歳時記(diary):九月の項

一日

え、もう新学期開始(違)。

月曜日の朝は外来から。新患さんが多いのは経験にはなるけれど、処方したお薬が本当に効いているかどうかは患者さんのみぞ知る。再来してくれれば効き目はどうだったか知ることができるのだけれど。

三日

医局に一つの署名簿がおいてある。小児科医師中原利郎先生の過労死認定裁判を支援する会からのもの。医者の過労死はけして他人事ではない。
ただ、この問題の中には職場の管理を責めても解決しないような大きな問題を含んでいる。少子化の一方で小児医療は複雑な問題をたくさん抱えるようになり、ひとりの子供にたくさんの時間を費やす必要が出てきている。その癖薬などは少量しか処方しないから薬価で稼ぐこともできず、赤字部門にならざるを得ない構造になっている。小児科医も「少子化で立ち行かなくなる」なんて宣伝や、実際の激務の中で減ってきている。国家的な問題だと思うのだけれど、どうだろうか。

五日

午前中の往診は二件新患が入ってちょっと大変。時間の制限のある中でコミュニケーションを取っていかないといけない。うちひとりは悪性腫瘍終末期ということで、どんな在宅療養を提供できるか、思案のしどころ。

夜、カンファレンスは二年目の先生が担当ということで、慰労会。雑談やらうわさ話やらいろいろ。
「患者になるならどの先生に診てもらいたいか」なんて話題でひとしきり盛り上がる。「木枯らし紋次郎みたい」と形容された某先生に人気が集まって。「あっしには関係のないことでござんすが...」とかいいながらも、引き受けてくれたなら絶対的に信頼できる医師。憧れはするものの....。

六日

夜、コミケの救護室のご苦労さん会。喰って飲んでいろいろ話をして。
笑ったのは手ぶれ補正機能付きのビデオカメラを買ったパーキンソン病の患者さんが「画面がぶれる」って苦情を言ったって話。ホントかウソか知らないけど、ありえそうで.....。

行き帰りで「第六大陸」(小川一水/ハヤカワ文庫)読了。月基地建設はやっぱり夢ですけど....リアルな夢を見られてとっても面白い。次巻が楽しみ。

七日

寝て曜日。(爆)
朝起きたのが十時近くで、ご飯食べてからごろっとしたら二時過ぎまで寝てしまって.....。

起きてから当直しに行く。大事は起きないもののちょこちょこと呼ばれた。

八日

直明けで外来。
最初に来た呂律不良・嘔吐の人を結局入院にする。診断としてはちょっと迷うところだったのだけれど、入院で検査して早く帰ればよし、と。
入院ベッドが空いていると短期入院でもさせやすくなる。入院件数が多くなって医療費がかさむという話もあるが、患者や医者はその方が安心する。新米が外来で一番悩むのは「この人を帰してしまって大丈夫か」ということなので。

明日から休暇を貰うことにしているので引き継ぎをごそごそと。書類を書いてカルテにまとめを作って、退院する患者さんの紹介状を書いて....。やっていると結局帰宅が十二時.....。はぁ、疲れた。

九日

夏休み。なぁんにも予定を入れていない。(苦笑)
というわけでだらだらする。昼近くまで寝てから、親のところへ行って一緒に昼食をとり、帰りがけにサンマなんか貰ってきたりして。
午後はPS2でVurtual-On MARZとかやる。久しぶりでついつい熱を入れてしまった。他にも「第六大陸」の第二巻とか探していたのだけれどなかなか見つからず断念。

十日

律速って日常語じゃなかったんですか。──ほんとだ、EGBridgeでは変換されないや。
まぁわたしの場合自分の使ってる言葉はすべからく一般的な言葉だと思い込む悪癖はあるのですが。

本日の収穫は「日本が聞こえる」(さだまさし/講談社文庫)。そして「美亜へ贈る真珠」(梶尾真治/ハヤカワ文庫)を読み始める。表題作の、すれ違うこころが最後に交わる感じのラストは永遠を感じさせて好み。さだまさしの歌で言うなら「邂逅」でしょうか。──ある意味カメラも、過去へ向かうタイムカプセルなのかもしれない。

明日より旅行。

十一日

那須方面へ向けて相方と出発する。
早めに出る予定があっさり出発は十時過ぎにずれこむ。東北道にのる前に昼食タイムをとって、久喜のI.C.より東北道へ。那須へ着く頃にはもう三時を回っていた。
那須へは以前もきたことがあるけれど、その時に廻り残しているところ、ということでエミール・ガレ美術館へ。欧州で一世を風靡したジャポニズムの影響を受けているガラス器が多数。綺麗でしたねぇ.....。

宿はクラシックインヒルトップ。Tocooで地図をよく読まずに予約して、現地に着いてからガイドブックの詳細図をいくら見ても宿の場所が判然としない。宿に電話したら地図の範囲外であったことがわかる罠。広域図にはちゃんと載っていたんだけどね。
平日ということもあってか貸し切り状態。晩ご飯のコースもとてもおいしくて露天風呂にも入れて、窓辺には栗鼠が出てきたりもした(らしい。わたしは見てない)と旅の雰囲気はとっても盛り上がった。ケーキバイキングで用意されていたミニケーキsを全種類食べ比べてしまってすっかりおなかもいっぱいになった。
外は折悪しく嵐となって、雷鳴はとどろくし稲妻は光るし、だったのだけれど、それすらもミステリで封鎖される洋館の様に感じられて面白く思った。

十二日

朝食をとった後、那須を離れて日光へ。
植物園やら何やらを巡った後、ガイドブック参照して昼食を摂りにパスタのお店へ向かおうとすると、見当をつけた辺りに店が見当たらない。地図が悪いらしくて探しているうちに無事に発見した。そうしてさまよっている間に"欅"という喫茶店を見つけて、食後のお茶をしに入ってみる。客層が思いきり常連さんに偏っているようすだったけれどシフォンケーキはおいしかった。

その後は日光へ向けて塩原から日塩もみじラインを飛ばす。──車少なかったですね。
着くとそろそろ夕方で、裏見の滝だけ見に行く。──と思ったら、駐車場から15分くらい山道を歩かされる。ほんとに近くまでいけて迫力があるのでお勧めなのだけれど、見に行くときは運動靴持参という感じ。
宿は星の宿ヴィラ・リバージュというところ。小さなコテージ風で木がたくさん使われた内装ともども落ち着ける雰囲気。風呂がいくつか用意されていたが、この夜はジャグジー風呂に入った。

十三日

少し早起きして近辺を散歩。大日橋から憾満ガ淵と並び地蔵と。大谷川は水量豊富で勢いよく流れていた。

この日のメインは湿原散歩。パンなど買い込んだ後、奥日光へ向かうバスで赤沼まで行き、戦場ケ原と小田代が原を歩いた。
──このバスが、けっこう値が張る。始点から終点まで乗ると千五百円くらいにはなりそう。自然を守るという意味合いからも、バスでの来訪を勧める意味でもう少し安くならないかなぁと思ったりして。戦場ケ原へのもっとも近い駐車場になる赤沼などではきっちり駐車場は満車になっていた。

コースは赤沼から小田代が原へ向かい、ぐるりと廻ってから戦場ケ原を通って赤沼まで戻ってくるコース。途中からすっかりいい天気になって、花の季節からは少々ずれていたもののアザミなどの花を楽しんだ。途中で昼食としてパンを食べて、ピクニック気分満載で湿原散歩を楽しんだ。
赤沼に帰り着いた後は龍頭の滝までさらに歩く。龍頭の滝はいわゆる滝のイメージと少し違って斜面を流れ下る川のイメージ。その勢いよさはたしかに龍にたとえられるだけのことはあった。
滝つぼ近くで休憩した後、バスを待つあいだ近くの喫茶店で一休み。バスに乗ったあとは座れたこともあっていろは坂の間は熟睡。

夕食は宿で洋食のコースを。ワインもつけてゆっくり楽しんだ。

十四日

東京へ戻る道は足尾経由として。途中の東村の星野富弘美術館などを訪れる。
絵や詩の解説に英訳が添えてあるのだけれど、英訳から読んで日本語を読むと直訳だったり意訳がかなり入っていたり、面白い。──そのせいで見物の時間が長くなったけれど。

もどるとぐったり。早々に寝てしまった。

十五日

朝寝を決め込む。その後は買い物出たりカラオケしたり。とりあえず有効に休みをとった。
──でも、借りてきた本は読めていない。(爆)

十六日

久しぶりの出勤。
患者さんに会って様子を見る。悪くはなっていないようなので何より。
ひとり受け持ちを増やして、午後は救急当番と、いつもの日課に戻っていく。

夜は当直。副直の一年目の先生と一緒に。
あまりコールが立て込むこともなく、一つ一つ考えてもらいながら対応をしていく。──そのせいであんまり寝れなかった観は無きにしもあらず。しかたないけど。

十七日

直明け。
午後、以前に透析用シャント造設で受け持ちした患者さんがいよいよ導入ということで受け持ちをする。もう心不全も合併しているくらいの状態ということで即日透析導入。──開始が16時過ぎ、終了が20時近く。
それが終わった後で往診のスタッフの歓送会に合流して、飲んで喰って帰ってきた。

十八日

余談、というか。
いま読んでいる本の一つが多和田葉子さんの本。その経歴からか、日本語という言葉を外から眺められるような作品があって気になる作家のひとり。読んでいると自分の使っている言葉が不思議なものであるような、そういう感じがしてくる。
先日、研修医のケースカンファレンス用に作られたレジメを読んでいたら、「ニ」と書かれるべき部分が「二」になっていることに気づいた。つまりはカタカナの「に」と漢字の「に」が一緒にされてしまっていた訳。
ワープロ変換の間違いではあるのだけれど、たぶん意味は通じるし、もしかしたらそのうち同じ文字として扱ってしまえなんて意見も出てきてしまうかもしれない。でも、そもそもどうやってわたしたちは文字を使い分けているのだろう、たとえばひらがなとかたかなはどちらも同じ表音文字だから一つに統一してしまえという議論がもしも出てきたときにそれに反対する根拠はどこにあるんだろうなどと考えてみると少し奇妙な気分になった。

十九日

往診コースのラストは痴呆が主な問題点の患者さん。爪が伸びきってひどい状態なのだが、人には切らせないし自分でも切るのを忘れるから伸びっぱなし。「今切ろうか」と誘って、切ってもらう。爪だけじゃなくて爪の裏についている垢なんかもぼろぼろ落ちてきていろいろな意味で切ってよかったという感じ。「こんな爪の垢を煎じて飲まされたらたまらないねぇ」などと帰りながら話していた。

夜遅くなって、ファミレスで食事などしているところで携帯電話が鳴る。同期から飲みのお誘い。何故か病棟の看護婦さんとか腎臓科の上の先生もいるとのことで、合流して少し飲んだ。

二十日

午前中救急当番。──最初にひとり入院にした後は昼まで一人も来ず。ひとり来た人は夜になると高熱が出るという若い女性。一応経過観察でよさそう。

早く帰れたのでVirtual-On Marzにはまってみる。だいぶゲームのシナリオは進んでいるのだけれど....。

二十一日

ゆっくり起きて、外出。行き帰りなどで「日本がきこえる」(さだまさし/講談社文庫)と「心象世界の幸せな景色」(早見裕司/富士見ミステリー文庫)読了。
外出先は下高井戸シネマ。目当ては相方の注文もあって「アバウト・シュミット」。「影のない男」を観ようと思ったら時間が過ぎていたのだけれど。
内容は最後でちょっとほろっとして、全体にはおかしいやら切ないやら、で。名画かどうかはわからないけど、佳作ではあるかなと思う。カッコ悪いお父さん役のジャック・ニコルソンははまり役だと思う。

二十二日

午前外来・午後小回診・夜当直。(死) 受け持ち増加が二人。──月曜日の当直はやめてもらおう....。
寝静まった辺りで急変。けいれんを起こした患者さんがいて、おさまっても意識が戻らない。ICUへ移して経過を見る。他にも中心静脈ルートを引っこ抜いてしまった患者さんが二名、うちひとりを入れ直し。

二十三日

当直明けでそのまま日直。
午前中病棟・午後外来。はぁ、疲れた。

思い起こせば役所的に相方と姓が同じになったのは一年前であったりするので、(そんな日に当直をいれるなという意見はもっともだが)相方と一緒に食事をしに行く。少し張り込んでおフランス料理。おいしくいただいてワインもいただいて....でも、回りすぎて立ち上がれない(爆死)。疲れてたのかなぁ。
家に帰ってからはさだまさし「夏長崎から」のBSの放送の録画を観賞。

二十四日

この日はサテライトの透析クリニックの所長先生が休暇のため、応援で一日腎クリニックの透析当番。
患者さんにとっては週三回の外来に通っているようなものなので、ほとんどの人は「変わりないです」で済んでいく。病棟を軽く見て回った後で透析の回診へ。回診して指示を出して、たまたま検査結果返しの日だったので検査結果の説明をして。
夕方も同様の回診をして、その後夕のお弁当を食べていたら、休憩室に「焼酎 大魔王」なるお酒が。鹿児島辺りの芋焼酎であるらしい。名前でへぇと思ったりして。

二十五日

午前中は院内透析とサテライト腎クリニックの掛け持ち。両方の指示をださにゃいかんわ、血管確保がうまく行かなくて呼ばれるわ、不整脈が出た人もいるわで気分的に大忙し。
外来透析の方では検査の結果返しもあったのだけれど「お彼岸でつい食べ過ぎちゃって....」という人が続出。特に危険なカリウム値が高い人が全体の二割くらいはいただろうか。
一般に果物は体にいいということになっているけれど、こと透析患者さんにとっては果物に大量に含まれているカリウムが命取りになりかねない。それでも勧められるとつい食べてしまったり、田舎から送ってこられてしまってつい手を出したりしてしまったりして、致死性不整脈を出しかねないレベルまでカリウム値が上がっている人もいた。
病気次第で普通の食べ物も毒に変わってしまうことの典型かなと思ったりする。

二十六日

午前の往診は少し少なめ。おかげでのんびり往診ができた。学生さんも一緒に。
午後の回診は他のDrが学会や休暇ということでほんの少し。代わりにという訳でもないけどシャント血管の狭窄解除術を見ていた。

夜は他の先生と事務の人とで飲みに行く。わいわいといろいろしゃべって面白かったのだけれど、店のお客さんが増えるにつれ紫煙がもうもうとしだして、こりゃかなわんと退散することにした。
別に禁煙のお店じゃないからしょうがないともいえるけど、何とかならないかなぁ。とりあえず、道路を禁煙にして欲しいと切に希望。

二十七日

朝行ってみるとICUに透析患者の入院。本日腎臓内科出勤医はわたしのみ。──上の先生に電話でサポートを貰いつつ指示を出して穿刺をして。はふ。

夜は当直。午前三時まではあまり呼ばれず、その後は寝る暇なし。早めに寝といてよかった...。

二十八日

明けの少しぼんやりした頭でいわさきちひろ美術館へ。ここは二度目、かな。前回とは改装されていてバリアフリーになっているところとか木材をふんだんに内装に使っていて温かい感じがするところとか、とてもよい感じ。
行き帰りは中央線が止まっているということで西武線にダイレクトに出た。ふつうだと国分寺経由にするところだけれど。

二十九日

本日のダブルルーメン挿入はまだ若い急性腹症の患者さん。腸捻転で絞扼性イレウスになっていたらしい。手術後血圧も低いということで毒素吸着療法をやってみると、その成果か少し血圧が持ち直してきてやれやれ。
一応、時には派手な救命的集中治療もしてますよってことで。

イベントドリブン型日記のStyleSheetの表示がSafariで見るとおかしい。IEとかだと色つきでちゃんと見えるのになぁ。

三十日

気がついてみると三月続けて末日は日直or当直。なんでかなぁ。
ちょっと寝ると呼ばれるという感じの当直。往診で診ている人も入院してきたし。  


Written by Genesis
感想等は、掲示板かsoh@tama.or.jpまで。リンクはご自由に。

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