歳時記(diary):十二月の項

一日

日中の仕事をちょっとあせり気味で終わらせて、終業後に銀行へ。用を済ませて取って返して再び仕事。終わらないねぇ‥‥。

「病気になりそうなくらい汚い」なんて表現を使うことがあるけれど、実はほんとに汚い家に住んでいるとかかる病気がある。(必ず、というわけではないけれど)
時折報道されるゴミ屋敷の話を聞くと、病気になりゃしないかなと気になったりする。

二日

夜、研修医の症例発表会の予演会。‥‥修正点の指摘をしていくとえらく時間がかかる‥‥。

三日

朝少々早起きして、京都へ。
時期的には紅葉が終わりかけの頃。駅からバスに乗って真如堂の紅葉を愛でる。たぶんこの週末が最後だろうなぁ‥‥。
そのあとは時雨を避けつつ南禅寺へ。水路閣を眺めてインクラインを見てと、紅葉の京都を楽しんだ。
インクラインって明治期のプロジェクトXだったんかなと思ったりした。いま水路閣を歩いても、結構しっかりしてたし。

本日の読了本:「吹け、南の風 I・II」(秋山完)。「歌の翼に」(菅浩江)を読み途中。

四日

大阪に泊って、本日は京大OTセミナーFinal。相方に引きずられて初参加。
内容はわりと面白くはあったのだけれど、哲学的という感じが。もっともいちばん神経生理学っぽかったところは寝てしまったのだけれど(滅)。ニホンザルとチンパンジーの種としての分化の話とか、半側空間無視患者ではどのように世界が見えているのかとか、多分すぐに役立つことではないけれどもいい話を聞いた気がする。

帰りの列車の中で「歌の翼に」読了。連作短編で、音楽教室の周りのちょっとした謎を解き明かしていく。構成としては「永遠の森〜博物館惑星」に似ているかもしれない。

五日

午後、病棟のカンファレンス。‥‥あれ、なんでこんな早く終わるんだろ(爆) たまにはこんなこともないと‥‥。

六日

冬空の下を自転車を飛ばして帰るのだが、途中の道で交通量調査をしていたようで、(おそらく)バイトの人が毛布にくるまったまま椅子に座ってカウントしていた。
ふと反対側に目をやると、毛布にくるまって椅子に座って‥‥寝てる人?がいる。仕事中にうたた寝してるのか休憩中なのか判断がつかなかったけれど、大丈夫か?と他人事ながら心配になりながら帰った。

七日

夜は病棟の宴会。ちなみに忘年会は別口で用意されているらしい。
遅くなっていったらもう二次会への移動時間ということで、ちょっとだけ食べて、あとはカラオケで憂さを晴らす。
「痛み」ってどどんと画面いっぱいに出てくるってどうよ>DAM タイトルだから、って言ってももう少し控えめにならんものかね。

八日

受持には現在九十七歳維持透析十年目というひとと八十歳透析中で独居という人がいる。どちらもそれほど痴呆はなく、透析についても理解しているあたりが素晴らしい。
「あんな風に年取れたらいいね」とスタッフ同士で話していたりする。

夜は当直。多忙‥‥。

九日

外来して病棟飛び回ってると気がつくと夕方。最近ずっとこんな感じ。
忙しすぎるといろいろなものが失われていくけれど、その一つはきっと仕事への手ごたえ、なんじゃなかろうか。きちんと収まりをつけられた自信を持てないまま次の仕事へと移っていかなければならないと、充実感も満足感もすり減ってしまっていく気が、する。

十日

午後おでかけ、というと午前中の仕事はどうしてもあせりがちになる上に、何の因果かこういうタイミングで他院からメンドウな紹介が舞い込んだりするわけだ。紹介状一通もたせる方は気が楽かもしれんが、対応する方はそれなりに労力使うんだぞと思ったり。
現在ある意味いちばん贅沢な診療は医者からの十分な病状説明、であるかもしれない。いくらやっても医者側はコストをとれない(何分かけてもかわらない診察料のみ)のだから。わかるまで説明することで患者側は多くのものを得るけれども、医者側は何にも儲からない、ってのはマズいんじゃないかね。

夜は泊まりがけでお出かけ。出先で楽しく呑む。

十一日

帰りの電車の車内で「ハル」(瀬名秀明)を読み始める。ロボットネタ、けっこう面白く読み進めている。

十二日

休暇を取って引っ越し関係の手続き‥‥のはずが、夕方出勤するとあれやこれやの業務が待っている。唯一無二の主治医、っていうもののはらむ危うさって、気づかれているのかしら。

十三日

最近外来透析の回診の研修に入ってもらっている先生がいる。数ヶ月続けてきて大分慣れた様子。人が育たないと未来が育たないんだよねと独白してみたり。

夜は透析室の歓送迎会。今月はあと二回宴会が予定されていたり。

十四日

朝出勤したら、今夜当直の先生が体調不良とのことで急遽当直を交代する。──そんな夜に限って多忙だったりする。ひとり緊急透析まで必要な人がいたし。

十五日

少し前まで比較的ゆったりしていたのだけれど、じわじわ入院患者さんが増えて来つつある。
病気を持って通院を必要としているとはいえ、透析以外は元気、であって欲しいのだけれども、現実はなかなか厳しい。

十六日

外来をやっている最中に患者急変と連絡を受けてもねぇ....。
人手の少ない病院だと午前中医者は大体外来にいることが多くて病棟には研修医ばかりなんて話はいくらでもある。幸い我が病院はそこまで人手不足ではないけれども。
連絡を受けるとついつい気が落ち着かず。まだ修養が足りないようで‥‥。

夜は医局忘年会。おみやげでDVDプレイヤーを当てる。
周りを見渡すと手品の小道具とかおもちゃとかわりとしょうもないものが多かったのだけれど、中にはブラジャーを当てた先生(男性・独身)もいたりして‥‥。

十七日

朝出勤してみると心筋梗塞がいる‥‥しかも透析患者。これを皮切りに大小取り混ぜて仕事が多くて手が回らない。気分は米軍を前にした硫黄島守備隊って感じで。
夜は重症者に気管内挿管までやって、給料分以上にぐったりして帰ってきた。

十八日

月月火水木金金って当たり前にあったんですね(滅)。
もともと透析予定患者がいるところへもってきて急性心不全がひとり緊急入院となり。休日なのに合計三人透析してきた‥‥。

十九日

朝のところで嫌な予感はしたわけです。週末でわんさと入院がいて、自分の受持が三人増えたあたりで。
そのうちのひとりが急変するわ、処置はしないといけないわ通常業務はあるわでしっちゃかめっちゃかな日。あちこちに迷惑をかけまくった気がする。

とどめに帰りかけに「透析の人で急性心不全の人がいるんですけど‥‥」。まだいた技師さんに準備してもらって緊急透析する。かくしてめでたく午前様。

二十日

昨日の続きでばたばたとする。幸い重症者もやや持ち直し傾向なのはなによりか。

でもって夜は当直。昨日午前様だって関係ないですが何か。

二十一日

昼前、人工呼吸器から離脱のため気管内チューブを抜管。思い返して見ると自分で気管内挿管して自分で気管チューブを抜管したのは初めてかもしれず。
過去自分で挿管した人は、死亡されたか気管切開をおかれたか、だったと思う。気管内チューブは長期留置すると感染を起こしたりする危険が高く、長期化するなら気管切開を置いた方がよい管理ができる。挿管チューブを抜くことで人工呼吸器から離脱できたということは比較的短期間であったということ。それだけ、人工呼吸器って大変なものだし回復に向かうのに要する労力は大きいのだと思う。

二十二日

重症者もちょっと落ち着くと今度は栄養管理で頭を悩ませる。今日入院した別の人は多分消化吸収機能低下があって痩せてきている印象で。あんまりたくさん食事が摂れない高齢者とか自力摂取が難しい重症者とか、どんなかたちで栄養管理しようかと頭を悩ませる今日この頃。

‥‥とかって思っていたところでこんなWebPageを知る。点滴信仰ってとても強くて、ブドウ糖点滴してもらうと元気になるとか外来で強硬に主張する患者さんを説得するのはそれなりに大変で。
日本人の栄養所要量なんかをみると平均値としてはほとんどの栄養素が充足しているってことで、健康人が普通の食生活を送っていれば栄養素不足は起こりえないはずなのだけどね。点滴やサプリメントに走る一方で自分が食べているものに無頓着では、どんなサプリメントをとろうとも健康にはなれないだろうなと思う。

二十三日

Xデーマイナス2。
買い物にお出かけする。結局目当てのものはほとんど買えなかったけれど。
帰りがけにガソリンスタンドで洗車をお願いしたら、こびりついた土ぼこりが取れずに作業が延長になる。嫌な顔もせずにやってくださったスタンドのスタッフに感謝しつつ、その足でオートバックスへ車のカバーを買いに出かけた。

二十四日

Xデーマイナス1。
日中買い物したり荷物が届くのを待ったり。「涼宮ハルヒの暴走」ちょっと手を付ける。
夕方から親と食事。気がつくと両親とカプセル内視鏡の話になっていて
「使ったあとはどうするんだ?」
「いちおう回収するとか聞いたような」
「トイレでか?」 ‥‥なんて話を上品な料理を口にしつつ交わす始末。周りの方ごめんなさい。

親父殿から「三泊四日とかで山行に透析患者が行くことはできるか?」という質問が来たのでちょっと考えてみる。(体力面とか水分補給・食事の話は抜きで、透析が行えるかという問題だけだが)
維持透析患者の中でも血液透析と腹膜透析のどちらで透析をしているかで異なってくる。血液透析では一泊二日程度なら問題はない。二泊三日でも帰ってきた日に透析が受けられればよしとできる。それ以上だと山行中に透析が必要になる。コースの途中に透析を行える診療所があれば万事解決で、日程をうまく組んで透析すればいいと思われる。
けれど、そううまく行くわけはないだろうと思うので、臨時にどこかで透析ができるかと考えてみると。電気が来ているのを前提にしても透析機械やRO水発生装置などを持ち込むのは難しいだろうと思われる。持ち込めるとすればHF・HDF用の補充液のバッグだろうか。ということで、電気の来ている山小屋にCHDFなどに対応した小型の透析器と補充液を持ち込んでHFでしのぐ、というあたりでどうかと。透析液を流せればHDFにできるが500ml/minもの透析液を確保するのは難しいと思われ。HFだけでは透析効率は悪そうなのであくまで水分電解質の調整プラスアルファ程度を目指す、ということで。
腹膜透析の場合、CAPDなら透析液のバッグさえ持って歩ければ山の中だろうが無人島だろうが透析は可能だけれど、ただでさえ多い山行道具に加えて透析液のバッグを日程分持って歩くというのは現実的ではないと思う。使いそうなところにバッグをデポしておくか、電気の来ている山小屋でAPDというあたりか。

註:もちろんこの文章の内容はわたしの思いつきに過ぎませんのでそのまま実行できるものではありません。

二十五日

Xデー。いや引っ越しですけど。
荷造りする時間的余裕はないと見て荷造りから荷下ろしまで引越屋に頼んだのだけれど、朝八時半から荷造り部隊が登場する。二人がかりで段ボールにどんどん荷造り。本棚の本&書類は計二十四箱ほどになった。
午後までかかって荷造りして、積み込みが始まってしばらくしたらもう一台トラック登場。2tと3tを一杯にして新しい家へ。ウチの場合本棚を除けば家具はけして多い方ではないと思うので、本棚とその中身がなければ3tだけでも間に合ったかもしれず‥‥。
荷下ろしまで終えて引越屋が帰ったのは六時近く。旧居の大家とご近所に挨拶を終えてから、電気屋で電話機を買って本日の業務終了。

新居に取り付けるために先日シャワートイレをホームセンターで買ったわけですよ。「取り付けカンタン!」とか書いてあるからその気になって取り付け工事は自分でやることにしたわけですよ。
そしたら「パイプカッターで配管を適切な長さに切るか、フレキシブルホースを購入下さい」とかって記述にぶち当たるわけですよ。しかも電気屋へいってフレキシブルホースを買おうとすれば「メーカーとりよせになります」とかのたまうわけですよ。
どこがカンタンなんだ?と思ってしまう今日この頃。

二十六日

転居後ADSLが再開通するまでの間がしばらくナローバンドの人。まぁメールを読むくらいはPHS経由でPIAFS接続してもストレス少ないけれど。

二十七日

夜の当直は、なんだかアルコールがらみの救急車が多かったような気が。
年末ということもあるのだろうけれど、飲み過ぎないように‥‥。

二十八日

退院が立て込むので準備に忙しい。年末年始病院に残るのは三人くらい、の予定。
正月くらい自宅で‥‥という気持ちも患者さんに強いから、病状が許さない人以外は医者の方も自宅療養を勧める。その結果、わたしの受持で病院に残るのは食事が摂れない二人と独居が困難なひとり。──家族とか友人とか、支えてくれる人がいるだけで病気療養生活は変わってきてしまうんだなと思う。

二十九日

今年最後の仕事。
九時までかかって紹介状やらカルテやら書き終え、病棟の忘年会へ。何故か隠し芸大会までやってしまうのが定番の我が病棟の忘年会。「いつものお店」でしかできないとの説がもっぱら。
今年もさんざん大騒ぎをやらかし。いくら団体さま用の席とは言え、片づけを翌日に回すような時間迄というのは迷惑だったかも。

三十日

今回はスタッフ登録は見送ったものの、年末恒例の聖戦参り。
カタログ手に入れたのが当日会場で、という遅さだったため、ジャンク・ヤードとかMillion Meansとか魔法使いのおぢさんとか、いつものところを流して終了とした。

夜、レンタル店へ行ってみたら「劇場版 AIR」があったので借り出す。
内容は‥‥今一つ流れに乗れなかった、という気が。ゲームみてるからわかる、ってところが目についたのと、あんまり気に入る方向に変化してくれなかった、という気が。
あれだけ長大な物語を映画の尺に合わせるのはムリだと思うのだけれど、だからこそどのように物語を再構成していくか、なのだと思う。

三十一日

朝からこれも年末恒例のもちつき。腕ツラ...。
年明けからのもちを用意して、すき焼き喰ったあとで家具の買い出し。引越後の荷物整理は遅々として進まない。

年の締めは紅白で。ねらいはさだまさしくらいなんですが。
去年に引き続き独特な役回りで。「広島の空」好きな歌ではあるんだけれども、ラヴソング──たとえば「舞姫」とか「ステラ、僕までの地図」とかで人気が出て欲しいなと思ったりする。


Written by Genesis
感想等は、掲示板かsoh@tama.or.jpまで。リンクはご自由に。

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