歳時記:八月の項

一日

この日の出勤は六時すぎ。毎週恒例となる予定の朝採血に、血糖のオーダーが大量に含まれていたのが主な原因。
血糖値は食事によって大きく変化するので、必ず採血の時間を指定する。通常、朝起きてすぐの空腹時血糖か、食事と食事の間の随時血糖のどちらかになる。(糖尿病の検査としては食後すぐというのもあるかも知れないが)
患者さんのなかには中心静脈栄養(つまり点滴)を持続的に流し込むことで栄養の全てをまかなっている人もいるけれど、そういう人を除けば食事によって血糖値が変動するわけで、採血の時間は厳しくならざるを得ない。
というわけで、朝も早くから採血に歩いていたわけである。

本日午前は救急当番。往々にして救急当番の時間帯はそちらに手を取られてしまうのだけれど、今日は午前中通して一度もコール無し。平和な半日を祝いだのは言うまでもない。
もっとも、午後の担当の先生に後で聞いたことには、午後には何台も救急車が到着していたようでなかなか忙しかったらしい。

しかし午後はあまり平和ではなかった。
様子のおかしい患者さんのCT撮影を行ったら脳出血が見付かったり、リハビリ中の患者さんが転んでしまったり、回復してきて退院予定日も決めていた患者さんが高熱を発したり。‥‥うまくいかないなぁ。
結局この日は16時間労働だった。ううむ。

二日

この日はまぁ事もなく。
昨日熱を出した患者さんが朝には熱が下がっていて、やれやれと思ったところ、午後には再び39度もの熱を出してしまう。感染症が疑われるということで抗生物質を投与し始めたのだけれど。やれる手立てを尽くしてしまえば後は待つのみである。

三日

朝目を覚ますと九時を回っていた。遅刻とは不覚なり。

昨日一人受け持ちが増えて、今日もまた一人受け持ちが増えて。現在合計八人の患者さんの受け持ち。‥‥大丈夫かな>俺
「何とかなるさ」で進んでしまっているけれど、時々大丈夫かなと不安になることがある。幸い、指導医の先生がよくみてくれているから、すぐにHelpを求めることができる分安心してやれる。不安がないわけではないけれども。

新しい受け持ち患者さんの名前をみた指導医の先生、ぼそっと「また二文字だね」──お年よりの女性の方には平仮名二文字の方が少なからずいらっしゃるのだが、だからといって受け持ち8人中5人がそのパターンというのは多いと思う....。

四日

この日は出勤の土曜日。
昨日熱を出していた患者さんの熱の原因がつかめてきた(やっぱり感染症)ということで早速治療を変更する。何とかこれで改善してくれるかなぁ。
そして、もう一人昨日から熱を出していた人の血圧が午後には下がり始める。尿の量も減って来ていて、高熱・乏尿・血圧低下とくれば、敗血症性ショックの可能性がある。慌てて抗生剤の追加に昇圧剤・酸素投与を開始。
ここまで重い状態になるのは初めてで、少々ドキドキしながら見守っていく。何度も患者さんのところへ行ってみたり、データを見直してみたり。
この調子だと、明日も出勤だ。

五日

朝から病院へ行って、昨日から状態の悪い患者さんをみてまわる。多少は落ち着きを取り戻していて、ほっと一息。でもこのまま快方に向かう程甘くはないので、注意深くみていかないといけない。

日中は病院にいて、夕方少し電気店をみてあるく。現在使っているFreeBSDの端末の他にあるLC520のハードディスクがトラブルを起こし、三台つながっているディスクのうち一つがクラッシュしてしまった。
それには過去ログが蓄積されていたので、一年と少し分の過去ログとメールが消滅してしまった。ちょっと衝撃は大きいかなぁ。
そんなわけで、早めにもう一台を確保しようとみてまわったわけ。Appleの最新iBookがいいかなぁと思っているのだけれど。MacOS Xも標準添付(プレインストールではないらしい)だし。

六日

わたしの勤務先の病院には中国出身の医師が二人いる。二人とも日本で医学を学んで日本の医師資格を持っている。
ふと医局で二人が雑談をしているのを聞くともなしに聞いていたのだけれど、驚いたことには中国語と日本語がチャンポンになって飛び交っていたのだ。意識して使い分けていることもあるらしいが、ごく自然に二か国語を混ぜて会話している姿がなんだかとても奇異なものに感じられた。

七日

火曜日の午前中、病棟には一年目研修医二人だけになるスケジュールである。今日からは同期の研修医が数日お休みなので、一人でもくもくと仕事をしていた。

「食べて、出せていればとりあえず生きていける」などというけれど、神経内科病棟にはそれすら自力では叶わない人が大勢いる。手足の麻痺があったり、口が思うように動かなかったり。
脳梗塞で入院している受け持ちの患者さんが「これまでは自分一人でやれていたのに、トイレにも行けなくなってしまって....」と落ち込んでいた。わたしからみればベッド上から動けない人が何人もいるなかで、食事は自分で食べ、リハビリで歩行訓練中の彼女は軽症の方なのだけれど、やはり力が衰えてしまったことは辛いことなのだろう、と思う。
他の脳梗塞の患者さんに、嚥下のテストも施行した。まずは水を呑んでもらうのだけれど、少々むせこんでしまうよう。ただの水より、どろっとしたポタージュ用のものの方が呑みこみやすい。何とかとろみのついた液体ならむせずに呑みこめることが分かって、早速明日から食事開始──ただしゼリーだけ──を決める。「デザートだけですけど、お食事を始めましょうね」と伝えたら喜んでいた。フルコースの食事を食後のお茶つきで食べられるまでには、まだ道のりがあるけれど、少しでも食べられるのは嬉しいだろうな、と思う。

九日

明日から"聖戦"(笑)ということで休む予定にしているので、遅くまでかかってカルテの整理や検査のオーダーなどを仕上げておく。休み明けの月曜日に退院の予定の患者さんなんかもいたりするので、サマリを書いたりもしていたらかなり遅くなってしまった。
昨日AppleのApple storeでiBookの注文をしたら、今日の夜には「発送しました」のメールが。早い。

十日

有明聖戦初日。

早起きして、東京ビッグサイトへ。救護スタッフやりながらちょこちょこと会場をめぐっていた。この日の"戦利品"(苦笑)は憧葛さんのところのさだまさし本と、「究極超人あ〜る」のスクリーンせーバーといったところだろうか。
利用者が途絶えて暇な時には馬鹿話も出る。今日ウけたのは「救護室スタッフやってると、他のイベントで重宝される」「じゃ、『イベント救護認定医』とか作りますか」なんてネタ。医師会公認のイベントなんてなったらこわいものがあるような。(^^;

夜には病棟の呑み会が予定されていたため閉会と同時に帰路につく。初め都バスに乗ろうと思ったのだけれど、列のあまりの長さに断念して、ゆりかもめに切替えた。
呑み会の席では今日休みをとっていたことは知れているため「何してたんですか〜」と聞かれる。素直に「ボランティアでコミケット救護室で働いてました」と応えると、何人かに一人くらいの割合で「あ、友達がコミケ行ってた....」などと返って来るのは侮りがたい。

十一日

有明聖戦中日。

昨日は女性向けの作品が多かったけれど、今日はやや男性向けが多い。とはいえ、救護室で寝ていった人の数で見ると女性の方が多かったようだけれど。
少し遅い時間に小説ファンサークル(電撃とかその辺)を回ってみたら、好きな作家さんがマイナーなのか、完売してしまっている所が少なからずあってちょっとがっかり。メジャー系なら何か所もあるし、それぞれたくさん作っているのかなとは思うのだけれど。

十二日

有明聖戦最終日。

買物としては一番のメイン。創作小説、創作少女、評論等々。(ぁ、と学会のブースに行くの忘れた....)
全体としては満足のいく買物ができたと思う。この日は気温も低く、体力を消耗しない日であったことも良かったと思う。救護室にかつぎ込まれて来る人も来場者数の割にはずいぶん少なかった。

終わってからは某大学某ニュースグループで知り合った人々と夕食。どこのサークル回ったとかどんな本を買ったとか。
普段(患者さんを除けば)医療の世界に住んでいる人としか喋らないので、違う世界の話をするのがとっても心地よい。

十三日

午前中は病院実習に来た医学部五年生の学生さんを連れて病棟業務。患者さんを回診して歩きながら、学生さんに患者さんのことを紹介する。病気のことはもちろんだけれど、問題点はそれだけじゃなくて、生活のことや家族のこと、お金のことなど多岐にわたる。
もしかしたら、医者って仕事は人の幸せのコーディネーターなのかも知れない、そう思ったことがある。相手にしているものは実は病気ではなくて、"人を不幸にするもの"なのかも知れないと思う。何だかつかみどころがなくて、その癖確実に人を不幸に追いやる存在。
面倒な仕事を選んだものだ、と思うし、けれどもやりがいを見つけることもできる仕事だとも思う。

十四日

夜、一通り仕事を終えて、医局で先輩の先生方とおしゃべりしている所に電話。「救急外来から、内科の先生来て欲しいと....」そのくらいまで聞いた所で席を蹴って走り出した。たまたま卒後数年目までの先生方が集まっていたので、5・6人がばたばたと病院の廊下を走ることになった。
救急外来を受診していた患者さんが突如意識を失い、吐血して倒れたということで、いかにも救急処置という感じの処置が繰り広げられた。血圧測定、意識状態の把握に心電図測定、吐いた血の吸引などなど。とりあえず患者さんが落ち着いて、ほっと一息ついた。

でも、ふと見るとずいぶんな黄疸が見られる。まず見落とさないだろうという程の黄疸だったけれど、意識を失う前に診察した時のカルテにはそのことは触れられていなかった。
その時の外来担当の先生はたまたま仲のいい先生だったのだけれど、後で「熱とか発疹とかがあるということで、そっちに気を取られて黄疸のことまで気づかなかった」と言っていた。大事につながったわけではないけれど、かなり基本的なことで、見落としはショックなことだと思う。
忙しさの中で基本を見落とすというのはよくあることでもあるしよく戒めるべきことでもあるな、と教えられた気がした。

十五日

敗戦の日。二度と戦いを起こさないと決意する日であって欲しいと思うのだけれど。

お盆のせいか、すこうし病院が暇になっているような気もするのだけれど、気のせいかなぁ。
もっとも患者さんは関係なく発生するわけで。今日の仕事は早朝からの採血に始まり、近くの病院への救急患者の転送が一件あった。夕方には心肺停止状態で搬送されて来た患者さんの心肺蘇生が一件。最終的には蘇生に至らず、救急室で死亡確認となった。

コミケ疲れがまだ残っている気がする。まずいなぁ。

十六日

毎週木曜日午前は(名目上)研究日ということになっている。ので、すこうしのんびり出勤してみたりするのだけれど、この日は職員検診に宛てた。
身長体重血圧に始まって、レントゲン・尿・聴力・心電図・採血等々。尿検査は「取れていれば」程度の量があれば検査ができるらしいというのが新しい発見だろうか。

二十日

間がすこし飛んでいますが、出張で書けなかった時期だったりします。

そんなわけでちょっと病棟業務にブランクができていたけれど、とりあえずは平穏無事でほっと一息。患者さんに挨拶をしてまわる。
今の所、退院が見えている患者さんが多くて、すこし気が楽。もっともここの所退院が見えた所で病状悪化する患者さんに悩まされているので、ちっとも気は抜けないのだけれど。

昼には高校生の見学の相手をする。医師という仕事を目指す人は少なからずいて、その多くは真面目な学生さんなのだと思う。(実際問題、真面目に物事に取り組む人じゃないと今の世の中を医師として渡っていくのは難しいと思う....) 中には出身高校の後輩もいたりなどして、のんびり話をさせてもらった。

二十一日

採血当番の日。朝六時すぎから出勤する。だいぶ慣れてきて、失敗することは少なくなり、時間もかからなくなってきたけれど、まだ動きがぎこちないなぁと感じる。
朝から早起きだと夕方頃にはだいぶかったるい感じになって来る。これで当直なんていったらどうなってしまうのだろうかと思う。体力ないからなぁ....。

二十二日

朝は台風直撃。大雨の中、完全装備で雨の中に自転車で突っ込んで行く。帰りはどうなることかと思ったけれど、案に相違して帰りにはからりと晴れていた。

その怒涛のような雨のせいで、救急外来に来る人は少ないだろうと期待していたのだけれど....。急性膵炎、急性心筋梗塞、強いめまいに肺炎と、入院を検討しなければいけないような患者さんが次々と。午前中だけで3人くらい入院にしたような記憶が。
昼ご飯にあり着いたのは2時を回っていた。(それも、カップラーメン一つだったりする....)

二十三日

夜、異動になるMSW(Medical Social Worker)さんと一緒に呑み会。
病気というのはある意味平等に襲ってくるものだけれど、お金がない人ほど病気への対抗策は限られて来てしまうのが現状。わたしの勤務している病院はできうる限り患者さんを断わらないことを方針にしてはいるけれど、それはつまり社会的困難を抱えた人でも受け入れ、治療していこうという姿勢に他ならない。ホームレスであったり、健康保険の保険料を払えないほど困窮している人に対しては、それ相応の対応をしなければ費用を回収できない。
そういう時に動いてくれるのがMSWの方。他にも、複雑な各種申請の手続きをサポートしたり、転院先探しをしたりと、非常にお世話になっている。
呑んだ後は、二次会でボウリング。国家試験受験勉強をしていた頃は結構行っていたのだけれど、最近はちっともやっていない。得点はやっと100点を越える程度だった。

二十四日

午後、病棟であれこれと業務をやっていると、上の先生から「ちょっと...」と声をかけられる。「転送行ってくれないかな?」
重症の患者さんで、不穏もひどくなったということで他の病院に転送したいとのこと。ついては付き添っていって、申し送りをして欲しいということだった。‥‥実はこれで転送は3回目。かなり遠い病院まで、救急車で患者さんに付き添った。

二十六日

日曜日。けれども(少し遅起きはしたけれど)病院へ。久しぶりに週末がフリーなので、退院サマリー整理など。
元来あまり集中力が持続する方ではないので、数時間で一息ついて、買物に。「ミドリノツキ(中)」(岩本隆雄/ソノラマ文庫)・「西の魔女が死んだ」(梨木香歩/新潮文庫)「クレイジー・ボム」(岡本賢一/ソノラマ文庫)。後は服など。
仕事を終わってからFreeBSDのipfwの設定などして、久しぶりに休日らしかった、かな。

三十日

何だかこの数日間は家に帰って来るのがやっとの忙しさで、日記を書くのもままならなかった。
‥‥家に帰って来られるだけましという風にはなりたくないと思うけれど。

三十一日

八月が終わる。‥‥ほんとかいなというのが実感だったり。(爆)
これまで八月はイコール夏休みで、いろいろイベントがあるものだったけれど、イベントらしいものはコミケくらいで終わってしまった気がする。これが社会人というものかなぁ、と思ってみたり。
その間に、少しはマシになっているのだろうか。


Written by Genesis
感想等は、soh@tama.or.jpまで。リンクはご自由に。

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