歳時記(diary):七月の項

一日

当直明け。
家に帰ってきてまずブランチということでガストに行ってしまう。最近週末は外食してることが多い気が。

「THE有頂天ホテル」をレンタルして来て視聴。とりあえずあんまり深いことを考えずに見て楽しむ。あっちこっちでいろんなことがごちゃごちゃと進行してるんだけど、最後には収まるところに収まっていくような感じで快い。

二日

雨っぽい天気が続いてすっきりしない。こういうときのバイクはしっかり上着を着ないと雨に降られたときが悲惨だし、一方で暑いので蒸すし。天候に左右されるのは宿命とはいえ。

三日

なんとなしに落ち着かずに動き回る。やることが多くてね。

四日

当直。
そろそろ日付が変わろうかという時間に二台救急車の依頼。続いてもう一台依頼が来たのはいずれも急性アルコール中毒。週末でもないのに何だろう。
このうち二人が未成年。付き添いがいれば付き添いに説教をするところなんだが付き添いなし。所持品から身元を調べて親へ連絡。これがまた片や埼玉、片や神奈川。一時間以上かけて迎えに来てもらいましたが。
酔いが醒めたところでどんな説教をされたのか、他人事ながらちょっと気になったりする。

五日

一日、なぁんか落ち着かずに動き回ってた日。
わたしに落ち度はないと思うんだが(ついでにいうと誰にも落ち度はないと思うんだが)急患とか予定外のこととかあれこれ立て込んだ揚げ句仕事がうまく行かない。あちこちに謝り倒したりしてなんとか事無きを得たが。
救いは患者さんに害は与えなかったこと、かな。

六日

外来にむくみの患者さん複数。話聞くとどうも塩分摂取量が多いように思え。食事指導だけで経過を見る方針にしたんだが、こうすると喋る量が多い割に病院は実は儲からない。
あとは心臓手術を勧められてるんだがお金がないと難色を示している患者さんも回ってくる。高額療養費やら身体障害やら生活保護やら、いろいろな手だてがあるからと話すと、話だけでも聞いてみるかと少し前向きになってくれた。
後でそんな話をしてたら某先生曰く。「生きてりゃ踏み倒すこともできるんだから」いや、それは。(^-^;;

七日

土曜出勤。
週末でもありやっぱり疲れがたまってたみたいで、帰ってきて風呂はいると子どもと一緒にばったり。

八日

日直ということで出勤。つまり休日はないということですが、そこに疑問を持ってはいけないらしい。

そーいえば医局に置いてあった新聞に退職勧奨:「子の障害」も例示した文書を通知とかって記事が載ってたんですが、これを決めた人はきっと親も子もいない天涯孤独の人か、さもなきゃ「病院に任せてある」とかのたまって金さえ払えば何でも他人に任せてOKだと思い込んでいる人だと推測。
現実には介護と仕事の両立が難しくて仕事を辞める人は数多いのですが、そいつを当たり前のことのようにいっちゃダメだろうに。

九日

臨時で腎生検。ちょっと難しめながら滞りなく終了。よきことかな。
各種シミュレーターはやりな医学教育界。採血も点滴も中心静脈路確保も心臓マッサージもシミュレーターがあります。内視鏡やらエコーやらの実技も、シミュレーターでまずは訓練というのが当たり前になってくるのかもしれません。もっともシミュレーターはどれもそれなりにお高いので、診療シミュレーションセンターみたいなものを作ってくれるといいと思うのですが。
さっと検索してみた範囲では腎生検のシミュレーターはない様子で。需要と供給の問題もあるしなぁ。

十日

夜、アスベストの問題に取り組んでいる医師の話を聞く。
患者さん本人がアスベスト曝露を自覚していないことも多いので詳細な職歴が必要ということや、直接アスベストを扱う仕事でなくても「アスベストを扱う職場に出入りしていた」ということから曝露しているケースもあることなど、話される。レントゲンなどからアスベスト曝露を疑った場合はかなり細かい問診が必要とのこと。
関連して日雇いやネットカフェ労働者などに結核が蔓延しているなんて話も聞いたのだが‥‥労働条件厳しい方はぜひ呼吸器科医のいる病院でレントゲンとってもらってくださいな。

十一日

帰ってくると相方が本を読んでいる。「”文学少女"と死にたがりの道化」。「おもしろいね、これ」とか言ってくれるのは悪い気はせずむしろ嬉しいくらいなのだが。自分が買って来た本を先に読まれることが最近多いのでなんとなく癪に障る。もっと癪に障るのは読む暇がない忙しさの方なのだが。

十二日

夜は当直。他に書くこともない‥‥。

十三日

「武士道」(新渡戸稲造/岩波文庫)を読み出す。明治から大正期にかかるということで、失われつつある精神としての"Bushi-Do"のことを書きたかったのかな、とか。
──もしかしたら「医道」も失われつつある精神なのかもしれない、ふとそう思った。

十四日

週末に退院を多数予定。紹介状やら退院時総括やらの記載に忙殺される。
昔に比べればあっさりした書き方になっているのは自覚している。簡潔で過不足ない内容であることが望まれるわけだが実際にはなかなか。
そーいえば某先生が過去に受け持った患者さんの退院時要約を見ていたら、長い経過を一枚に収めているのに感嘆しつつ、初日の治療について「補液は13517ml要した」とかってやけに細かい値が記載されていたのに首をひねったことがあった。何かの思い入れがあったのだろうか。

十五日

颱風襲来の中、東京ビックサイトへ。レジナビ主催の臨床研修指定病院合同セミナーへ。こんなものをわざわざ内科学会認定医試験の日にぶつけてくるのは何かの嫌がらせか?と思いつつ。試験でいけない人が多数のためにわたしにお鉢が回ってきた。
リクルートスーツに身を包んだ医学生相手に当病院のウリについてしばし語る。話していると相手がどのくらい自分について考えているかが分かるような気がする。「こんなことができたらいいな」がある程度明確な人、何をしたいのか自分でも分かっていない人。就職試験、ということ以前に、まずは自分との対話が必要なんじゃないかな?って人もいた。

行きで「涼宮ハルヒの分裂」と「”文学少女"と死にたがりの道化」を読了。
"文学少女"は良い。奇天烈でシリアス。「人間失格」を読みたくなる辺りがよろしい。

十六日

庭の草刈りをしてから「精霊の守人」(上橋菜穂子/新潮文庫)を読む。大分以前から名前だけは知っていた作品(たしかNIFTY-ServeのFSF"児童ファンタジーの部屋"で)だけれども文庫化で入手しやすくなったので買っている。
展開される世界観が素晴らしい。そして、登場人物がとても魅力的。最後まで一気に読み終えた。

夜は親と祖母と会食。祖母の誕生日を忘れていた不孝者の孫だったらしい。
喜んでくれたのが何より、かな。

十七日

夜、「医療政策は選挙で変える」(権丈善一/慶応大学出版会)を読み始める。半分ほどざっと読んだけれども視点が面白い。
経済学者であるだけに理論的・統計的な裏付けを重視する。「消費税はほんとうに逆進性が強いのか?」というような議論は思い込みを返される印象でなかなか面白い。医療費や社会保障費が本当に高額なのか?年金の財源はどうしていけばいいのか?諸外国の統計や日本の過去の統計を紹介しながら、考えさせてくれる本。
「医療費は政治が決めている、だから医療を変えたいならば政治を変えなければ駄目だ」という主張、「争点は多々あっても、有権者としてはいくつもの争点に自分の一票を投じるのは難しい」という分析はなるほどと思わせた。
参院選、わたしはもちろん医療費拡大を掲げる政党に投票します。すでに費用対効果が世界最高レベルに達している日本の医療、さらに質を上げようとするならば、費用の増加しかないじゃないですか。

十八日

柏崎刈羽原発の放射能漏れへの反応をmixiとかで見ながら。
個人的にはほとんど原発の直下で大地震があって、放射性物質が少量漏れた程度で治まってくれて良かったなと思うくらい。建設時に想定していた震度を超えていたと報道されるだけに、やれやれというところ。
今後、ってことでは、やっぱり原発を日本で動かすのは危険が大きいんじゃないかなと思う。どの原発でも直下型地震が起きておかしくないような地盤をしているだけに。すぐに原発を止める、ってのは非現実的にせよ、どうやったら稼働原発の数を減らせるかって方向へ政策を向けていかないと、いつかは大事故を起こすだろうと思える。──これは選挙で争点になりにくいテーマだなぁ。

十九日

受け持ちが現在少なく。ここぞとばかりに手間のかかる仕事に手を付ける。締め切り間際になってやるのはしんどい仕事、書類書きとか。
一応自分としては「今日できる仕事は明日に延ばすな」と考えているタイプと思っているのだけれど、今日しなきゃいけない仕事を終えると気力が尽きているのが現状。もちょい余裕が欲しいところ。

二十日

外来。一般外来ってやっぱり千客万来。人によって好みはあろうが、いろいろな方を診るのはけして嫌いではない。ただ、時間に追われさえしなければ。

二十一日

ネットをうろついているうちにラジヲマンの解説に行き着いている。読んでみたいなぁ‥‥。
原発事故の後で不謹慎とは思いつつ、こういうネタ好き。

二十二日

当直明け。病棟の患者さんの名前を見るともなく見ているとちょっと珍しい名前に目が留まる。読んだことのある作家さんと名前が同じ。「この人、もしかしてあの人かな?」
もちろん本名で活動してると決まっているわけでもないし、でも名前似てるし。かといって聞きに行くわけにいかないしなぁ。み〜は〜魂を宥めていたりする。

二十三日

当時グリフォンって雑誌自体知りませんでしたが何か。ちなみに知ったのは「ARIEL」読み出した頃だから1996から1997年あたりだと思います。ラジヲマン知ったのはこのあたりの記述であったかと。
ええ、あさりよしとおあんまりきちんとフォローできてないもんで。

二十四日

慢性疾患てのは患者さんの協力がないと治療がうまく行かないのが常識で。なので知的障害や精神疾患で「がまんができない」ひとは悪化しやすい傾向がある。
んで、病気が悪化するとさらにいろいろの生活制限が必要になるという悪循環。医療者にとってみると治療に手ごたえを感じられない患者さんとなる。どうすればいいという明確な方策はないけれど、しんどいのに耐えるしかない、かな。

二十五日

明日夕から出張、ということで事前準備を進める。事前準備して事後処理するつもりでないと休みが取れないのが医師の年休消化率が低い一つの理由ではあるんだよな‥‥。

二十六日

できるだけ仕事のやり残しがないようにいろいろ仕上げて、早退。岩手に向けて出発する。
お子様は新幹線の中で大騒ぎ。デッキに連れ出すと初めはおそるおそる、その後は全開であっちへ行ったりこっちへ行ったり。幸いデッキと車室を隔てる自動ドアが一歳児が立ったくらいでは開かなかったので人の少ないデッキを歩き回っていた。さんざん疲れさせた甲斐あってか宿に着いたら一泣きしたくらいですとんと寝てしまった。

二十七日

朝から医学教育学会大会。テーマは「地域医療と医学・医療教育−Think globally, Act locally」
地元色を出そうとしてか企画されていた「新渡戸稲造の『武士道』から学ぶプロフェッショナリズム」ってシンポジウムを朝から聴く。内容的にはかならずしも新渡戸稲造を読んでなくてもわかる内容だったのだけれど、武士道ってのも一種のプロフェッショナリズムというか、武士という職業特性や人を傷つける力を持つ職業であることから生み出された職業倫理の一種であったのだろうなと、「武士道」を読みながら思った。
医師の職業規範ということでは、未来にわたって最新の医学を学びそれを実践しつづけるという未来への行動規範を伴うがゆえに、生き方全体を規定するような内容を含むのかな、と思っている。

他の内容としては、卒後臨床研修必修世代の研修が修了し始めて、卒後臨床研修制度が必修化されてどう変わったか、の議論がデータを元にされ始めている印象だろうか。全体として質が均質化して、上に引き上げられたのは間違いがなさそうで、あとはさらに上に引き上げることと、バランスの調整、初期研修以後との関連ということになるのだろうか。
会が終わって懇親会の時に知り合いのつてで厚生労働省の役人をしている医師と話す。──現場で苦労してる役人は現状の問題点を把握してるけれど、実際に政策を決めている議員や財務省のエリートは現状が分かっていない由。そりゃあそうだろう。「高齢者の気持ちが分からない財務省の役人にはしばらく全身に重りをつけて高齢者のつらさをわかって貰おう」とか少々黒めの冗談を言っていた。
「役人は法律と予算に則って、できるだけ良心的に仕事してくれればいい」って言ったら感激されたけど‥‥役人ってそういうものじゃないといけないんじゃないか? 予算が足りなくて手が回らないのならば、それは役人のせいというよりは予算を決めてる国会のせいということになると思うのだが。法律にやらなければならないと書いてあることをしなかったり、するべきでないということをやったらそれは役所の問題なのだけれど。

二十八日

医学教育学会二日目。シンポジウムを聴いたりなんだり。
あっちでもこっちでも人と予算が足りないって話で、それを現場のやりくりと熱意で少しでも前に進めている印象。たとえていうならプロジェクトX進行中って感じで。それじゃいけないはずとは思うのですが。

開催地では結構医学教育学会は注目されていたらしく、岩手日報の夕刊一面に記事が出ていたりとかTV・ラジオのニュースでも取り上げられていたらしい。まぁ医師不足が深刻な県でもあるしね。
教訓的だったのは、もともと医師不足に苦慮していた長崎県などは、以前から積み重ねてきた地域医療の魅力を広報して独自に後継者養成に取り組んできたおかげで必修化の影響を余り大きく被らずにすみ、大学医局に人を乞うて地域医療を成り立たせてきた地域は大学医局の縮小に伴ってにっちもさっちも行かなくなっている例がたくさん見られる、という辺りだろうか。
医師数自体が諸外国より少ないということで、少ないパイの奪い合い、という様相はあるのだけれど、自力での地道な努力は必要なんだろうね。

二十九日

学会でお勉強の後は奥入瀬渓流・十和田湖へ。雨模様が残念ではあったが渓流はむしろその方が雰囲気があったかも。
夜は金田一温泉へ。夜の読書は「闇の守人」と「"文学少女"と繋がれた愚者」。どっちも続きが楽しみなシリーズ。

三十日

祖母と叔父夫婦宅を訪問、子どもの顔見せを。
その後盛岡経由で東京まで。子どもは大興奮で新幹線の車内を歩き回り、疲れ切って家に帰った途端にぱたりと爆睡。

旅行から帰ってみると親父殿からメールが届いている。山行中にハチに刺されたときの対処(特にアナフィラキシーについて)教えてくれとの由。備忘録も含めここにおいておく。
まずアナフィラキシーについては、大きく言って即時性のアレルギー反応と言える。どのような場合に起こすかは決まっておらず、さまざまな薬剤・食品などに対して起こしうる。初めて摂取したもので起こすこともあるし、これまで何度となく摂取したもので起こすこともある。ただし、一度起こした物質ではその後も繰り返し起こすので、一度アナフィラキシーを起こした既往があるならば、どんな物質で起こしたのかをきちんと把握しておいた方がいい。
反応は原因物質への曝露後数分から数十分で始まる。かゆみ、息苦しさ、吐気、咳き込みなどがあり、呼吸困難・血圧低下から死亡に至ることも稀ではない。
対応としては「すぐに」医療機関にかかること。補液・抗アレルギー剤・ステロイドなどを使用してアナフィラキシー反応を鎮静させれば、長くとも数日で症状は治まる。
しかし山行中などは医療機関迄行くのに時間がかかるため、重い発作を起こせば命に関わる。またハチ毒のように、自分の心がけで原因物質を排除しきれない場合もある。アナフィラキシーを起こしたときに手当てが遅れないように、特効薬であるエピネフリンを即座に注射できるようにエピペンというものが開発されている。医療機関で処方を受けて携帯し、アナフィラキシーを起こしたときにはすぐに注射することで重症化を回避できる、とされる。ただしエピペンを処方できる医師は登録制で限定されているそう。だれでも処方を受けられるわけではないことも付記しておこう。

三十一日

休み明けで出てみると、休んでいた間はそれなりに荒れていた模様。「Genesis(仮名)を休ませない方がよかったかなぁ」などと不穏な発言が聞かれていたとかなんとか。


Written by Genesis
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