう。学生の意見が診療の方向性を変えてしまうことはほとんどないから。

二十日

祝日。普通通り出勤して(死)、朝から救急日直やりながら透析の対応。
それほど呼ばれないのがよいところ、なのか?

二十一日

朝方来院した大学生は著明なアシドーシスがあるということでわたしが呼ばれる。‥‥なんだこりゃ? 訳が分からないなりにとりあえず補液してメイロン点滴してエコーをして。入院してさらに評価した上で循環器科が担当になっていた。

夜は当直バイト。精神科の患者さんが来たくらい、か。

二十二日

バイト帰りの電車の中で「獣の奏者」を読む。

駅まで相方に迎えにきて貰って、そのままスーパー銭湯へ。でも子どもと一緒だとあんまりゆっくり浸かれない。
帰ってきてから、さすがにハードだったせいか、二時間ほど爆睡。夜も早寝した。

二十三日

そろそろ年度末ということで浮き足立っている感じ。あんまりよいことではない、と思うなあ。

二十四日

外勤日。
諸般の事情あって本日最終、とお伝えしていたら、わざわざお花をいただいた。そんな大げさな、と思ったのだけれど、午後一時過ぎに同じ時間に外来をやっている部長先生にご挨拶したところで「いやあ、先生にきていただく前はこの時間から新患を診てましたから」と言われてちょっと納得。(断っておくが午前外来に受診してきた新患の診察の話である)

二十五日

ルーチン業務をこなして、週末締切の抄録を書き始めて。気がつくと午前様〜(死)

二十六日

総回診。だが開始時間になっても研修医が一人姿を見せない。何事もなかったように回診を始めつつ携帯電話に電話してみると、やや力ない声で「今から参ります、申し訳ありません」と。‥‥疲労がたまってきてるのかなあ、やっぱり。

夕方、腎移植があるかもと話が持ち込まれる。待機で患者さんも入院して透析。でも、待つ身はしんどいよなぁと思ったりする。こちらもじっと待っていると身が持たないので一旦帰って休むことにした。

二十七日

日付が変わったあたりで電話。腎移植手術が始まった由。やおら起きだしてみに行って。終わったあと明日締切の抄録を書いて、病院のソファで寝ついたのが午前五時。ま、いい経験にはなったけれど。
そのまま朝起きて回診。

夕方、四月から腎臓内科所属の後輩と打ち合わせ。院内の別の科で研修中の後輩が遅れてきて、ひどい紹介があって、という話になる。某開業医が、血圧がめちゃ低い患者を救急車も呼ばずに自家用車で二時間かけて送りつけて来たとの由。絶句‥‥。

二十八日

土曜日オンコール。比較的穏やかに日が過ぎる。
しかし。午後になって昨日話題の他科の急患が無尿とのことでPMX-DHP+CHDFのコンボを開始。開始時血圧80/脈150だったものがゆっくりと血圧120/脈120に。日付が変わる頃には大分落ち着いてみられる感じになっており、ほっと一息。でもまだ尿は出ていない....。

二十九日

そのまま病院に泊って1ー2時間おきに患者の容体をチェックしながらCHDF実施。朝で交代して帰宅。
それから三分咲きの桜を眺めて花見。

三十日

桜がなかなか咲き進まない冷たい天気。次の週末は満開の花見ができるかなぁと淡く期待してみたりする。

三十一日

年度末。既に本日出勤しない人もおり、年度初めくらい多忙にならないようにと今日に仕事を前倒しした影響でせわしない日。とはいえ急変もなく落ち着いていた。
夕方には新一年目の諸君が挨拶兼オリエンテーションに現われる。スーツ姿で病棟に挨拶させて回ったけれど、後で聞いたら「腎臓内科の新人はスーツ来て挨拶にくるなんて、他の科の研修医はしてなかったよ」と。いや単に全体オリエンテーションの合間で約束しただけなんだけどと話したり。
引き継ぎ資料作成はしっかりやっておくんだよとローテーターに言い渡してはあったのだけれど、いざ当日となるとでき上がるのは遅く。結局終わって帰ると日付が変わっていた。


Written by Genesis
感想等は、掲示板かsoh@tama.or.jpまで。リンクはご自由に。

日記のトップへ
ホームページへ