歳時記(diary):十一月の項

一日

逃散はもう始まっているかと思いますが。雨後のたけのこの如く報じられる勤務医退職→病院の閉院・診療科閉鎖の嵐は治まる見込みがありませんし。
診療報酬でまかなわれているのは医師の報酬だけじゃなくコメディカルスタッフの給料から材料費から全てであるわけで、財務省の言っていることはきついと評判の看護師の業務や院内感染対策や患者へのインフォームドコンセントなどで徐々に拡大している材料費・事務費すらも「さらに合理化(=コスト削減)の余地あり」って言っているに等しいと思うんですがね。
一回医療が崩壊するとどうなるか、ってのはイギリスを見ると学ぶことが多いようなんですが、再建のために多大なる労力とお金を払い込んでいるわけで。わかってないのは政府と官僚じゃないかと思いますな。

二日

夕方、診療情報部長先生の面前に引き出されて詮議。来るべきDPCによる診療報酬請求への対応策が議題。
「一入院で一疾患への対応」とかいわれてもそりゃあムリだべさ、と言いたいところなのだがそういえる雰囲気ではなく。この制度下では「診断が付いた上でその治療のために入院する」とか、「入院でなければ出来ない検査のために入院する」ような形を想定しているので、透析患者や高齢者のように複数の疾患が絡み合う病態への対応はハナから不得手としているように思える。
役所も福祉も「困っている人」の駆け込み寺にはなれていないのが現状、と思う。いよいよ体を壊したところで病院に駆け込んでくる弱者をどうすんのよ、って視点から見て欲しいなぁとおもうのだけれど。

三日

土曜休み。正確には祝日だが。
それじゃってんで買い物。目的は子どもの手が届かないような戸棚、ということだったのだが、結局チェストをひとつ。しかも組み立て式(爆) 帰ってくると当然のように組立に追われるのだが、なんとかそれなりに組み上がった。
もう一つ買った家具はブロンズ風のベンチで。家の廊下に置くと子どもがよじ登る。雰囲気はいいので良し、か。

四日

相方を講演会に送り出して、数時間子どもの面倒をみる。
まぁ基本的に言うこと聞ける年齢じゃないので、好き勝手に絵本を読めといって持ってきたり膝に乗ってきたり抱っこを要求してきたり。予定では昼寝させて自分は別なことするつもりだったんだが、そうは問屋がおろさず。まぁ面白いけれども。

夜は当直。

五日

夜中当直で診た重症肺炎患者を受け持ち。とはいっても治療始めたらあとは見守るだけ、ってところはあるのだが。
ところでこのお方、わたしの知人の某医師の祖父ぎみであることが後ほど判明。ううむ。特にやりにくいということはないのだが、奇縁に驚かされた。

六日

夜、研修中の先生の慰労会ということで呑み。前夜に呼び出されてなきゃしっかり呑んだところだったんだが。

七日

最近メールの取り込みにえらく時間がかかるようで。fetchmail -vとかしてみるとメールデータの転送にそれほど時間がかかっているとも思えず、スパムフィルタのbsfilterのところで時間がかかっている印象。
うーむ、外してしまうとメールの仕分けがさらに辛くなるしなぁ。

八日

透析の回診して会議一つ出て透析の回診したら四時。途中でちょろっと入院患者さんのところに行ったりはしているのだけれど、じっくり仕事した実感のないままに夕方になる。
なんだかなぁ、と。

九日

bsfilterの高速化については、データベースをRAMの上に置いてしまうという技もWebでは紹介されていたのだが、もともとRAMが潤沢とは言えないのとメンドウそうなので回避。データベースを一から作り直して、少し縮小することで手を打ってみる。速度の変化があるかどうかはやってみないと判らないのだが。
それとバージョンがやや古くなっていたようだったので最新版に置き換え。

十日

いつも通りに仕事して、夜論文の投稿作業。
電子投稿って初めてだったんだが‥‥世の中にはMicrosoft謹製以外のアプリケーションがどれだけあると思っているのだと小一時間(ry。図表ファイルに使える形式としてjpegすらあげてないってのはどうよ。ダレがわざわざPowerPointにしてやるものかと。
‥‥突き返されるかなぁ。

十一日

家にいてもあんまり読書が進まない一日。未読は結構山になってて、しかもそれに加えて冲方丁の最新刊買って来たりしてるんだが。
まあ一つにはbsfilterがあんまり早くならなくて、やっぱりRAMディスクにデータベースファイルをおこうかと下調べしてたこともあるんだが。

十二日

「MacOSXでRAMディスク」の試みは、調べてみると意外と難しくなさそうで。シェルスクリプトひとつでRAMディスクは作れる様子。ユーザーレベルでRAMディスク作れちゃうのはいいのか悪いのか。

十三日

夜病棟の歓送会。異動が激しくてね。
異動で新しい視点・技術が導入される、って面もあるんだが、そうなるには業務にある程度余裕がないといけない。現実には新しいことを学んでいる暇はなかなかないまま日が過ぎるのが現状で。

十四日

全盲の患者を公園に置き去りに」のニュースを見て、色々思う。
このケースでは患者を家まで送り届けたけれども玄関先で「受け取り拒否」にあったので、公園に置き去りにした、ってことのようだが、家族の方も事情があるようで仮にそのまま引き取ったとすれば家族の方が困ることになったらしい。一方で未収金も溜まっていて長期入院(それも退院の目処のない)となれば現状の医療保険制度の中ではこの患者さんは病院からすれば負担にしかならない。リンク先の記事の中で病院の保護責任について触れられていたけれど、退院扱いにした患者さんにまで保護責任が及ぶと主張する根拠はどこにあるのかじっくりと聞いてみたい気がした。
で、この患者さんの生存権を保障することができる組織は、というと、現状では役所ということになるのだろうが、おそらく役所は「家族がいるならばまず家族の扶養が先」と答える。役所は形式的に評価して他に責任を押しつけ、家族は責任を担いきれなくて投げ出し、その結果病院が「自分らが担わないと患者が死ぬ」という現状を見てやむなく保護していたのが実情だろう。ただ、病院にとってはその仕事はほとんどの場合経済的利益に繋がるものではなく、どちらかというと損失に繋がりやすい。まして今回のケースでは患者本人の行動に問題が大きかったらしい。こういった事件が起こる土壌は広くあり、「病者が患者になれない」現実から起きた事件なのだろうと思っている。

一方で、もともと病院や医療って「病気で困っている人のために」生まれてきたものだと思ってるんだが、いまの医療界はこの一番シンプルな原理で行動できないんだよな、と思った。病気で困っている人のために最善を尽くそうと思っても、金がかかると言われていろんな形で制限がかかる。
医療制度や医療費の負担について決めている偉い先生達は、実際の患者達の痛みを知らず、現場のスタッフに患者の痛みに寄り添わない対応を求める。そんな流れの中で生じてきている医療現場の「心優しさの崩壊」を示す事件なんじゃないか、そんなことを思っている。

十五日

未明に看取りがある。当直医に任せても悪くはないのだろうが、それでは納得できない気がして病院へ出向く。
──それで疲れためてりゃ世話はないと言われたら返す言葉はないのだが。

十六日

気がつくと最近あんまり受け持ち患者が退院していないような気が。寝たきりとか認知症持ちとか、多いもんなぁ。

十七日

午前中、子どもの保育園の保護者懇談会。それ終わってカロリーハウスまで行って昼飯喰って帰ってきて‥‥子どもと一緒にばったり昼寝。
子どもに起こされて夕食やら散歩やらして、子どもを寝つかせながらそのまま自分も夢の中へ。なんか喰って寝て、みたいな休日。疲労、たまってたな。

十八日

わりとゆったり過ごす。透析の勉強会に顔を出して、「学園キノ」を読んで。

十九日

夕方、研修医の先生が他院へ送る診療情報提供書のチェックをしてもらいに持ってくる。──気がつくと”てにをは"から文章のお作法からチェックを入れている自分がいる。
赤ペン先生するのも、必要なことだよね、うん。

二十日

相方から体調不良との報あり早め帰り。子どもがまだ起きている時間に帰れたので大興奮でまとわりついてくる。夜はいない人としてインプットされてそうだものな。

二十一日

当直。
夜半過ぎに吐き下痢が立て続けに三人。なあんか、ノロウイルス系のウイルス性胃腸炎ではないかって気が。去年も猛威を振るったし、そろそろ来るかなぁ。

二十二日

いつも通りにいつも通りな仕事を。

プレゼン中の「えー」とか「そのー」を無くす荒療治」。傍で研修医の病状説明を聞いてると同様のことを思います。どう直したもんかなー、とも。とりあえず、ゆっくり喋らせるのは有用、かもしれない。

二十三日

休日出勤で透析当番。
夕方の透析回診終わるとしばらく待機。その間に「黄昏の百合の骨」(恩田陸/講談社文庫)を読み終わる。「麦の海に沈む果実」に登場する水野理瀬の話。古い洋館、謎めいた死を遂げた祖母、一癖ありそうな叔母達。恩田さんの話では女性の登場人物に印象的な人が多い気がする。
文章の流れ、というか雰囲気が好み。

二十四日

午前中で仕事を終えて散髪と眼鏡の修理。
子どもが眼鏡に頭を斜め四十五度からぶつけてフレームがゆがんでたりする。さくっと直してもらえてよかったよかった。

「ニワトリはいつもハダシ【両A面】」(火浦功)購入。書店で火浦功作品売ってたらとりあえず確保しとかないと。相方に聞いたら昔読んだ覚えがあると。最近再刊ばっかりなんだが、遅れてきたファンと新刊に飢えてるオールドファンがターゲットなんだろうか。

二十五日

子ども連れて広めの公園へ。少年野球の大会をやっていて、横目でちらちら観戦。

夜、親父殿の誕生日祝いで会食。

二十六日

ふとした小さな囲み記事でエクストリーム・アイロニングを知る。──酔狂、と呼ぶしかないか。
もっとも酔狂は極めるためのものと思うが。ミョーな場所でアイロンがけしている人を見たら遠巻きに見守ってあげようと思う。

二十七日

物もらいを起こしたよう。眼科の診療の最後で診てもらったら、それらしいね、と。
そしたら看護師さんが「んじゃ、切りますか?」って。先生が「しっかり診察してからだよ」──切開はルーチンですか。先生自身切開好きなことを否定してなかったし。
もっとも診察の結果は自壊して膿の流出路ができているということで抗生剤点眼の処方のみ。

二十八日

体調不良の先生に代わって急遽当直を頼まれる。ま、お互い様だからとちょっとひきつりつつ了承する。

未読の本が両手ほど。小川一水の新刊とか冲方丁が三冊ほどとか。まだかわいいものかもしれないが。

二十九日

透析当番までやって帰宅。だんだん寒くなってきて帰ってくるとお風呂が冷めているのが哀しいところ。

三十日

生活保護扶助基準の引き下げってニュースに接して呆然とする。決めてる連中はまず一月生活保護水準の生活をして、それが「健康で文化的な最低限度の生活」であるかを確認してこいと思い。
実は生活保護の人より悲惨なのは生活保護を僅かに上回る程度の生活の人々で。生活保護になれば得られる援助がないために病気になると生活保護の人よりも状況がきびしい。収入の面で引っ掛かるならば仕事クビになれば生活保護を受けられ、医療扶助を受けられるが、持ち家だったり借金返済があったりだと非常にきびしい。ましてこれが生保水準を下回る生活の人だと何をかいわんや。何のための規定だと思ってるんだと思う。


Written by Genesis
感想等は、掲示板かsoh@tama.or.jpまで。リンクはご自由に。

日記のトップへ
ホームページへ