歳時記:十月の項

一日

受け持ち患者さんに、夜時折夢に驚いてものを殴りつけたりする人がいる。夢の中では自宅に侵入してくる人間がいて、なんだこの野郎と捕まえて格闘しているのだそうだ。
じつはこの患者さんは、オウム事件で有名になった上九一色村に住んでいたことがあるそうで。ちょうどオウムがサティアンなど作って異臭騒ぎを引き起こしたりしていたころで、そんな怪しい連中が近くに住んでいるということからくる恐怖感が未だに残っているのではないかと、患者さん本人は言っていた。
もちろんその正当性を検証することはできないけれども、一理あることは確かだ。大きな事件があって、一般には風化したころになっても、恐怖感におびえる人は少なくないのだろうと思う。

二日

本日当直。
病棟を軽く回って、症状が重いなど注意すべき患者さんについて申し送りを聞いていく。その際に、行き掛りで看護婦の対応が悪いと腹をたてている患者さんと話をした。看護婦さんからは「点滴が痛いから抜いてほしいと言っている」と伝えられたのだけれど、本人の言うところでは「手術したところに巻く包帯がゆるんでいたので巻きなおしてほしいと言ったのに対応が遅い」というのが不満であるようだった。‥‥‥いったい何がどうすれ違ってしまったのだろうと悩んでしまった。
相手の不満をとらえて適切な謝罪をするって、難しいことなのだろうと思う。
医療事故として問題になるものの少なくない部分が、処置の不手際やミスなどに対して適切な謝罪や事前・事後の適切な説明がされていないことに起因すると言われている。事前の説明は分かってもらえるまでしておく、もしトラブルがあったらすみやかに対応してこちらの非については謝罪する、当たり前のようでいて、其れが難しいと思う。

三日

当直はそこそこには寝られた。
引き続いて午前中は救急外来。途中やけに呼ばれないな〜と思っていたら、救急の看護婦さんがポケベルの番号を勘違いして同姓の別の医師をコールしていたらしい....。
昼近くなったころから引きもきらずに患者さんがくる。合間に昼食はしっかり食べたけれど、午後の担当医師に引き継いだ時には大分疲れ切っていた。

その後はすぐに血管造影検査。終わって病棟へ戻ると3時半。ここから病棟の受け持ち患者さんを回っていたりする.....。

四日

病棟にて。
看護婦さんに呼び止められて曰く「○○さんの家族から電話があって、先日お渡しした説明の紙の字がよく読めなくて、分からないところがあったのでって言われました。」
医者の字は汚い、読めないカルテが幅をきかせている、などと言われるけれど、わたしの字もかなり汚い。おまけに書くことが多くてスペースが足りないと感じるとちまちまとした字を詰め込むのでよけいに読みづらくなる。
患者さんに病状などの説明をする紙を書く時はできるだけ気をつけているのだけれど、走り書きになってしまうことも少なくない。とうとうこういうクレームが来たかと思いながら「で、何が分からなかったって?」と聞くと、「ええ、先生の名前はなんと読むのかと聞かれました。」(炸裂)

わたしの名前ははっきり言って読みにくい。いや、別に素直に読めばいいのだけれど、世の中にはあんまり漢字一文字を音読みする名前は多くない(わたしの印象では訓読みする例の方が多い)から、間違う人が多い。漢字が分かっても読めないことがある。おまけに名前なんぞほとんどサインみたいなもの、と思ってついいいかげんに書いてしまう。
名前まできちんと伝えておくのも正しいインフォームドコンセントには重要なのかも知れない。(^^;;;

五日

一日、病棟でごそごそ。
リハビリ中の患者さんのところに会いにいく(回診とかっこつけて書いてもいいが)と、「先生、これを」と言って紙を渡された。そろそろ退院も近いということで、退院して帰るお家が暮らしやすいかどうか、実際に見てアドバイスするための家庭訪問の日取りについて「○○日がいいです」などと書いてある。そしてその下にはなぜかおはじきが一つ、セロテープで張り付けてあった。
「リハビリ中に落っことしたと思ってたら、ポケットに入ってたもんでお返しします」と。なんだかとっても律儀な患者さんで、ていねいにお礼をいった。

お医者さんはけっこうパソコンを扱うが、けして得意ではない人の方が多い。ワープロを打ったり、スライドを作ったりするくらい、が平均値だろうか。(特に他の職種の人とくらべて得意というわけではない、と言い換えてもいい)
だから、なまじっか扱いにたけていると、「詳しいんでしょ」と言われて、使ったこともないファイルメーカーのデータベースを作らされたりする。‥‥‥ぶつぶつ言いながらも作ってしまっている辺りが余計に問題かも知れない。

六日

土曜日ということで、比較的余裕のある日。
このすきにと、午後にパソコンショップへいってプリンタとFDDを買ってくる。MacOS X対応を確かめたのは言うまでもない。(笑) 買ったものはCanonのBJ M70と、TAXANのFRP。
あとはしっかりした医学用語辞書をインストールすれば、iBookで仕事ができるなあと思っていたりする。

八日

夜、病棟の看護婦さんの結婚式の二次会。とはいっても会場はホテルの宴会場で、それなりにしっかりした感じ。
綺麗に装った同僚を見るのもまたよし。‥‥‥というか、服で女性はここまで変わるかって驚かされたというか。
新郎の方は普通の会社員ということで、看護婦さんの集団に熱い眼差しを注いでいた新郎の友人もいたようで.....。

十日

この日の救急当番はなかなかの盛況。昼近くなった辺りから患者が切れず、おまけに午後引き継ぐ先生の午前中の外来が延びてしまって、引き継いだのが二時過ぎ、食事にありついたのは二時半を回っていた.....。
こんな日もあるさと自分を慰めるしかなかったりする。

十一日

夜、院長先生と飲み会。
新しく就任して数カ月程経つのだけれど、その間に医師や各職場管理者などとじっくり話がしたいと機会を設けて飲み会を設定しているらしい。今日は一年目のわたしたちと3時間程も語っていた。
指導者論・リーダー論みたいなものはたくさんあるけれど、上にたつ人間にとって、組織の進むべき方向付けをきちんとすることと、個々に起きてくる問題への対処方針をきちんと示すことが一番大事なことではないかなと思う。その基礎にあるのは、まずは組織の実情と問題点をきちんと把握すること。
ナマイキなことをあれこれ言ったけれども、それをきちんと受け止めてくれるのならば、もっと仕事をしやすくなるかな、と思う。

十二日

オニのよーな日。
一つには明日から数日間病院を留守にするために、その間の指示をきちんとして、患者さんの状態についてもまとめを作らなければいけなかったため。そしてもう一つは、その患者さんがあんまり安定していなかったため。
どれだけ暇でもやらないといけないルーティンの仕事というのがけっこうあって、それプラス、週末から来週頭にかけての指示を作成し、毎週火曜日の朝には指示簿を更新しなければいけないため、新しい指示簿の用紙に指示を書き、患者についての申し送り文をカルテに書きつつ留守にする間の処方や検査オーダーを作成し....ってやってたら、病棟を出た時には日付けが変わっていた。
しかも。医局へ戻る途中でふっと医師宛の書類作成依頼の棚(外来患者からのものが入っている)に視線をやったら、何故か外来枠を持っていないわたし宛に書類作成の依頼が来ている(しかも締め切りを過ぎていた)。入院した時に持った患者さんなのだから、病棟へあげてくれればすぐにも書いたのにと、気の利かない事務職員を呪いつつ書類を書き上げて、病院を出たのは一時半になろうとしていた.....。

十七日

留守あけは大概忙しい。そのわけは、留守にしていた間に何があったかを把握しなければいけないから。休日も病院にいくなんてなんて熱心な、などと言われることもあるけれども、知らない間にとんでもないことが起きてやしないかと思うと、のんびり休日を過ごしてもいられないというのが実情だったりする。(ついでにいうと、長期休暇の前にはある程度仕事を先にこなしておかなければいけないので、休み前が一等忙しいという事情もあったりする。)
おまけに水曜日は救急外来の日なので、思うように患者さんと話したりする暇がとれない。かくして帰りはかなり遅くなってしまった。

十八日

当直の日。
結果からいうと全然寝られず。眠りに入った辺りで呼ばれることをくり返していたので熟睡感がなかった。「絶対呼ばれずに済む」時間がいくらかでもあると楽だろうなぁと思う。
この夜何度も呼ばれたのは血中の酸素濃度があがらない患者さん。酸素投与量を増やしても充分な改善がない。一時は人工呼吸器接続も考えるくらいだったけれど、なんとかその手前で踏み止まった。
こういう時問題になるのは実は家族の意志だったりする。人工呼吸器を装着したのち、低め安定で入院が長期化すると、家族の疲労は相当なものになる。「もうおしまいにしたい」と思っても、今のところ一度つけた人工呼吸器を(家族が望んだとしても)状態が改善しないのに外すことは問題がある(殺人に問われかねない)とされている。選択をするとしたら装着するかどうか、その時点でしないといけない。
けれども、家族の方としたら急変した時にいきなり呼ばれて「決めて下さい」といわれても困るだろう。普段から考えておいた方がいいことなのかも知れない。

ちなみに翌十九日は思っていたほど体は辛くなかった。暇がなくて、あっちこっち走り回っていたからかも知れない。一通り仕事が終わり、夜のCPC(臨床病理検討会)では爆睡していたけれど....

二十日

土曜出勤の日。
RI当番をこなしてから病棟へ上がる。土曜は検査もあまりないし、気になる患者さんを中心にみていくことになる。
ひとり、血中酸素分圧が上がらないということで少しずつ酸素投与量を増やしていった患者さんがいた。極量まで行っても酸素化が不十分で、家族の同意を得て挿管・人工呼吸器管理となった。
挿管は研修医にとってかなり重要な手技になる。場合にもよるけれども、一秒でも早く成功させてしっかりと呼吸させることが必要な場合があるからだ。その癖、コツやテクニックが分からないとうまくいかないし、いたずらに患者さんを傷つけることになる。今回の場合にはとりあえずある程度呼吸の状態は保たれているから、ゆっくりトライすることができたけれども、そんな場合ばかりではない。
とりあえず、比較的短時間できっちり挿管することができたので、やれやれであった。

二十二日

この日はやけに早い出勤だった。話は昨夜に遡る。
深夜、もう半分寝ていたわたしの携帯が鳴った。出てみると病棟の看護婦さん。個人の携帯からかけてきているということは、とりあえず仕事関係ではなさそうと判断した。
「どうしたの?」彼女とはわりと仲がいい方だ。入職する以前からの知り合いであるせいもある。ちょっぴり甘い期待なんぞ抱きながら話を始めたが、彼女はそんな期待を分子レベルまで粉砕してくれた。
「あのね。‥‥‥採血がたくさんあるの」
「??!!‥‥あの.....。」
「20本くらいあってね。○○さんとか××さんとか、採るのがとっても大変なの。」
「あの、それはつまり.....採血しに来いってこと?」
「そ。」
「あの、今、夜勤?」
「そう。」
検査のオーダーは医者、採取は看護婦、というパターンが多い。大学病院などになると看護婦の方が威張っていて、新米の医者など歯牙にもかからなかったりするがそれは別として、基本的にわたしの勤務先では頼んでおけば看護婦さんがとってくれる。
とはいえ、まだまだ看護婦さんから全幅の信頼を寄せられるには程遠い研修医のこと。頼まれたことをあっさり断れるほど無謀になれない。(別に断ったからといっていじめられるわけではない、多分) やっとこ早起きをして、病棟に馳せ参じた次第。
そうして始まった一日は、いつもと変わらず盛り沢山で、カルテ書きを終えて後日予定されている学習会のための資料を作り、としていると、勤務時間は合計15時間ほどになっていた......。

二十三日

今夜は当直。でも仕事量はまったく変わらない。
病棟の患者さんを回り、検査をオーダーし、午後は嚥下の検査の手伝いに入りと、充実した一日。夜には看護婦さん向けの学習会の講師なんぞも担当して、脳梗塞についてあれこれと喋っていた。
医者むけにやると病態だの検査、治療法という話が焦点になるからついそっちむけに資料を作ってしまったけれど、出た質問の中には「具体的にどのようなところに気をつけて見ていく必要がありますか?」というものもあって、ああ看護婦の視点はそういうところなんだな、と再認識したりした。

当直は多忙。けして呼ばれ続けたわけではないが、呼ばれた例は対応が面倒なものが多く。吐血して緊急胃カメラで止血したケースや、手術で作成したばかりの気管切開チューブを抜いてしまい、気管内挿管が必要になったケースなどもあった。

二十四日

当直あけはやっぱりけだるさがただよう。それを吹き飛ばすほど仕事が忙しいので釣り合いはとれているようないないような。
日中は比較的元気に仕事ができるけれども、昼食後や夕方過ぎにはやはり眠い。

二十七日

この週末は少し休みをとって息を抜いてきた。その間に「I am」(菅浩江)や「ほしからきたもの」(笹本祐一)を読了。
けれどもそんな間にも患者さんの容態は容赦なく変化する。胃瘻を作ったばかりの患者さんが吐血したり、血小板数がじわじわ下がってくる患者さんがいたり。そんな連絡を受けてしまうと休みもなんだか休めなくて、早めに切り上げて帰ってきてしまった。


Written by Genesis
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