歳時記(diary):六月の項

一日

当直あけで母親と待ち合わせて大宮へ。入院中の大叔父の見舞いに。
リハビリ病院に移ったばかりというタイミングもあったのか、事前の話よりは元気そうで。昔の話をいろいろ聞きながら、今はもういない祖父のことを思い出した。
本を読みながら百姓をしていた祖父と、国語を講じていた大叔父と。生業は違えど、似たような基盤を持って生きてきたように、思えた。
介護の手配に頭を悩ませている大叔母やら従叔父にいろいろ尋ねられて答えながら、改めて実学を学んでいてよかったと思ったり、した。

二日

鼻づまり傾向に対して抗ヒスタミン剤飲んでみている。特に眠気が強くなった気はしないが‥‥もともとちょっと眠たい傾向だからそのまんま、という気がしないでもない。

三日

関東入梅、らしい。雨降らないといろいろ問題が起きるのは確かなんだが、それでもせめて自分が通勤する時間帯だけは降らないでいてくれると助かるなぁ、なんて。
でも、なんだか今年は普通に冬がきて春がきたという感じがする。

この一年ばかりちまちまと書いてきた論文がようやく雑誌掲載されて、載った号が届いた。えらい苦労したけれどもようやく一仕事終わった、という感じ。

四日

重心動揺計、という検査機械がある。直立姿勢で足裏の圧のかかり方を検出して、「ふらつき」を数値化するものなのだが。
機械の原理やなんかを説明していたら看護師さんが「つまりWii Fitですね?」って。──いや、なんか違う気がするんだが。

五日

こないだ掲載された論文の別刷りが届く。それはいいんだが、別刷りと一緒に請求書が届くようなことが書いてあったんだが、どこを探しても請求書は同封されてないように思える。まぁしばらく待ってみるしかないか。

六日

少しぬれた路面をバイクで走っていて、急ブレーキしたらタイヤがあっさりロックする。ハンドル切ってなかったのでまっすぐ滑って止まったが。
いい加減早くタイヤ交換しないといけないかなぁ。それほど摩耗はしてなさそうだったけれど、さすがに年数がたってゴム固くなってそうだし。

だいぶご高齢の女性患者さん。生活背景など聞き取りした内容を見ていたら、「過去の職業:メイド」って書いてあった。
──これはきっとホンモノのメイドさんだったんだろうなぁ。

七日

午前中で仕事を終わって、医療制度研究会の例会へ。初参加なのだが、お題が後期高齢者医療制度で、演者が遠藤久夫氏(社会保障審議会後期高齢者医療の在り方に関する特別部会元委員)となればどんな話をするか興味がありまして。
まぁ演者の先生がかなり予防線張ってて、制度への評価や批判めいた発言をしないようにかなり気を使っていた感じではあったけれど、この制度がでてきた経緯や以前の老人保健制度との差などについては理解が深まったと思った。
医療切り捨てのために制度を作ったという批判に対してはそういう意図はないと何度も言っていたけれど、作られたシステムのそこかしこに医療費節減につなげたそうな仕組みが目につくのは確かで。「高齢者に適切な医療を」という目標にしぼって制度を構築したら、もう少し違った組み立てになったのではないかなとは思った。

行きの電車で「ちーちゃんは悠久の向こう」(日日日/新風舎文庫)読了。ライトホラーな青春小説、という感じだろうか。文章のリズムに乗せられてラストまで引っ張っていかれる。何となく、乙一と雰囲気が似ているような。
日日日読み出すとかなり多そうだけど。

八日

日直。ぼちぼちと呼ばれながら、まぁ暇にならない程度に仕事。

お役人さんたちがタクシー利用で接待を受けていた、という話を聞いて色々思う。
構造としては医師への謝礼にも似たものがあるかな、と。医師にせよ役人にせよ、がんばって働いてるし時には長時間残業までしてるわけだ。それに対してタクシー乗ったときにビールが出てきたり患者さんからお金が包まれたりしても、正当な対価といっていいものじゃないのかという思いがあると思う。
一方で、この対価がほんとうに正当なもので当然に受け取れるべきものであるかといえばそれはNoだ。正当な対価は給与であり残業代でありせいぜいタクシーチケットまでである。タクシーでのビールや患者さんからの付け届けはいわばおまけであり、なくて当然のものでなければならない。今回の件について言えば、役人側にあって当然、正当な対価という気分が蔓延していたように思われるので、そこは正さないといけない気がする。
あと、役所が丸抱えしているタクシーチケットで乗車している客がビールなど飲むのは、小さいといえども役所の金で個人の利益を得ている構造にはならないか。サービスの範囲内との公式見解が出ているが、たとえば役所の備品を定価で稟議決済し、一方で値引きをしてもらって差額を懐に入れたらこれは業務上横領だと思う。少なくとも一般庶民にとってタクシーでビールが出てくるのは普通のサービスではない。普通値段に含まれないビールが出てきたとしたら、それはいわば形を変えた値引きなのだと思う。そういう意識はきっとなかったのだろうな。
夜でも時に緊急処置だの患者急変だので呼び出されている医者の眼から見れば、帰るのが遅くなるのが辛いならば、帰りやすいところに住めよと思ったりもする。公務員宿舎が霞ヶ関の一等地にあっても、それはそれで構わないと思う。もともと国家公務員なんて転勤族のはずだし。もっともタクシーチケットなんて制度がなくなったら職住接近じゃないと身が持たないと悟って近くに住み始めるのかもしれない。

九日

夜は来年度初期研修を終わる研修医へ向けて後期研修説明会。ウチはそんなに大きな病院ではないので主に内部向けなのだけれど。
終わった後軽く飲み食いしながら、患者の受け持ち数の多寡についてとか勉強の仕方とか、そんな話をちらちらと。

十日

ルーチンワーク終了後にちまちまと症例まとめを。結構激しい症例のことを懐かしく思い出せるのもよい転帰をたどったからだなぁと思ったり。

十一日

秋葉原の通り魔事件で被害者の中にB型肝炎患者がいたとかで、救護にあたった人は肝炎の検査を受けろとアナウンスが出ている。
気になるのは記事によって「B型肝炎感染の可能性がある人」「B型肝炎患者」「B型肝炎キャリア」など書き方に違いがあること。(2008. 6.11 22:34時点) たとえばasahi.comでは「患者」、mainichi.jpでは「疑い」。いくつかのブログでは「キャリア」と書いていたよう。
結構重要なポイントだと思うのだが、こういうところが記者発表で食い違っているとしたらかなり問題が大きいように思う。情報管理が不十分なんじゃないか、とか。
あと、こういう場合に公費で医療補助が出たりするのか今ひとつ不明確で。天漢日乗のエントリで「公費助成ありとのこと」と一言触れられているが、その情報の出所は不明。新聞記事にはその旨の記載はないよう。災害や犯罪・事故の際に自ら進んで救援に参加してくれた人を困らせない、という意味で、救援参加者に対し不利益を生じないような制度は作っていいのではないだろうか。

十二日

夜はお泊まり。
半年くらい前から血尿、と訴えて受診する人あり。──もーちょっと早く何とかならんかったかと。

十三日

カン、という奴がある。経験に基づく推測とでもいうか、根拠としてはあまりないのだが当たる人のものは結構当てになる。
原因不明の腎障害の患者さん、あれこれと検索を始めたのだが、最初に手を付けた心臓の評価で異常ありの報。当たりを引くことができたのかどうか、まだ確証はないのだが。

十四日

往診当直。夜になりがんのターミナルの患者さん宅から電話あり一度往診。もどってきてカルテ書きとかしていたら「呼吸していないようで‥‥」と再連絡。
なんだかあっという間に状態が悪くなった印象。死亡確認して死亡診断書を書いて。死亡診断書には死亡した場所の記載が必要なのでご自宅の住所を伺って記載する。普段病院の住所ばかり書いている項目なので、少しだけ新鮮な感じ。

十五日

「アメリカ 非道の大陸」(多和田葉子)を読み始める。二人称で語りが進むやや珍しい文体。時折混じる鋭い表現に感心しながら途中まで。
ほかはひたすら寝て曜日。久しぶりかも。

十六日

当直。
頻繁じゃね?と思った人はこの日記をきちんと読んできた人です。(笑) たまたま集中しただけなんだけど、こんだけ続くのはやや珍しい。
月に日直も含めて6回くらい、なんだけどね。

十七日

なんだか受け持ちが少なめ。もっとも透析当番のルーティンワークが多いので仕事がそんなに楽な印象はない。まぁ症例まとめ作りに精を出すことはできているが。

十八日

出先の診療所の机に転がっていたメンデルの評伝「メンデル―遺伝の秘密を探して」(オックスフォード科学の肖像)を読む。修道院の院長まで務め地元の名士として生涯を終えたメンデルだが、死亡時にはまだメンデルの遺伝の法則は知られておらず、気象やら農業の専門家兼聖職者として知られていた。
読み終えてみると、メンデルが長い間知られていなかったのは彼の控えめな自己表現と、時代背景ということになるのではないかと思う。研究手法を見てみるとある意味現代的であり純系であることを確かめて実験に用いたり統計的手法を用いたりと時代の先を行く考え方が取り入れられている。それが故に現代に通じる発見ができた一方で、時代には受け入れられなかったのかと思う。
明治時代の日本の医学者のことを振り返ると、ときどきメンデルと同じような不遇──世界の先を行く発見をしながら、それが世界に知られず埋もれている事例を見つけることができる。それはほとんどの場合日本語でしか発表しておらず、極東の片田舎の論文が欧米には伝わらずにすぎた結果だ。それが不幸なのかどうかはよくわからないけれど。

十九日

出張前ということでばたばたと仕事を片付ける。なんとか心置きなく行けそう、かな。

二十日

学会出張。朝病院に顔を出して少々仕事をしてから電車に乗る。

車中では「蒲公英草紙」(恩田陸/集英社文庫)と「アメリカ 非道の大陸」(多和田葉子)を。
「蒲公英草紙」は常野物語シリーズの一作。どこかにいそうな常野の人々がとても好き。そして、時代に翻弄されながらそれでも生きていく"普通の"人々がとても好き。

二十一日

学会二日目。朝八時から配られ始めるランチョンセミナーの整理券をもらうつもりで八時半に着いたら「すべて配布を終了しました」って。早っ。
結局昼飯は少し離れたところまで出て食べた。

二十二日

朝からランチョンセミナーの整理券取りに行って、それから発表いくつか聞いてから自分の発表。とりあえずはこともなく終わる。

帰りの新幹線では「茨の木」(さだまさし/幻冬舎)を。楽器の豆知識を随所にちりばめながら、スコットランド・グラスゴー方面への旅を一緒にしている気分になれる感じ。幸せな気分で読み終えた。

二十三日

夜敗血症っぽい患者さんにPMX-DHPを。準備して始めてさて経過を見ようかというところで子どもが発熱してるとの連絡あり。
それなりにへばってて水分摂れないってことなので夜間に小児科救急へ。幸い大して──小一時間程度かね──待たずに診てもらい、点滴始めたらだいぶ復活。薬もらって帰る頃にはそろそろ空が白み始めてました。

二十四日

昨日の続き。帰って来てもちろん寝たんですが、朝から仕事はあり。しかも今夜は当直ということで、さすがに普通に起きて仕事に行くと身が持たないと判断して一時間ほど重役出勤。
ちょっとでもこういう融通が利かせられるかどうかは、仕事を「続ける」ためにはとても重要なことだと思う。
何しろ当直中は普通にがんがん患者が来ましたしねえ....。前回も結構切れ目なく患者が来て、救急室から離れられなかったんですが。

二十五日

当直明けてそのままサテライトの透析診療所へ。
患者さんの様子を一渡り見た後は暇ができるのでしばし仮眠。熟睡というわけにはいかないけれど。普段だと本読んだりするんだけれど。

二十六日

月末締め切りの症例まとめのラストスパートに精を出す。日付変わる位まで....

二十七日

締め切り間際で申し込み書類に落丁を見つけて鬱.....いやどこの誰というわけではないのですが。
ウラ技荒技いろいろありますけどね。以前ウチの某上司は締め切り延長を捻じ込んでいたことが。

二十八日

日中仕事を終えた後でNAP'Sへ。そろそろCB400SSのタイヤがあやしくなってきた感じなので買い換えに。溝はまだあるけれども今一つグリップが悪い感じで、年数も経ってきたしゴムが硬くなってきたかな〜と。
品ぞろえを見てみると──でもあんまり揃ってない。純正のIRC製は一応避けてみたらDUNLOPのタイヤしか残ってない。K300GPとTT100GPでどっちにしようかと選んでたらそもそもK300GPのほうはリアとフロントそれぞれの在庫なし(サイズがあわなかった)。そんなわけでほとんど消去法でTT100GPを選択。
装着してしばらくは慣らし運転。もっとも通勤でちょこちょこと乗るくらいなので心配は少ない、と思うのだけれど。

二十九日

FREEDOMの三巻借りてきて観る。何故かウチのお子様はアニメ映像怖がる傾向にある(名探偵コナン観ながら嫌がったりしてたらしい)が、これもあまりお気に召さなかった模様。普通のドラマとかは特に嫌がらないのだが。謎。

三十日

症例まとめは何とか間に合わせて発送。
そういえばなんで証明写真の自動撮影機はあんなにあちこちにあるんでしょうかね。一人あたりにしてみれば年に一度使うかどうか、ってところだと思うんですが。
ちなみに自分が前回使ったのは‥‥内科認定医受験で受験票用お写真だったかな。


Written by Genesis
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