デーテーペーな1日

1999.08.16~31


日記関係の発言はこちらで。

8月16日(Mon)


 父親が寝ている間に子ども達だけで買物にでかけたようだ。食事のあとで小さなショートケーキを食べる。

 別にどうということのない一日。

 申し訳ないと思いながら、気持ちが晴れないことが後ろめたい。訳もなく頭を撫でられて子ども達は不審がる。



8月17日(Tue)

 相変わらず日記書く気があまりないんですが、今日は珍しく夕方からバタバタと仕事していたせいで更新が遅くなっただけで、特別に萎え萎えで日記の更新が滞っている訳ではありません。
 とは言え、やる気がないのは相変わらずなんで仕事も日常もあまり書くべき事が見当たりません。なにやら何時にもまして訳ワカラン日記のせいで何件か問い合わせも頂いたようですが特別不審な日常を送っているわけでもないので、「またいつもの萎え萎え日記なんだな。」と理解してもらえればよろしいかと。

 という訳で本日も実に日記が短め。書く方も読む方もなにかとラクチンなんでたまにはこんなのも良いよね。



8月18日(Wed)

 暑くて疲れております。かなりバテバテ。喉が乾くからと冷たいもの(主にコーラ)をがぶ飲みしているものだから余計に身体がだるくなるような気がしますが、夏限定の150ml増量ロング缶は実にビンボー人の琴線を震わせるアイテムです。二つ並んでるとつい大きな方のボタンを押してしまっては日本コカコーラ社の陰謀にうかうかと乗せられています。でも500mlサイズのコーラって一昔前なら「3杯ついでまだ余るお得なファミリーサイズ」だった筈なのに、いつの間にかひとりでファミリー分がぶ飲みしてます。消費拡大のための恐るべき日本コカコーラ社の陰謀。うーん、こんなネタは誰も知らないかなぁ。
 そんな訳でおなかの中でコーラがタプタプしてるから今日は日記が短めです。<お前は「言い訳日記」か。

 麦茶とかウーロン茶のロング缶ってのも有るんですが、僕はお茶やただの水をお金を出して買うことにとっても抵抗があって自動販売機でそうしたものを買った覚えがありません。お茶なんてデパートの大食堂に行けば各テーブルにひとつずつ大きな急須が乗っていて無料でいくらでも飲めるでしょう・・・なんてのも最近の人には通じないのかなぁ。なんだか己の貧しさの原点を告知してるだけのような気がしてきました。



8月19日(Thu)

 きっとご本人から反応有るんだろうなと思っていたんですが、案の定・・・ご本人しか覚えてないと言う噂もあったりするんですが、萎え萎えの上にネタ涸れでここの処どんどん日記が短くなっている身の上ではご本人であれなんであれ反応していただけるだけでありがたい限りです。日記ネタで次の日にこうやって更新できるんですから、日記のネタにつまったら懐かしネタで迫るに限ります。しかし、狂楽さんもそんなに暇なら日記書けば良いのに。がはははh、<どうやら完全にBOWDO風味になり果てております。やっぱり日記ネタはお気楽で良いなぁ。毎日書いてるとウンザリだけど。
 懐かしネタなら、パチンコに出かけて連日大負けする「日記な魂」なんてのもあるんですが、そんな佐渡の朱鷺みたいな絶滅寸前の日記をパロったところで誰も付いて来れないだろうし。おそらくそんなネタで笑えるのはご本人以外には全世界に3人位しかいないような気がします。まぁ、普段からその程度の人数を念頭において書いてるのが僕の日記なので、それが特別不都合だとは思わないけど、いくらなんでも「日記な魂」じゃマニアックすぎますか。それにしても大西くんは元気なのかな。気になるならメールでもすればいいんでしょうが、消息を気遣うメールの返信で「実は彼は3ヶ月前に死にました。」なんて家族の方からお知らせ貰ったりしたらあまりに哀しいからついそのままです。<人様を勝手に殺さないように。

 懐かしい日記ネタでしばらく更新してみましょうか。いかにも年寄りの繰り言めいてなかなか面白いかも。消えていそうで消えていないと言った微妙なバランスの日記を選ぶのがポイントでしょう。明日は誰にするかなぁ。「超・適当にやってようぜ。」ってもう消えちゃってる?



8月20日(Fri)

 昨日は案の定と言うか相変わらずの「天然」ぶりを発揮してやっぱり日記名を間違えてしまいました。「日記な魂」じゃなくて「日和な魂」なんだと、突っ込まれるならご本人以外にはこの方しかいないだろうと云う方からお約束通りの「日記ネタ的反応。」なメールなどを頂いて、まぁ当初の目的はこれで達成したのかな。
 しかしまぁ、お互いにマニアックすぎます。こんな話題で盛り上がれるのはやはり全世界で3人ぐらいだとするなら、あとひとりは誰なんでしょうね。やっぱり「彼」なんでしょうか。僕はあまり盛り上がりたくない気分です。
 ナツメロもあまりに古すぎると観客が誰ひとりついていけなくなるものです。いくら日本最初の流行歌が「宮さん宮さん」だと言われても当時を知る人間がみんないなくなっていてはそれを確かめる術もないようですから。

 今日はなんとなく吹く風が爽やかで、「耐え切れぬ炎熱」と言った酷暑のイメージからは少し違っていたようです。空の青さにも何となく秋の気配が微かににじんでいたような気がするのは、今年の夏が早く過ぎてしまえば良いと思っているからなのかも知れません。秋はやっぱり出会いの季節なんだと思います。



8月21日(Sat)

 子ども達の学校では例年夏休み最後の土曜には校庭でキャンプファイアーをするのが恒例行事のようです。何処へも行くあてのない我が家の子ども達は当然明るい裡から出かけてます。いくらなんでも夕方5時からキャンプファイアーはやらないでしょう。まぁ、父親もヒマなので少しだけ参加。<って、明るい裡から一緒になって校庭ウロウロしてたんですが。
 去年一昨年と、例の「O-157」の影響でこうした行事にはお約束で登場する屋台の焼そばも出なくて今一つ盛り上がりに欠けていたんですが、今年はようやく食中毒騒ぎにほとぼりがさめたせいか、グランドの隅のテントではお母さん達が汗だくになって焼そば作ってました。
 屋台の焼そばと云えば、僕の場合はあのなんとも言えないソースまみれのジャンクな食べ物が小さい頃から大好きでした。味らしい味はソース以外になさそうなんですが、なぜか縁日に出かければつい買わずにはいられないのは今も同じです。しかしなぁ、せっかく焼そば買おうと思ったのに子ども達だけに配られたチケットでの引換えのみで大人の分はないんだとか・・・ちぇっ! 焼そばないんなら先に帰っちゃおう。それとも麻美の分代わりにもらおうかなぁ。
 なんとなく焼そば食べそこなった気分で帰ってきて落ち付かないので夕食はカップの焼そばにするかとも思ったんですが、既に夕食の用意がしてあったのに学校で焼そば食べそこねたからではあまりに大人げないので奥さんに言うのを断念しました。でも屋台の焼そば食べたかったなぁ。

 8時頃からは花火大会もあるようです。出かけるのは億劫なので3階のベランダからハシゴでもかけて屋根の上からでも見ることにしますか。奥さんに言うと危ないからやめなさいと言われそうなのでナイショでこっそりと。



8月22日(Sun)

 うん、我が家の3階の屋根からの花火見物はお勧めです。このあたりはビンボーくさい建売り住宅が並ぶ地域なのでそれほど高い建物もなくて屋根からの眺めはなかなかでした。何より涼しい風が吹抜けて気持ちが良かったし来年の夏は屋根の上で花火見物オフミでもやりますか。もっとも、我が家の屋根はアール勾配なので滑り落ちてそのまま下までまっさかさまの可能性もあるのでイノチは保証の限りではありませんが。がはははh、そんなスリリングなオフミもたまには良いかもしれません。
 空はあいにくの曇り空で星ひとつ見えなかったんですが、遠くで打ち上げられる色とりどりの花火を眺めながら夜空を見上げたりするのもなかなか爽快で子ども達と一緒に屋根の上で寝っころがってみたりもしました。
 喉が乾くからと屋根の上まで飲み物持参したんですが、本来ならビールに枝豆でさらに気分は盛り上がる処なんでしょうが、わざわざ屋根の上でアイスミルク飲んでるオヤヂってのもちょっと不思議というか、我ながらお子様みたいでいささか情けなかったです。コーラもジュースもないとなるとこのオヤヂは仕方なく子ども達のミルクまで飲むようです。
 なんだか昨日の日記の続きになってしまったようです。母親は昼寝だし子ども達は午後からずっとプールに遊びに出かけてるし父親は萎え萎えだし、我が家は相変わらずの日常です。

 さて、僕は元気なんでしょうか? 日記がすべてではないし日記だからと言ってこれが僕の日常の実体ないしは本音である保証など何処にもないと何度も書いている筈なんですが、人は書かれたものしか見ることが出来ないのは致し方ないのかも。
 ひょっとすると昨夜だって花火見物などせずに夕方から二度寝していただけなのかも知れません。



8月23日(Mon)

 もう15年かそれ以上になるのか、とても懐かしい人物から電話があって昔話でやたら盛り上がったりしたのは、フリーになりたての当時の仲間で未だに同じ印刷業界でウロウロしていて、お互いにいい加減古いからなぁと、嘗ての仕事仲間の動向をあれこれ訊いたりしたからのようです。
 最初は同じ年頃の4人のメンバーで始めたのは良いけど、もともとが一癖も二癖もあるような人間が集まって何かしようなどとすれば1年もたたずにいろんな事でゴタゴタして最後は空中分解するかたちでバラバラになったんですが、それ以降もみんなそれぞれのやり方でなんとか生きてきたようです。まぁごくごく狭い地域で仕事をしていれば何となく噂も入ってきて誰それは何処何処に就職したけどそこの社長と喧嘩して辞めたとか、奴なんかえらく羽振りがよくて外車を何台も乗り回していたと思ったのにいつの間にかタクシーの運転手してたとか、みんなそれぞれに足掻いたりもがいたりしながら何とかやっているようです。
 結論として今の時代はフリーはなかなか厳しいからなぁと溜息ついてみるだけなんですが、何時になったら景気は良くなるんでしょうと僕に訊かれても、景気なんかいくら良くなっても僕らの処にはそんなおいしい話は決して廻ってこないから最初から期待しない方が良いんでしょう。
 小さな事からコツコツと・・・やっていてその裡に波に飲み込まれてしまうのかも知れません。

 あいつが専務取締役? と思わず聞き返したくなるような人物の噂もあったんですが、考えてみれば年代的にそんな奴がいてもおかしくないないことに気づきました。僕自身はと言えば、いい年をしてこんな日記を書いてる体たらくです。



8月24日(Tue)

 窓を開けると涼しい風が入ってきてなかなか爽やかです。特に夏の夕立は空気が乾いていているので梅雨時のようなじめじめした感じがなくて、まさに「一服の清涼剤」なんてちんけな形容がピッタリ来るような気がします。そういえば日中も気温は高かった筈なのにそれほど耐え難い暑さでもなくて、やっぱり季節は少しずつ秋へと変わろうとしているようです。うん、僕は暑いより寒い方がやっぱり好きです。南十字星を望んで情熱的な瞳の女性と一時を過ごすなんてエキゾチックな風景よりも、凍てついたツンドラを背中を丸めブリザードの中をとぼとぼ歩くなんて状況の方に何かしら惹かれるものがあります。そういえば冬山登山での遭難記みたいなのも昔から好きでした。寒さと疲労で意識朦朧としたまま、雪に埋もれて見る幻覚や幻聴とは果たしていかなるものかなどといろいろと妄想したこともありました。まぁ根が怠惰なので自分で雪山登山をするなんて事は考えた事もないんですが。活字の中で追体験して満足してるだけです。
 なんて日記を書いてる裡にいつの間にか雨はあがってしまったようです。雷もかなり激しくてほんの一瞬ですが停電もあったぐらいなんですが、ローソク持ってきて点けようと思ったらすぐに復旧してしまって、せっかく「停電」なんてめったにない非日常を楽しもうと思ったのに日本のハイテク社会はそんな楽しみも許容できないぐらいにあくせく動き廻っていることが習い性になってしまったようです。停電していたのはほんの1分ほどだったでしょうか。たまには半日ぐらい停電してみるといろいろと面白いこともありそうな気がするんですが、あったらあったできっと文句ばっかり言ってるようなような気もします。まぁその程度の非日常願望なんでしょう。

 今年の夏はもう終わっていいや。暑さ以外にあまり実感することもなくて、なんだかつまらない夏でした。もっとも純粋に夏を楽しむ事の出来るのは子ども達だけのような気がします。夏という季節は大人達には永遠に失われてしまったものの代名詞なのかもしれません。なんちゃって。



8月25日(Wed)

 この間から飼い始めた子ども達のうさぎの名前はようやく決まったようです。さすがに「暴れん坊しょうぐん」ではマズイと思ったようですが、命名の動機は相変わらずミーハーそのもので、子ども達お気に入りの宮崎アニメ「風の谷のナウシカ」で何時も主人公のナウシカの肩にとまっているリスだかねずみだか得体のしれない例の生き物の名前をそっくりパクって「テト」としたようです。僕みたいな世代はテトと聞けばすぐに「テト攻勢」なんて言葉を思い出すんですが、そんなことを言ったところで通じる筈もありません。確かベトナム語でお正月の意味でしたっけ。生き物の名前として呼ぶのになんとなく語呂が悪いような気もするけど、まぁ子ども達が好きでつけたんだからそれで良いんでしょう。
 ただねぇ、2階の居間で放し飼いにするのはいい加減にして欲しいかも。チョロチョロと居間のあちこち走り回ったりソファーの後ろに潜り込んだりで、うっかりして踏み潰したりして子ども達に泣かれるのもヤだし、なによりそこかしこにフンやらオシッコしていて、それを踏んだりすると実にどうもゲンナリ・・・僕の場合は小さい頃からあまり生き物に馴染んだ経験がすくないのでそのあたりに対する許容量が低いのか部屋のなかにフンが転がってたりオシッコで濡れていたりするとどうもダメなんです。
 檻に戻して部屋の掃除をするように言ってやっと落ち付いたと思ったら今度はビーズ細工などを始めて部屋中がこぼしたビーズでざらざら。歩く度に靴下にくっ付いてこれにも往生します。当分の間、居間では足元を見ながら恐る恐る歩くようです。



8月26日(Thu)

 「SEXに溺れる」というのはどういう事かな?
 僕にはとりわけその気があって、過去にもおよそ2年間毎日書かさず同じ女性とSEXしていた経験があります。それは本当に毎日であって、どんなにひどい生理の時も風邪ひいて39度の熱でぼーっとしている時も、彼女の母親が突然6畳一間のアパートに尋ねてきてすぐ隣の布団で眠っている時も、海の家の砂だらけのシャワールームに二人で入ってトタン板一枚外では親子連れがラーメンすすっている時も、とにかく時と場所の見境いなしのひどさでした。だからと言って取り立てて執着しているという意識もなくて、要はマイケル・ダグラスやチャーリー・シーンが精神科医に診断された「セックス中毒」という一種の精神的な依存症だったのかも知れません。とにかく毎日しないと落ち付かないんですが、別に取り立てて絶倫だった訳でもなく日に一度で満足できるというか・・・毎日何度もしていたんじゃいくらなんでも身が持ちません。
 なにか、SEXの快感だけが唯一ふたりを結びつける「きずな」のように思いこんでいたと書くとあまりにも寂しすぎる気がしますが、そこにしかお互いの存在を確かめる術がなかったのは未熟というよりも、袋小路に迷い込んでいた当時のふたりにとってはそうした一瞬の忘我の時間こそが確かなもののように思えていたからであり、言葉を重ねることよりも一層深く繋がることでなにか確かなものを共有している実感が欲しかったようです。
 それは溺れているのではなく、やはり深く飢えていたのかも知れません。

 かくして僕はいつも過剰に求めすぎることとなる。過剰に求める人間は過剰に与えようとする人間と出逢ってその事の「過剰さ」にはじめて気ずくのだが、だからと言って求めることをやめる訳もなかった。



8月27日(Fri)

 寂しい青年が新宿の雑踏の中で人波に背を向けて手元のPCのキーボードをポツリポツリと打っている絵が不意に脳裏に浮かんで、あまりにも面白かった(そう、やっぱり面白がってます。)ので、電話嫌いの僕が思わず携帯に電話してしまいました。
 あちらこちらの掲示板にやたらと書き込みしてるのもトラウマのなせる技と思えば決して笑ってられなくて、ほんとはとっても切ない人物なのかも知れません。でも寂しんぼ菌がうつるからあまり深く係わりたくないのも正直な気持ちです。だって、鯉渕くんと同じ種類の人間と思われるのはいくらなんでも僕としては不本意です。あそこまで僕は寂しくないです。一応妻も子もいる人間ですから。
 がはははh、実名で登場してしまっては「寂しい青年」と書いた意味があまりないけど、そう書いた時点で共通の人物像が浮かぶほどに呼び名と実体が一致しているのが、まさしく彼が「寂しい青年」と呼ばれる事となる理由なのでしょう。別名「懲りない青年」とも呼ぶようです。
 本日の日記はタイトルをBOWDOと読み変えて頂いた方が良いかもしれません。まぁ日記読み日記という訳ではないけれど、Web日記から派生する様々なしがらみや出来事から無縁でいる事はなかなか難しいのは、一度溺れた経験のある方にはとりわけよく理解できるかも。ほら、「溺れるものは藁をも掴む。」って言うじゃないですか。<ちょっと違うかも。

 今から出かけるのは億劫だなぁ・・・と言うか新宿の雑踏に出かける気がぜんぜんありません。人間がたくさんいる場所に近づくのがちょっと億劫。だからと言って川の中州でキャンプは今の時期はちょっとなぁ。



8月28日(Sat)

始めて「あなた」と出逢った日のことを
思いだそうとするのだが
電子の海を朦朧と漂う日々では
それはとてつもない過去のようでもあり
生々しい息づかいさえも思い出させるほどの
身近で切ない記憶のようにも思えるのです

ケッシテ ワスレナイカラ
オモイダスコトモ ナイノデス

触れることの出来ぬものに触れた気がしたのが
始まりであり終わりだったようです
モニタに流れる文字にそっと指を添えてみたのは
或いは
「あなた」のおののきが伝わるのではないかと
愚かしくも
そう願ったからに他なりません

ココニ アッテ
ココニ ナイモノヲ モトメル

冷たいガラスの質感が
わたしの愚かしさを笑うのだが
その無機質な存在なしには
わたしと「あなた」を繋ぐものがないことに苛立ちながら
成す術がないことを改めて知らされる

 伝えるべきものに迷うとき、わたしはわたしの裡なる空虚に向けてコトバを投げる。誰に宛てるでもなく、なにを望むでもなく。



8月29日(Sun)

 そう言えば今年の夏は子ども達を連れてどこかに出かけると言うのが少なかったかも。父親の萎え萎えぶりが家族にまで波及して、いまひとつ「家族ゴッコ」にも身が入らなかったようです。何らかの記憶としてやがて彼女たちは思い出すことがあるのかと、そんなことを考えながら出かけるのも考えてみれば姑息な話しであって、それはある種の空虚さを埋め合わせるための代償行為でしかないのかも知れません。
 先日テレビの中継があった奥多摩の日原鍾乳洞の事を思い出して、午後から急遽出かけることに。今朝になって急に出かける気になったのは例によって父親の気まぐれのせいなんですが、そんな父親の行動パターンを十分承知している子ども達は文句も言わずにアッという間に支度が出来てます。

 対向車を何度も待避場所でやり過ごしながら狭い山道を登ると不意に切り立った崖に挟まれた狭い渓流沿いの場所に出る。その崖の下に口を開けているのがお目当ての日原鍾乳洞のようだった。
 入口から一歩入ると冷たい風が洞くつの奧から吹いてきて、涼しいというよりも正直言って寒いぐらいでした。天井から落ちる冷たい水滴にあちこちで小さな悲鳴が聞こえてます。
 などとつまらない観光案内めいたこと書いてもしょうがないか。中は・・・鍾乳洞と言うよりもなんだか佐渡の金山の廃坑にでも迷い込んだような感じで、石筍などはほんの申し訳程度にあるぐらい。まぁ関東一とか言いながら実体はとってもせこいとは聞いていたのでこの程度なんでしょうが、途中教会のように広い空間が在ったりで子ども達はそれなりに楽しんでいたようです。ただし、照明や階段が整備されていていまいち面白味に欠けるのは所詮は観光目当ての洞くつとしては致し方ないのかも。途中やたらと急な鉄製の階段が延々と続いて、思わず東京タワーの階段を思い出してしまいました。結局穴の中をグルグル回って疲れただけ。

 入場料はしっかり大人600円子ども300円取られたんですが、チケットは各自で入口の回収箱に入れるだけでだれも見ているわけでなし、わざわざ入場券など買う必要はなかったかも。次ぎからは黙って入っちゃおうっと。<相変わらずせこいオヤヂです。



8月30日(Mon)

 薄曇りの空には照り返しの強さなどもはや何処にもなくて、遠く水平線の向こうには蜃気楼のようにおぼろな雲がゆっくりと流れているのも季節の終わりに相応しいような気がしていた。砂浜には半ば埋もれた廃船が打ち捨てられ、丈の低い植物と一緒に砂にまみれて朽ち果てようとしていた。
 沖合いは穏やかそうに見えるのだが、波打ち際にくると白く泡立つ波が意外なほどの激しさで打ち寄せ、そこに立つ人の足を濡らしていく。なにか・・・そのままにしておきたいような気がして、わたしは砂浜に座って吹く風の中でぼんやりと海と空とその狭間に立つ影を眺めていた。一瞬時間が止まったような気がしたのは同じ風景を去年も眺めていたことを改めて思い出したからなのだが、この穏やかな時間が一瞬のかりそめであることにわたしは秘かに苛立っていたのかも知れない。

 人影のない海辺の夕暮れの時間にあまりに長居するのは良くないのかも知れません。その寂しい風景に何かを過剰に予感してしまうのは愚かしいふるまいでしかないのでしょう。



8月31日(Tue)

 うーむ、バイアグラで死亡した日本人が既に2名か・・・ひとりは70歳台とか書いてあったから、なかなか意欲的なおじいちゃんだったようです。もっとも死んじゃったらしょうがないけど。それってやっぱり「腹上死」と言うことになるのかな。
 新聞記事の内容では医師の処方箋で正規に購入したものではなくて、インターネットに代表される個人輸入やら密輸の結果による事故という扱いなんですが、でもそれは事故と呼ぶよりもオヤヂの往生のあり方としてはむしろ「男子の本懐」じゃないのかな。まぁおのがペニスの充血に心臓が耐えられなかったというのはかなり情けない話しですが、そんなことを聞かされるとバイアグラってのは噂通りで本当にすごいらしいと、その新聞記事を読んで秘かに購入を決意した寂しいオヤヂが少なくとも2千人はいたような気がします。あ、何度も書いてますがオヤヂゴコロの琴線に触れるだけで、僕自身はバイアグラはぜんぜん必要としておりませんのでそこの処は間違えないように。<何故いちいち断り書きが必要なんだか。てゆーか、現在の状況ではバイアグラがあったところで宝の持ち腐れ状態のようです。とほほ、

 本日は久しぶりに社会派ネタで日記を更新してみました。がはははh、どこが社会派ネタなんだか。
 正直なところ、盗聴法の成立よりも案外そっちの方が関心が高いのかも知れません

 昨日はねむかったなぁ。本日も引き続きネムネム中なんでいつも以上にいい加減な手抜き日記でした。


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