書評:「復活の地」小川一水

「復活の地」I〜III 小川一水著/ハヤカワ文庫JA

阪神の震災があった一ヶ月後。わたしは神戸に行った。親しい友人がボランティアとして救援に行くと聞いて、自分にも何かができるかもしれないと思って、大学を一週間休んで神戸の病院へ行き、ボランティア活動に参加した。ふだんそれほど出歩く人間ではないし、どちらかといえば自分のテリトリー内で行動したがる性向があると思っているのだけれど、何故かこのときは寝袋と着替えをかばんに詰め込んで、ようやく動き始めたばかりのJRに乗って神戸入りした。
そこで見た神戸は、片づけられ始めたとはいえがれきの山がそこここに残り、生活の基盤をたたき壊された人々がたくさん避難所暮らしをしていた。
「地震によって引き起こされる被害」を間近にみた、と思った。それがやがて、わたしの住む地にも起こるだろうことも──いつの日かはわからないにしても──はっきりしている。その時自分は何をするか、そんな問い掛けをずっと抱えている。

「復活の地」を読みながら、ずっとわたしはセイオに感情移入していた気がする。徒手空拳で災害に放り込まれ、己の才覚と力を駆使して巨大な災害への対応を挑む主人公は、「かくありたい」姿に思えた。
けれども、作品中でセイオは万能のヒーローとして描かれてはいない。苦悩し、失敗し、つまづきながらも己に課した義務──帝国を守るという仕事のために必死になっているだけ、そんな風に思えた。II巻ではむしろ、帝国という大きなものに囚われて民衆が見えなくなってもいる。「お偉いさん」の視点になったセイオが、そこから抜け出していくのもひとつのドラマだと思う。

ヒロイン役を果たすのはスミル皇女。離宮に遠ざけられていたがために生き残り、摂政の座についた少女。施政や世間から遠ざけられていた彼女が摂政に位付けられた理由はまさしく血統以外の何者でもなかったのだけれども、いくつもの出会いや事件を経て、彼女が自らの仕事を自ら考えて進め始めていくのも、この物語の面白いところ、と思う。
面白いな、と思ったのはレンカ帝国の体制が高皇の親政というよりは立憲君主制に近い、高皇の意向が必ずしもストレートに施策に反映しない形をとっていることだった。高皇(スミルの場合は摂政だが)と政治家の緊張関係が窺えて面白い。途中に挿話的に入るカング高皇とサイ王子との対話が印象深かった。

第III巻では再来する震災を迎え撃つ人々の行動と施策が描かれる。そして、それを注視しつつ自国の利益を図ろうとする惑星間国家──列強の暗躍も。宇宙規模で展開される腹の読み合いと、それとは無関係に──あるいはそれらをにらみながら進む震災の迎撃。前回の震災で学習した役所が、民衆が、現場の人々が、それぞれの力を振り絞ってことに当たっていく。しかも、一片の命令書もなしに。
自発性に依拠した災害対策、というものが本当に難しいことはわかるけれども、一つの理想形がここにあるのではないかと思いながら読んだ。災害対策のために必要な道具を、それとなく用意していく。いざというときに必要なノウハウを、事前にすべての人に届けていく。それでいて、義務や罰で縛らない。そんな思想は、できるだけたくさんの人々を動かしていくにはよいやり方なのかもしれないと思った。

阪神での震災のあと、新潟でも、福岡でも地震は起きた。被害もそこからの復旧も、阪神大震災より小さく、早くなっているように思う。スマトラでの地震・津波の報道を読みながら、日本の地震や津波への対応がいかに素早くできるように鍛えられているかを実感した。
それだけ進歩しているからこそ、さらに進んだ対策を、と思う。たとえば新潟での地震では、新幹線の地震対策への不備があることがわかってきた。幸いにも被害が小さくすんだけれども、どうすれば被害が防げたかの研究が進むとよいと思う。


Written by Genesis
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