デーテーペーな1日

1999.09.01~15


日記関係の発言はこちらで。

9月1日(Wed)


 東京は日中の最高気温が35度だとか。暑かったはずです。夏バテなんで早く涼しくならないかなと願いつつ冷たいものがぶ飲みで相変わらず身体はダレダレ。最近は飲むものがなくなるとかき氷の蜜・・・あの真っ赤なシロップを薄めて飲んでます。これがもうただただ甘いだけでこれの何処がイチゴ味なんだか。いかにも身体に悪そうなところがなんともはや。日常生活もそんな感じでまったくやる気なし。夕方から二度寝したんで多少はスッキリしたんですが今夜は今夜で蒸し暑そうだし、今からもううんざり。
 今日から9月だと言うことで、とっとと夏は終わって欲しいのに一向にオシマイになる気配がなくてこの暑さですから、こんなつまらぬ日記など書いてる場合ではありません。適当に日記更新したらもう一回寝ようかな。

 事務所のクーラーが・・・って去年から言ってますね。さっさと直せば良いものをひょっとしたら勝手に直ってるんじゃないかとたまにスイッチ入れてみては「ちっとも涼しくない。」とげんなり。来年こそ直したいなぁ。



9月2日(Thu)

 今日は雨が降ってやる気がないんで日記書くのがめんどうだなぁ。もっとも天気が良くてもやる気がないんでどっちにしても日記書く気がないんですけどね。
 考えてみれば毎日毎日やる気がないと言いながらそんな事ばっかり書いてる日記ってのもおかしなもので、世の中にはもっと一生懸命に「Web日記」に取り組んでいる人がいるというのに、我ながら情けない限りです。もっとも今更「日記猿人」や「Web日記」にこだわる人もいい加減流行遅れな気もしますが。
 がはははh、などと八つ当たり気味なのは、素直に仲間内に潜り込めないオヤヂのひがみでしょうか。それとも終わってしまった祭りの跡をいつまでも未練がましくさまよう寂しい人間なのかも知れません。
 やっぱりネットの世界に無防備な人が減ってしまったのが最近の面白味のなさの原因なんでしょう。匿名でいくら不倫日記書いたところで所詮は三流告白雑誌の焼き直しだったりうそ寒いラブラブポエムの垂れ流しだったりで、読む側には一向に伝わるものなどありません。リスクを犯しても尚且つ書かずにいられないものがあったればこそ「Web日記」にはある種の真実と痛みに伴う切実さがあったのだと思います。無論書かれたものすべてが真実ではなくある種の妄想の類だったとしてもです。そこに共感するか反発するか人それぞれとしても、何かしら人のココロに訴えるものが確かにあったような気がしたのは・・・まぁ僕自身の錯覚なのかも知れませんが、そうした錯覚を含めてある種の時間を共有していた実感は確かにありました。
 ただし、いまのやる気のなさもまた、そのあたりの時間の共有に起因しているのかも知れませんが。

 またもや過去を懐かしむロートルの独り言という奴なんでしょう。繰り言が増えるのはまさに老いの証拠。ネット的には3年前の出来事なんて遥か昔の事のように思えます。ただし3年ぶりに再会したりすると、その間の時間を一気に埋めてしまうのもネットの世界ならではのようです。



9月3日(Fri)

 母親の料理を手伝いながら自分達なりのレシピをメモ書きしていたんですが、本日の夕食はその手書きのレシピを見ながら子ども達だけで作ったハンバーグ(?)でした。クエスチョンマークが付くのは、ハンバーグにつなぎがほとんど入ってなくて、どちらかというとひき肉をステーキ型にまとめた「ジャーマンステーキ」に近かったからで、まぁそういう訳で肉がちょっと多すぎて固かったんですが子ども達だけで最初から最後まで作ったにしては上出来かも。ソースもケチャップとウスターソースできちんと作っていて、いわゆる「我が家の味」になってました。ただし、つけ合わせがキャベツの千切りだけってのは・・・あまりにも絵的に寂しすぎるかも。とんかつじゃないんだから、キャベツの千切りはなぁ。やっぱりハンバーグならせめて目玉焼きぐらい添えて欲しいものですが、途中で面倒になってあっさり手を抜いてしまったようです。20分で晩御飯という訳にはいかなかったようですが、それでもせいぜい30分ぐらいで出来上がったようで、いい加減な仕事ぶりが得意なのは父親ゆずりなんでしょう。
 その間奥さんはと言うと、廊下でカゴに入ったうさぎとずっと遊んでました。うーむ・・・奥さん、寂しいのか?

 朝夕は多少涼しくなってなにより。残暑はいい加減にしてもらって一気に秋本番だと良いんですが。



9月4日(Sat)

 気がつくと今日も我が家の奥さんは暗い廊下にひとり座って、じっとうつむいたままうさぎのオリを眺めてました・・・うーん、ふと振り返ったときにそんな姿が見えるとマジで怖いです。
 オリの中に住まううさぎの姿に何かを仮託しているのかしらんとか、無目的なその「生」の姿に何かしら思うことがあるのではないのかと、ついつい余計な気をまわしてしまいがちなのは日頃の己の行いにいささか後ろめたい部分があるからかも知れません。
 何となく物思いに耽るようなそぶりなんですが、人生についてとかこれからいかに生きるべきかなんて、そう云うことの似合わないマイ奥さんの筈なんですが、最近はそうでもないような気がします。単に不機嫌なだけなのかも知れませんが。
 まぁそう難しく考える必要はなくて、単にうさぎが好きなのかも。確かにフローリングの床をすべりながらひょこひょこ駆ける姿は可愛いものです。なんだかやたらと元気で思いっきり部屋中駆け回ってますが、植木鉢倒したりソファーの後ろでオシッコしたりで落ち付かないんですが、生き物なんだからしょうがないと言えばそうなんでしょう。

 子育てにも飽きてどうやら「うさぎ飼育日記」でも書く気なんでしょうか。そのうち「我が家のテトちゃんでーす。」とか言いながらデジカメ写真をアップしたりするのかも知れません。



9月5日(Sun)

 もうそろそろ9月9日なんだなぁと、今更のように時間の経過の早さだけを感じるのはどうした訳なんでしょうね。
 以下完全な独り言なんで関係者以外は読む必要はぜんぜんありません。まぁ日記とは、すなわち「独り言」でしかないことも確かなので、事改めてそんなことを言い訳する迄もないのかも知れません。そのうえ関係者の大部分が行方不明というか元の居場所からは消えているのでこの文章を読んで意味が分かる方というのもほとんどいないような気がします。だからこそ「独り言」でしか語り得ないとも言えるのでしょう。
 あぁ、自分で書いてててなんとも回りくどい言いぐさ・・・要は読んでも意味不明で訳判りませんよと、一言で済むだけのお話しでした。

 そんな先の話しなんてどうなることやらと思っていた筈なのに、1999年9月9日に拘った彼の思いはようやく成就することになるんでしょうか。消えてから気になってはいてもわざわざ探す気がなかったのは、何となくそんなことをされるのはイヤなんだろうなと思ったからからだったんですが、ネットの世界に繋がっていれば少し検索してみれば居場所は何となく判るものです。今日少し探してみると、あのふたりは相変わらずのようで、彼が何も変わっていないのは至極当然だとしても、彼女の方も未だに病院と縁が切れていないようなのはやっぱり気になります。だからと言って僕に何が出来るわけでもなし、ただ黙って見守ることしか出来ないんでしょう。
 何かを祈るほど傲慢ではないにしても、あのふたりがこれからの人生を平穏に過ごすことを願うぐらいは僕にでも出来そうな気がします。

 こんな処でブツブツぼやいてないでメールでもすれば良さそうなものですが、それが出来ればこんな処でブツブツぼやいてることもないんでしょう・・・と永遠に堂々巡り。



9月6日(Mon)

何かが壊れていく時のきっかけとは
こんな風に極めて些細な一瞬から始まるのかも知れません

灰色の影がその場所にないことを確かめたばかりだというのに
そこに在ると言う「あなた」のコトバを
敢えてとがめることが出来ないのが
つまりは「些細な一瞬」

灰色の影が僕たちを互いに分かつものの象徴であることを知れば
それが強固なくさびとなることもまた自明の筈だった

それを望んだのが「あなた」であることが
わたしにはいささか切なかったのだが
いまさら感傷に耽るには
あまりに疲れすぎてしまったようだ

空虚を抱えて生きることを望んだときから
やはりわたしには
誰かを満たすことなど
できようはずもなかった

 空虚を抱えてたどり着いた場所から、新たな空虚を抱えて後戻りするのが僕の人生のようです。



9月7日(Tue)

 何処か・・・身体の芯から滲んでくるような疲労感という奴に取り付かれてしまったようです。肉体的なそれも確かにあるのでしょうが、なにも考えられない、なにもしたくないという思いの原因としては少し違うような気がします。ささくれた自分自身の気持ちがなにより耐え難いのです。人のコトバを素直に聞けないその偏狭な自意識が己をがんじがらめにしている事を知りながら、深い井戸の底から這いあがることが出来ずにいます。
 その場所は「嫉妬」と「猜疑心」に重く濡れた石組みに囲まれた、わたしの裡なる古井戸のようなものなのです。漆黒の闇の中で手を伸ばせば、辛うじて届く範囲には密に重なった石組みが指先に触れるのだが、何処にも手がかりになりそうなものはなかった。見上げればはるか彼方に丸く切り取られた空が見えるのだが、それはあまりに遠くに思えた。
 冷たい地下水に首まで浸かりながら、この状況こそが自業自得というものの象徴なのかと、わたしはひとり自嘲する。

 素直に手を伸ばせば暖かい指先がそこにあることを知っているのに、こうしてすれ違いつづけるのは果たしてなにが原因なのでしょう。こうしたことを誰も望んでいないというのに。



9月8日(Wed)

 もちろん僕にはなにかが不足している訳ではありません。それらのものが最初から欠けているというのが、つまりは僕の焦燥感の原因なのだと思います。予め欠損した輪は失った部分をつぎはぎして繋いだものだから何処かいびつで醜く変形したままに固化し、かつての柔軟さを失ってしまったようです。不足するものなら素直に足せばそれで良かったのでしょうが、欠けたままに硬直したものはもはや取り返しがつかないほどにねじ曲がっていて、すでに修復は不可能なようです。
 だからこそ、何処までいっても僕自身の喪失感は埋めようがないまま放置する以外に方法がないのだろうし、その事の不足を言いつのったところで決して満たされることなどはないのかも知れません。
 しかし、「わたしは決して満たされることがないのだ。」と言い張る人間と係わる事ほど空しいものはないようです。まるで穴の空いたバケツに水をくむように、何度繰り返したところで一杯になることがないのだと知って相手はいつしか疲れはててしまう。そうした徒労を強いることを恐れるあまりにココロを閉ざすこともまた、僕にとってはただの自己欺瞞にしか過ぎないことを知って、やはり何処までいっても僕は道に迷うばかりなのかも知れません。

 本日またもや意味不明。かくの如きものが「日記」である訳もないのだが、だからと言って「何?」と問われても答えはありません。



9月9日(Thu)

 萎え萎え日記を読まされる側の立場なんて、実は知ったことじゃありません。誰かに語りかけるように綴った文章は、本当の処は誰にも伝える事がないことの証明でもあって、誰であっても良いからとにかく読み手の存在さえ確かめられればそれで満足しているだけなんでしょう。つまりはテキストにおける「通り魔」のようなものかも知れません。この時期にそんな比喩でなにやかやと書きつのると至って不穏なことを書いてしまいそうで我ながら危惧するのですが、やはり僕は「通り魔」の現代性に何かしら魅せられるものがあります。

 で、僕の日記の比喩とはなんの関連もないままに事件について埒もない妄想に耽るのも何時ものことのようです。
 縁もゆかりもない人間をたまたま通りかかったからと包丁でめった刺しするその理由のなさが人を不安にするのだが、よくよく考えてみれば人間の死に理由などがある筈もなくて、ひとは何の意味もなくただただその時期がくれば死ぬ訳で、その理由など誰も知るはずもなかった。偶然に癌化した細胞に蝕まれて死ぬことも、路上で見知らぬ男に背中を刺されて死ぬことも、その意味のなさや唐突さにはなんの違いもないと思うのは、やはり特殊な考え方なんでしょうか。むしろ「通り魔」の犠牲者として死ぬことには何かしら特別な意味があるのかも知れません。例えその事になんの理由がないとしても。
 ひとは意味もなく生まれて突然に死んでいくのだが、生き残った人間の裡に何かしらの記憶として刻まれたものの過多でいうなら、理不尽な死であればあるほどなにがしか意味ありげに見えたりするのかも知れません。誰にも知られず乾いた大地に打ち捨てられる死に比べてむしろ幸せに過ぎると書けば、それはあまりにも不穏なのかも。

 偶然の死を与えるものとは・・・神の別名がそう呼ばれたことがあったと思います。実行するものに大した意味はなくて、行為の結果がすなわちそうなのかも。



9月10日(Fri)

 麻美の場合なんですが、学校の勉強でなにが嫌いかと訊くと「算数」と即座に返事が返ってくるのは、まぁ僕もそっち方面は昔から好きじゃなかったのでよく判るんですが、どうも算数そのものよりもテストの「問題」をいちいち読んで答えを求めなければいけないその作業が面倒だからというのが嫌いな理由のようです。だとしたら国語も社会(いまは社会という授業はないのかな)も、すべては問題を読んで答えを出すのがつまりはテストなんだから勉強はどれも嫌いとも言えるわけです。
 ただし、国語などはそう嫌いでもないと言うから、やはり数学的思考を問題を読みながら思い浮かべるという作業が苦手なタイプなのかも知れません。さらに言えば苦手というより、面倒くさいことが嫌いというだけなのかも。単純な筆算の計算問題のテストなどはわりと一生懸命やるタイプで、ひたすら機械的に計算するようなことはそれほど嫌いじゃないようです。
 そんな麻美が「今日の算数の宿題はすらすら出来て自分でもビックリした。」とか言うから、「じゃ算数も一生懸命がんばったんだ。」と誉めようかと思ったのに、そのあとに「でもよく見たら昨日やった問題だった。だからすぐに判ったみたい。」・・・だそうです。
 やっぱり我が家の娘は折り紙付きのバカ娘のようです。

 オチがついてくるから麻美のおしゃべりも案外あなどれません。正美だとオチが意味不明でさっぱりなんですが、麻美の場合はそのあたりもとっても判りやすい奴です。



9月11日(Sat)

 我が家の夏恒例のイベントと言えば「ビンボー一泊旅行」と相場は決まっているんですが、今年の夏はいろいろとアクシデントやら萎え萎えな出来事があったりで子供達の夏休み中には出かけることができなかったので、もう今年はナシにするかと考えていたんですが、子供達は子供達なりに楽しみにしていたようで、やっぱりそのビンボーくさい楽しみにつきあうかと、もう9月だというのに出かけることに。どうせ一泊しかできないんだからわざわざお盆休みなどの混み合う時期を外した方が案外利口なのかも知れません。奥さんは日焼けがどうしてもイヤな人なんで行き先はやっぱり海ではなくて山になります。今回は同じ長野県ですがいつもとは違って菅平高原に。しかしなぁ、ここもホテルやペンションがやたらと林立してますがそれ以外は見事になにもない処。冬場はスキーでよく名前を聞くんですが、夏は何だか汗くさい男達がうろうろしてるだけの夏合宿のメッカだとか。人が一番集まる場所がコンビニって処からして、そのなにもなさぶりが想像つくというモノです。そんなコンビニのまわりにはバカっぽい顔つきの男や女がうろうろしてます。
 なにもすることないんで、仕方がないから後は家から持ってきた花火でもして早寝でもしますか。こんなことなら家にいた方がよかったとは、思っていても言わない方がいいんでしょう。えぇ、その程度の分別はぼくにもあります。

 奥さんも頭が痛いと、何だか絶不調のようです。元気なのは子供達ばかり・・・これからグレ電探して日記をFTPするのも面倒だなぁ。近くに見当たらないから車で走らないと。奥さん寝てからこっそり出かけるか。



9月12日(Sun)

 夕方7時過ぎには帰ってきたんですが妙にグッタリしていてそのままソファー寝してしまって・・・そんなに疲れてるならいっそ朝まで寝てれば良さそうなものを途中で目が覚めてしまって、仕方がないから日記でも書いておくかともう一度起きだす処が相変わらずのようです。
 高速使わずに途中軽井沢やらあちこち寄り道しながら帰ったのでけっこう時間がかかって疲れたようです。奥さんと子ども達のお土産はお饅頭とキーホルダーという相変わらずのワンパターンなんですが、まぁそうしたものはワンパターンだからこそお互いに安心できるのかも知れません。水子供養のお札なんてお土産に貰ったらちょっと怖いからなぁ。
 しかし、観光地の食堂のぼったくりぶりには心底うんざりさせられます。別に特別なものを期待している訳じゃないけど、今日のお昼に入った食堂で注文したチャーシューメンなんですが、その麺のちぢれ具合と言い一口飲んだスープの味と言い、これはまさしく・・・「サッポロ一番・しょうゆ味」じゃないですか! 海の家じゃないんだからインスタントラーメンをメニューに出すかなぁ。せめて「ラ王」とかにはならないんでしょうか。となると、子ども達が頼んだカレーライスはさしずめ「ボンカレー」あたりなんでしょう。焼そばなんて頼んだら「ペヤングソース焼そば」が出てきたりして・・・けっこう好きだったりするのが我ながら情けないけど注文はしませんでした。
 などと、食事のあとも車の中でずっとぼやいてる父親ってのもかなりビンボーくさい限りでした。

 明日は仕事かぁ・・・ヤル気なしなんだけどそうも言ってられないのが辛い処です。



9月13日(Mon)

 これは「残暑」ということで良いんですね? 今年の暑さにはうんざりを通り越してすでに慣れてきてしまったようで、このまま一生夏でもイイやと、なかば開き直ってます。とは言え、土曜・日曜と信州の涼しい風を満喫してきた身には堪えてます。
 まったくなぁ・・・ぶっ壊れたクーラーの事務所でひと夏過ごせば大抵の暑さには耐えられるもののようですが、3時過ぎから雨も降ったと言うのに涼しい風ひとつ吹いてこなくて、なんだか8月の夏本番の頃よりも蒸し暑いかもしれません。暑くてものが考えられないせいで日記もぜんぜん書く気がしません。暑くなくても書く気はしないんですが。<このフレーズももう何回使ったことやら。
 しかし、マジで暑いです。事務所で日記なんか書いてる場合ではありません。子ども達は公園で花火やろうとか言ってるし、我が家の夏はまだまだ終わりそうもないようです。

 そう言えば団扇でバタバタしながら電話していて「うるさい。」って笑われたことがありました。今年の夏のちょっぴり切ない思い出です。<うそ。



9月14日(Tue)

 なにかというと直ぐにメールチャットに持ち込みたがる人間なんで、3日後とか4日後にポツリとメールのお返事が届いたりするのは意外と新鮮だったりします。そんな間隔でメールのやり取りをするのが何となく今の僕には落ち付くようです。本来、寂しがり屋は我慢がきかないものなんですが。ただし、相手がむつけき男子学生なのがいささか不満ですが。ひょっとするとホモかも知れないし。tamuraクン元気? がはははh、
 なんて、またもやメールのお返事を日記に書いてます。ネタ切れなんでご容赦。

 僕の場合いわゆる「筆無精のテキスト好き」という人間なので、過去に誰かと文通したりラブラブ交換日記などを交わした経験はありません。ネットの世界で経験したE-mailによってはじめて、他者とテキストで交流(恥ずかしいコトバ)することを知りました。
 最初の頃は自分の出したメールにまさか返事が来るとは、その返事が返ってくるまで考えたこともありませんでした。一面識もない何処ゾの怪しいオッサンからメール貰って返事を書く女性がいるなんて驚きでした。紙の手紙だったらきっとストーカ扱いで警察に通報されたりするような気がします。お前はそんな風に女性にばかりメールしていたのかと訊かれると・・・うーん、面目ない。最近はずっと自粛してます。しかし、誰が悲しくて男にわざわざメールするようなヒマ人がいるんでしょう。今でも僕は男に出すメールなんて業務連絡以上のことは書こうとは思いません。えぇ、今週はやっぱり金曜日が都合が良さそうです。<さっそく業務連絡をやってます。

 相変わらずなにが言いたいんだかさっぱり判らない日記です。適当にコトバをうめて、とりあえず今日の日付けが入れば満足するようです。



9月15日(Wed)

 確か「敬老の日」は僕のおばあちゃんの思い出について書くことになっていたような・・・別に誰かに求められて書いている訳でもなし、日記にテーマをつけて書こうというのも妙な売文家の真似事のようで傍目で見ていれば定めしアホ臭い限りなんでしょう。もともとがアホ臭いのが「Web日記」の特徴とも言えるから今更いちいち言い訳しなくても素直にそのアホ臭い日記を書くことにしますか。

 僕はずいぶん大きくなるまで母親のオッパイを吸っていたらしくて、いくら吸ってももはや栄養価もなにもない母親の乳房に3歳を過ぎてもずっと執着していたらしい。恐がらせようと乳房にオバケの絵を描いたり苦い薬を塗り付けたりしても、台所から布巾を持ってきて自分で拭いてはいつまでも吸い付いていたようです。もちろん3歳児のころの確かな記憶が残っている訳ではなくて、母親などにその執着ぶりを何度も聞かされてすっかり自分のなかの記憶として刷り込まれただけなのかも知れませんが、確かに母親の胸にいつもしがみついていたような記憶はしっかりあります。
 やはり3歳ごろ・・・ひょっとするともう少し大きかったかも知れません。何時ものように祖母の家にひとりで泊まっていた夜、一緒の布団に寝ていてふと手を伸ばすと祖母の胸にもなにやら母親と同じようなふくらみがあることに気づいた僕は、執拗に祖母にそれをねだった。根負けするように寝間着の襟元を拡げた祖母にピッタリくっ付いた僕は母親とは違うその感触を口に含んではご満悦だった。歳相応にしなびてはいてもまだふくらみとしてのかたちは残っていて、見方によっては少女のそれのようにも見えた。
 小さな祖母の乳首を口蓋と舌の間に挟みつけて強く吸うとすぐに僕の口の中で固くなるのが知れたが、何処か壁の方を眺めている祖母の表情は見ることはできなかった。
 いつまでそうしていたのか・・・僕を反対にギュッと強く抱きしめて「もう、オシマイ。」と耳元で囁やいた祖母の声に満足した僕はそのまま眠ってしまったのだと思います。

 その後は僕がいくら言っても添い寝しながら祖母が寝間着の襟元を拡げるような事は二度となかったような気がします。

 その頃、3歳児の僕はもちろん妙な魂胆があって乳房に執着していた訳ではないんでしょうが、フロイト流の定義を思い出すまでもなく明らかに性的な欲求にとても似ていたと、いまになって思いだします。
 しかし、あまり敬老の日に相応しい日記ではないような気がしてきましたが、まぁいいか。


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