歳時記:七月の項

十三日

何とも中途半端なところからではあるが、日記が始まる。
日々記すことができるかは微妙だけれど、少しでも書き継いでいこうと思う。

十四日

土曜ではあるが出勤日。建前的には四週六休ではあるがその建前通りに仕事が終るなぞ夢のような話、という状況。
本日はRI当番。やっていることは薬剤の静脈注射。薬剤、といっても放射性同位元素(平たく言えば放射線を発する物質)というけったいな代物で、それを検査のために注射していく。まだ注射が上手とは言えない一年目にとっては(検査を受ける人には申し訳ないが)いい練習の機会でもあるが、この薬剤が一本で万の単位の値段がしてしまうのでこぼしでもしたらとんでもないことになる。
これまでは一年先輩がついてくれていたのだが今日からはひとりでやっていた。作業の要領はだいぶ掴めてきたが、今日はろくに静脈の見えない人がいてかなり憂鬱になる。ふっくらして可愛い女性の患者さんだったけれど、もっと別の機会にお近付きになりたいものである。(^^;;

その後は病棟へいって受け持ちの患者さんの様子をみる。熱が上下している患者さん、重い病気があるんじゃないかと不安がっている患者さん。現在は受け持ち患者数が少ない分、一人一人のことを徹底的に考えていられる。
合間には動脈血採血─血ガス─・傷口の消毒やチューブの交換。こういう細かい仕事を嫌がれる程には実力がついていない。以前は全部指導医の先生が監督してくれていたが、今では処置くらいでは見には来ない。おかげで病棟での仕事は絶えることがないのだけれど。

昼の数時間は救急当番。三年目の先輩にくっついて対応している所を見学したり、診察させてもらったり。当院初診の患者さんの対応を任されて、話を始めてみるといろいろな問題点を抱えている患者さんでどうしたものだかとまどってしまった。とりあえず検査のオーダーを出して、検査に行ってもらっている間に先輩に相談するくらいの知恵が働いたのでよしとしよう。

今日は久しぶりに店が開いているような時間に帰れたので、書店を回った後ディスカウントストアでタオルケットを買って来る。書店での収穫は「キノの旅VI」(時雨沢恵一/電撃文庫)、「華胥の幽夢(かしょのゆめ)」(小野不由美/講談社文庫)。

十五日

朝寝坊する。たまにはいいか。

今日はコミケット第三回拡大準備集会ということで、東京ビックサイト会議棟へ。掲示が出ていなかったので少々心配になりながら行ってみたらちゃんとやっていた。
米沢代表のありがたいお話を聞いて、分散会でスタッフ章とカタログを受け取って。──まぁそれだけだったんですけど。
行き帰りに「キノの旅」「華胥の幽夢」「ぶたぶたの休日」(矢崎存美/徳間デュアル文庫)を読了する。未読本はすぐになくなってしまう....また買い出ししなきゃ。

十六日

月曜日はやることの多い日。週末の間の患者さんの状態を把握して、様子を見に行って、指示簿を書き、看護婦さんとのカンファレンスをし....他にもいろいろ。神経内科で担当している頭部CTの読影も月曜日に一週間分まとめてやる。
いざ一日の終りに「今日は何をしたっけ?」と考えてみると、大したことをしてないなぁと愕然としたりする。
業務が一通り終った後で明日朝のプレゼンテーションの準備をする。泥縄っていわれたら立つ背がないんですが、今日入院する患者さんがいたらその方をプレゼンテーションに出す予定だったもので。世の中が平和でいいことだとばかりも言っていられなかったりする。

十七日

泥縄で準備した新入患者プレゼンテーションはなんとかつつがなく終了。疲れた。

リハビリのために入院している患者さんの便に血が大量に混じったということで、消化管の病変はないかとCTを撮ったら腫瘍のようなものが写ってきてしまった。初めの見込みと全く違った病気が出てきたのは初めてでちょっとうろたえる。
職業柄こういうことは避けられないとは思うのだけれども、どうやって家族や本人に伝えていこうかと考えるとちょっと憂鬱な気分になる。

十八日

朝病院に行って、指導医の先生に挨拶する。と、「脳炎の患者さん入っているんだけど、持ってみる?」とのお言葉。そんなに多い病気じゃなさそうだし、今は受け持ちは比較的落ち着いているし....と思って「やります」と伝えたら、「患者さんICUにいるから」と言われる。
「ICUって国際基督教大学のことですか?」などととぼけてみても始まらない。かくして集中治療室-Intensive Care Unit-デビューとあいなったわけ。
患者さんに会うまでは意識もなくてマスクをつけられて...みたいな状態を想像していたのだけれど、とりあえず受け答えもできて手足も動かせて、という状態だったのでちょっと安心。とはいえ朝一で駆けつけてきた家族に指導医の先生が「けして楽観はできない」ということをお話しているのを聞きながら気を引き締めていた。
結局この日は仕事のかなりの部分をICUでしていた。指示簿の書き方なども初体験なので人に聞くしかない。働いている看護婦さんも顔見知りの人がいないのでものが頼みにくいし聞きにくい。迅速に指示を出して、緊急で画像検査などもやってもらう必要がある。緊急検査の時には偉そうに電話一本で片付けるという気になれずに直接行って頼み込むことにしているのだけれど、結構歩き回って疲れた。

もちろん他の患者さんに対してもやることはある。本日行った手技はIVHカテーテル挿入一件と腰椎穿刺一件。他にもちゃんと回診して、カルテ書いて検査をオーダーして書類を書いて。
というわけで、なかなか充実した一日でした、まる。

十九日

この日は回診の日。神経内科の先生方が勢ぞろいして、今週入った患者さんについて診察して意見を交わす。そのために受け持ち患者のプレゼンテーションをする必要があったりするのでちょっと大変な日。今週は新入院が二人もいるので特に。
そのうちの一人は輸入感染症──海外でかかって国内に持ち込まれた感染症──の可能性がありそうということで、「調べておいてね☆」と言われてしまったのだけれど、手がかりが少ないのでちょっと途方にくれたりして。Webで検索をかけてみようかなぁ。すぐに生死に関わるような症状でないのは安心材料だけれども。

二十日

今日は神経病棟でのレクリェーション企画・キャンプ旅行。朝早く起きて人を乗せ、山梨へ向けて中央道を走る。連休の初日ということでかなり渋滞はしていたが、もとから余裕を持ったプランニングをしていたので、ほぼ予定通りにキャンプ場へつけた。──こういう企画の時にも仕事が休めない人が一定数出てしまうのは、医療職の哀しい宿命というところだろうか。
着いて早々お料理の準備が始まる。バーベキューにカレーに豚汁に焼きそば。おいおいそんなに食べられるのかよと思っていたら、案の定焼きそばを作る余力はなくなっていた。ちょっともったいなくはある。
普段ゆっくりおしゃべりをしない看護婦さんなんかとだべりつつ、かなり夜遅くまで起きていた。

二十三日

間が飛んでしまったけれど、単なる書き忘れです。(爆)
休み明けでちょっぴりかったるいからだを抱えて出勤。早めに着いて、患者さんの様子を見ておこうと受け持ち患者さんの所へ行くと。
「朝からちょっと胸が苦しくて」という患者さんがいた。どこがときくと左の胸、という。所謂心筋梗塞では、前胸部の苦しさ、痛みが初発症状になることが多い。「もしや、心筋梗塞?」ということであわてて心電図を取ると、前回と比べて少し変化している。心筋梗塞or狭心症が疑われるということでニトロ製剤を使い、唇の色が悪いということで動脈血ガス分析を行ったところ低酸素状態ということで酸素投与を開始する。いきなり朝からどたばたとしてしまって、忙しい日になりそうだなと予感した。

結果から言うと予感はあまり当たらず。それなりに忙しくはあったのだが、いつもと変わらないくらいかな、程度。それでも、毎週恒例の頭部CT読影会終了時刻は8時近くとだいぶ遅くなっていた。

二十四日

これまで実はあまり採血の実習をしていない。動脈血は医師しか採れないので、動脈血採血が必要な時はこちらにお鉢が回って来るのだが、普通の静脈血採血は看護婦さんでもかまわないので、看護婦さん(それも主に一年目)にお任せしていたのだ。しかし、今後のことも考えるときちんと手技を身につける必要はある。というわけで、週一回の朝の採血当番が始まったわけである。
かなり早起きして病棟に顔を出す。四人分の採血スピッツが並んでいるので、それをとって採血の準備。一応だいぶ前に手順だけは教わっているので、要領は悪いながらも何とか成し遂げた。
しかし、時間がかかりすぎだなぁ。今後の課題だ。

今日は以前退院した受け持ち患者さんが指導医の先生の往診を受けているので、それに同行してFollow Up.ついでに他の患者さんも診ていく。在宅介護、と一口に言ってもさまざまな人がいる。大きな家に住んでいる豊かそうな人、何とか二間ある程度の安アパートに住んでいる人。冷房もなく扇風機だけの家や、冷房の出力をかなり落している家などもあって、けして豊かではないんだなぁと思ったりする。

昼過ぎからは、病院に実習に来ている医学生さんと一緒に病棟業務。夏休みを利用して、卒業後の研修先選びを兼ねつつ来ている学生さんということで、ついこの間までの自分のことを思い出しながら話をしたりする。
国家試験のための勉強、と思うとひどく味気ないものではあるのだけれど、やはり勉強したものは何らかの形で活きてきている、と思う。試験はある程度選抜という要素が入るものだけれど、そのなかでも「いかに自分の能力を高めていくか」を考えながら取り組んでいけたら幸せだと思う。
病棟業務といっても実際は処置の嵐。血ガス、胃瘻チューブ交換、IVHカテーテル抜去等々...合間に患者の家族との面談が入ったかな。やりながら、合間で受け持ち患者の様子を診ていく。この日はあとカルテが書けていれば仕事の流れとしてはなかなかよくできたなぁと思う(カルテ書きの暇が取れなくて、結局深夜にまとめてちょこちょこと書いただけになってしまった....)

二十五日

朝一で行って採血。毎週火・水で採血を担当しようと決めたのだけれど、科長の先生が毎週水曜日に受け持ち患者さんの採血をまとめて出すためやけに多いので、二人で分担しようと決めた次第。昨日よりはスムーズに進んだ。

午前救急、午後病棟のタイムスケジュール。午後になって検査を出しに行っているとポケベルが鳴る。病棟からということで電話をかけてみると。「IVH抜去と胃瘻交換とIVH挿入と血液培養の検体採取があるんですけど、やってもらえます?」‥‥そんなの、わざわざ呼び出してまですることなのかい。五分待ってくれれば病棟に戻ったのに。
もっとも、看護婦さんにしてみれば医者がいる時にやってもらおうなんて思っていると際限なく仕事が延長してしまうのは確かなことなのだけれど。

二十六日

受け持ち患者さんが退院するということで、ちょっと早めに行ったのだけれど。「あ、次回の外来をいつにするか決めておくの忘れた」‥‥というわけで、あわてて後を追いかける。なんとか玄関先でつかまえて話をすることができた。
んで、「お大事に」ってご挨拶して、やれやれと病棟へ戻ろうとすると。‥‥妹がいた。なんでもこけて派手に怪我したということで、整形外科辺りにかかっていたらしい。つきそいで母親も来ていた。
わたしの勤務先はうちの家族のかかりつけであったりもするので、こーゆー事態も想像しないではなかったのだけれど、やっぱり起きてみるとどう対応すればよいのやら。
「医者に見えるじゃん」という妹の言葉は褒め言葉として聞いておこう。

二十七日

今日明日と医学教育学会。つーわけで出張扱いで永田町の砂防会館にいたりする。エライ先生のありがたくも長いお話は聞く気にならないので分科会を主にめぐる。大まかな所は予稿集でわかるとはいえ、質問などはやはりその場にいないとできないし。
昼休みには香川の北原先生(医学生ゼミナールでの先輩)と一緒にうどんなど食べながら、研修の話などぐだぐだ。最高の研修の場を用意することだけにエネルギーを使えるほど、いま病院は楽ではないなぁと思う。

終ってからは懇親会。去年は学生会員として出たので千円で食べまくっていたけれど、今年は五千円も払ったので更に気合いをいれて食べる。(笑) 合間にちょこちょこと回りで交わされている話に首を突っ込んだり、医学生ゼミナールでの知合い(OB含む)と話す。

二十八日

昨日は結局新橋のカプセルホテルに泊まってしまった。そこを出て、マクドナルドで朝飯にして、学会二日目。
今日もお目当ては分科会。気に入った所にはふらりと行ってみて、質問なども出してみる。あとで出身大学の筑波大の先生に「いろいろ質問してて偉いねぇ」などと言われてしまった。でしゃばりなだけだと思うんだけどなぁ。
昼は山口大学の川崎先生の電子シラバスの話を聞いてから、一緒に食事。マクドナルドであったりする辺りがなんとも。(死)

終ってから病院戻ってきて、少し仕事していた。

二十九日

参議院選挙投票日。投票に行ったあとふらふらと病院まで行ってしまって退院サマリーなど書いていたわたし。(爆)
そしたら日直で勤務していた指導医の先生に会って、「昨日入院した患者さん、持ってみる?」かくして休日にも関わらず初診の問診取ったりしていた。
勤務時間ではないわけで、別に仕事をかってでる必要なんてないわけなのだけれど、今の時期は一にも二にも経験値だと思うから、少しでも興味を持ったらどんどんやってみるのがいいと思っている。


Written by Genesis
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