書評:「研修医はなぜ死んだ?」

「研修医はなぜ死んだ?」塚田真紀子著/日本評論社
ISBN: 4-535-98204-X  定価1600円

不定期掲載のブックレビューの第一回は、硬派な評論。自分自身が「研修医」であるだけに、興味深く読んだ。

「研修医は労働者であるか」という問題提起が物議をかもした「関西医大研修医過労死事件」。これまで同様のことはおそらく幾らでもあったのだろうと思うけれども、被害者(あえてこう呼ぼう)の森大仁さんの父、大量さんがその道のプロである社会保険労務士であったということ、そして大量さんが真実を明らかにしようと執念を持って取り組んだことが、研修医の実態を明るみに出したということがいえると思う。
逆にいえば、これまで大学も役所もこういった実態を改革することができなかったということでもあると思う。法律の条文を読めば素人にもおかしいと思えるような実態が、研修医を取り巻く実態であったわけだし、長い間それを何とかしなければならないという問題提起はされていたのだから。

構成は三部構成。第一部では「父の闘いの軌跡」として、森大量さんがどのように息子の過労死の実態に迫っていったか、また彼の追及に対して、大学や役所がどのように反応したかがまとめられている。第二部では「研修医という存在」と題し、日本で研修医がどのような状況に置かれ、どのような教育を受けているか、その一端が紹介される。第三部では「研修医の未来」と題して、今問題となっている医師の卒後研修必修化や研修内容の改革についての議論が紹介されている。
現在の研修医の状況について、医師達の意識について、概観することができると思う。

先日ふと気付いたことなのだが、医師の世界はかなり異動が多い。初期研修を受けた病院と中期研修をやった病院とが違うなど当たり前のことである。わたしの母校の某大学の附属病院では、研修医は6年間のうち約3年を大学病院で、約3年を関連の病院で過ごす。その後もあちこちの病院を巡るし、大学の教官となったとしても、そこでずっと仕事をしていく人はごく少ない。
本の中では触れていないが、そういった流浪の生活の中で、いま所属する病院で労働条件を変えていこうという動きが盛り上がっていかず、「次の勤め先に期待しよう」というような意識が、医師の中にあるのではないかなと思う。
文中で「看護婦などは労働組合があり、守られていることが多い」というような記述をみながら、そもそも労働組合の運動に医師が合流していこうとは思わないのではないかな、と思ったりした。
もちろん、医師以外の医療系の職員が楽な生活をしているわけではない。看護婦にせよ、不規則な生活ゆえに体を壊したり、若いうちだけと割り切って仕事をしている人がかなりいる。そんな状況下にもかかわらず、病院の多くは赤字なのだ。ない袖は振れないということで労働条件は改善されず、病院職員にしわ寄せがいっているのが現状だ。医師のみならず、広く医療職全体に厳しい労働条件が課せられているということは触れて欲しかったと思う。

「インターン」がまだいると思っている患者さんに、わたしはたくさん会ってきた。そのつど、今の研修制度のおおまかな枠組みについて話してきた。医療を受ける側も、医療人の養成について関心を持っていかなければ、医療を受ける側の気持ちが分かる医療者を育てることはできないだろうと思う。
「医は仁術」という。けれども、仁の気持ちを神ならぬ普通の人間が持ち続けるためには、それなりの裏づけが必要だろうと思う。金銭的なものだけではなく、肉体的精神的余裕をどのように確保するかを、考えていかないと思う。


Written by Genesis
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