デーテーペーな1日

1999.06.01~15


日記関係の発言はこちらで。

6月1日(Tue)


 ここの処季節はすっかり「夏」のようで、ひやむぎ・そうめんの類はもう何度も食卓に並んでいたんですが、本日の夕食は今年初めての冷し中華でした。ちょっと麺が堅めだったし、味もなんだかイマイチだなぁと食べながら???だったのですが、食べおわってから気づいたけど、ハムが入ってないじゃないですかぁ、奥さん。ほんとの処はチャーシュの細切りの方が何となく通な気がするんですが、どちらにしてもキュウリと玉子だけでは寂しい限りだから、せめてハムだけは入ってないと冷し中華としてのアイデンティティに大きく欠けるじゃないですか。ハムの入ってない冷し中華なんて、どうやっても僕は納得いかないです。

 しかしまぁ、冷し中華のハムについて熱く語るとは、我ながらビンボーくさい日記だなぁ。なんとなくキナ臭い気配が漂いはじめた国会周辺の話題や流動するユーゴスラビア情勢についてとか、もう少し高尚な話題で日記の更新が出来ないものでしょうか。
 とはいえ、ひたすらお気楽に僕が人生を浪費している間にも、このニッポン国はフラフラといずこかへ漂流しようとしているような気がするんですが、どうせ穴のあいた難破船・・・今まさに沈もうとする舟の行く末など今更気に病んだ処で仕方がないだろうし、いっそのこと沈むなら早い方が各方面に迷惑かけることも少ないだろうから、勝手に暴走して貰った方が話が早かったりするのかも知れません。
 その間も、僕はひたすら冷し中華の具にはなにが必須なのかと、独りブツブツと呟いてたりするんでしょう。

 お買物でハム買うの忘れたんだとか・・・要は確信犯と言うことですね、奥さん。



6月2日(Wed)

 朝、文字どおりの不明な情熱でもういっこの日記を更新していたようですが、我ながらなにを書いたんだかよく覚えてなかったりします。
 書き終ってそのままソファー寝して、午後に目が覚めて初めて朝方に日記書いていたことを思いだしたというか・・・こんなの書いてたのかなぁ? あまり本人に自覚がありません。
 かなりお疲れ気味だった筈だし、ネムネムのまま、半ば無意識に日記書いてたんだとするなら、やっぱりこれは病気の一種かも知れません。近ごろはやたらと時間の感覚がせわしないので毎日が日記の更新に追われているような気がします。ふたつも日記書いてるせいで毎日がこうも忙しいというのもなにやら本末転倒で間抜けな限りですが、日常に取立てて変った出来事があるわけでもなし、日記読むのにもいい加減飽きてるせいもあって、どっちの日記もずっと以前からスランプ状態なんでしょう。
 オチ考えるのも面倒なので本日の日記はなにも落ちることなく突然におしまい。 

 あぁ、今日は暑かったなぁ。寒い冬も好きじゃないけど、くそ暑い夏もウンザリさせられるんでこれからの季節はかなり憂鬱かも。その前にジメジメした梅雨もあるのか・・・寒いなら寒い、暑いなら暑いままのほうが面倒がなくていっそスッキリするのかも。



6月3日(Thu)

 最近特に日常に変化がないなぁ・・・仕事もさぼり気味で日中はケーブルテレビのつまらん映画ばっかりみてます。今日なんか韓国製の訳ワカランアクション映画(?)をうっかり見始めたらなんだかその訳のわからなさが妙に気になって結局最後まで見たんですが、やはり訳がわからないまま。<なんやそれ。
 戦前の韓国が舞台ということで、妙な日本語を喋る軍人やらだらしなく着崩れた着物とおかしな日本髪の芸者などの時代考証と呼ぶ以前のいいかげんさとか、チープなセットと学芸会風のセリフまわしなど、なんだか大昔のテレビ活劇を見てるような気になりました。そう、数十年前の「月光仮面」とか「ハリマオ」あたりの乗りに近いものがあるなぁ。最近で言えば午後1時台の名古屋放送製作のメロドラマみたいな感じかも。
 でも、日本で三国志などを映像化したりすると、きっと向うの人なども同じような感想を抱くのかも知れません。スタッフは大マジメなんだろうけど、肝心な部分のつくりのいい加減さが目立ってストーリーに集中できないってのも、この手の映画に共通するもののようです。
 でも中身は「反日」一辺倒という訳でもなくて、ちゃんと理解ある日本人も登場したりして、そのあたりの語り口は僕が考える韓国製映画としては思った以上に冷静で、その事がちょっと意外だったし、日本人が逆の立場で同じような映画を作ればきっと侵略者は徹底的に悪人として描く事しかしないような気がします。

 そう言えば昨日は「スカーフェイス」なんてのをうっかり見始めたんですが、あの映画って長いんですよね。見始めるとけっこう面白くて最後まで見てしまったんですが、しかしまぁ、毎日仕事もしないでいったい何やってるんでしょうね。



6月4日(Fri)

錆びついたわたしのココロには
いつも「あなた」の横顔は眩しく見えます

伝える事の不可能性を恐れるあまり
耳を塞ぎ目を閉じて知る自分自身の愚かしさに
いっそう頑なな記憶ばかりが厚く堆積していく日々にあって
「あなた」の絶望も苦痛も
すべてをあるがままに受入れる事の
その呻吟と甘美を知るのは
絶えて久しい記憶でした

繰返す愚行を恐れるのは
愚か者の迷いだとするなら
ひとは何処まで行っても
自らの愚行から逃れることは出来ないのでしょう

成しえた過去を嘆くのも
成しえなかった過去を後悔するのも
つまりは
過去の記憶に溺れる仕儀だとするなら
やはりわたしは何処までいっても
過去の記憶から逃れることが出来ないもののようです。

夕暮の街でふと振り返ったとき
「あなた」に似た人を見つけて
チリチリとココロが音をたてるのは
未だわたしにとって
「あなた」は記憶の中に封じ込めて置くべき
存在ではなかったようです

今も熱くたぎるものの残滓がわたしの裡にあって
何処までも何時までも「あなた」を求め続けるかのようです

 伝えるコトバの不備を嘆く前に、まず伝える事こそが必要なのだと知るのは、わたしにとってはいささか遅すぎたのかも知れません。



6月5日(Sat)

 明け方・・・と言うには今更な時間に眠り、目が覚めると既に1日は半ば以上過ぎていたりする。
 長すぎる1日をひたすら眠って過せるなら、それを「無為」と感じることすらないのだろうが、何ごとにも徹底できないのが人間の愚かしさというか、本来生きとし生きるものの目的は究極の処「無為」であるような気がするのです。
 ぷかりぷかりと波の狭間を漂うクラゲのように、或は樹上で逆さまにこの世界を眺めながら、ひたすら物憂げなナマケモノのように、ただ生きる事が目的であればなにも考える必要などない筈なのに、余計なものを身にまとったが故に、愚かしいものどもに執着する事を覚えた人間は、「無為」に生きることのその無目的さに耐えきれず、様々なものを求めては求めることの出来ぬ思いに身を焦す事となるのかも知れません。

 いささか頭痛もよう。最近はよく眠っているつもりなんですが、これは睡眠の浅い深いとは別なのかも。



6月6日(Sun)

 朝、居間のソファーに横になって正美が氷枕をしているから風邪でもひいて頭が痛いのかと訊いてみると、何でも昨夜あたりから右の耳が痛いんだとか。
 どうしたのかなと・・・さして気にもとめる様子のない呑気な父親の返事も上の空のようで、どうやらホントに痛いらしい。その内左の耳も痛くなってきたと半ばべそをかいているので、さすがにこれは何処かおかしいのだろうと、奥さんが休日診療してくれそうな耳鼻科に何軒か電話をして病院に連れていくことに。
 いつも風呂場で大騒ぎしているから耳に水でも入ったのか・・・帰ってきた正美に訊いてみると案の定「中耳炎」だとか。それもご丁寧に両方の耳。そろそろ学校でプールも始るというのに、ちゃんと直さないと今年は水に入れないかも。
 痛み止めと、他にも何種類かクスリを貰ってきて神妙な顔で飲んでいたようですが、しばらくするとクスリが効いてきたのか随分と楽そうになりました。とは言え夕食の時間も全然元気がなくて、大好きな納豆ご飯も残してしまった処を見るとまだまだ辛いのかもしれません。しかしなぁ、食欲のない正美ってのも久しぶりというか初めて見たような気がします。39度の熱があってフラフラしていても、ご飯だけはしっかり食べるいたって食い意地のはった性格の正美にとっても「中耳炎」の痛みってのはかなりきついようです。

 一昨年は確か麻美が同じように夏場に中耳炎だったような気がするんですが、あれはおたふく風邪だったかなぁ・・・中耳炎とおたふく風邪じゃかなり違うと思うんですが、そのあたりの違いにはあまり興味のない父親です。



6月7日(Mon)

 急性中耳炎と言う診断で正美は今日は鼓膜の切開をしたようです。切るときはそうでもなかったけどその後がめちゃめちゃ痛かったと、涙目で帰ってきてから報告してました。抗生物質も飲んでいるようですから一週間もすれば良くなるんでしょうが、中耳炎って癖になるとどこかのお母さんに聞いた覚えがあるので、そんな事にならなければ良いんですが。
 明日は校外学習という名の遠足ということで奥多摩の御岳山へのハイキングの予定だったですが、山は気圧の関係があって中耳炎の正美はどうやらお休みしなければいけないらしい。せっかく「おやつは200円まで」と楽しみにしていたようですが、仕方なく留守番なんでしょう。
 まぁダラダラ家の中でテレビ見てるのも好きなガキなんで、それほどめげてる訳でもなさそうです。麻美の方は夕方から近所のスーパーに出かけておやつを買って張切っているようです。何だかひとりで嬉しそうで、正美と一緒にいけない事を残念がってる風もないし・・・あっさり目でけっこうドライな処のある麻美の性格はこういう時にはいたって冷淡です。正美のことを心配していない訳でもないんでしょうが、そんな事より明日の天気の方が何かと気になるようです。

 一昨年は確か麻美が同じように夏場に中耳炎だったような気がするんですが、あれはおたふく風邪だったかなぁ・・・中耳炎とおたふく風邪じゃかなり違うと思うんですが、そのあたりの違いにはあまり興味のない父親です。



6月8日(Tue)

「小川」

 ずうっと昔・・・窓の下に小川の流れるアパートに住んでいたことがありました。もっとも、小川といっても両岸は高いコンクリートで固められ、雨が降らなければ僅か1メートルばかりの流れが底をチロチロと流れている、なかば下水道の様な小川なのだが、そのたたずまいとは不相応に立派な名前が付いていたりした。
 更に昔は上流の染色工場の廃液がそのまま流れ込んでいて、日によって川の水は真っ赤だったり真っ青だったりと、とても川と呼べるような代物ではなかったのだが、折からの反公害キャンペーンの影響でさすがに染料の廃液をそのまま流すようなことが不可能になって、水の色は少しずつ澄みはじめていた。それでも時折は高いサクもないの良いことに古自転車が投込まれたりで、相変らず僕の中では川と言うよりは下水道という認識しかなかった。

 そんな夏も間近な蒸暑い夜・・・窓を開けても空気はじっとりと湿っていて大して涼しくもないのだが、夜の闇の向うで流れる川の水音が心地よくて、電気を消して部屋の中央でゴロンと寝ころんで天井を眺めていた。ふと気づくと木製の窓枠のあたりを小さく光るものが動いていた。せわしなく動き廻ったかと思うと立ち止ってしばらく動かなくなるのだが、その間も光は規則的に明滅する。

 ほたる・・・なのか。

 光を放つ虫がいることは図鑑や映像の中では知ってはいたのだが、実際に見るのは初めてだった。
 そーっと近づいて掌の中に囲いこむ。一瞬またたきは途切れたが、すぐに僕の手の中でそれは冷たい光を放っては落ちつかなげに動き廻っていた。傍らに座っている彼女に手渡そうとすると、黙って首を振って僕の手を外側から握るとそっと開かせた。掌の上で2・3度せわしなく廻ったほたるはふいっと窓の外に向けて飛び去っていった。
 窓から顔を出すと、暗くて何も見えない小川の上流でいくつか同じように光る点が見えたような気がした。あれは本当にほたるだったんだろうか。

 窓辺に座りお互いの顔を覗き込んでなんとなく微笑んでみて初めて、僕は何かしらつかみどころのない喪失感に捕えられていた。

 果してあんな町中の、どう見ても清流とは呼べそうもない小川でほたるが育つようなことがあったんでしょうか。
 それとも文字どおりの「淡い蛍光色の幻」・・・僕自身が見た夢の中での出来事だったのかも知れません。



6月9日(Wed)

 朝9時過ぎに学校から電話・・・嵯峨先生のお話しを聞いてみると、正美が朝からお腹が痛くて調子が悪いらしい。その上吐き気まであって、トイレで少し戻したようです。相当体調が悪そうなので迎えに来ていただけますかと言うことだったので、すぐに車で学校まで。
 保健室に居るという話だったので直接覗いてみると、調子が悪いというのにベッドに横になっているでもなく、正美が真っ青な顔をしてひとりでちょこんと丸椅子に座って待っていました。
 「あれ、保健室の先生は?」と訊いてみると、他校との打ち合せに出かけていて誰も居ないらしい。なんだかなぁ・・・担任の嵯峨先生も授業を抜けだしてひとりの子供につきっきりでは居られないにしても、手のあいている先生にでも一声かけて貰えばよかったのになぁ。普段は無駄に元気な正美が額に冷汗かいてグッタリしているところを見ていると特にそう思います。
 「大丈夫?」と訊くとウンとうなずくのでそのまま保健室に正美を残して3階の教室迄ランドセルを引き取りに行って廊下で嵯峨先生と二言三言話してみると、朝学校に着いた時点からずっとお腹が痛かったらしい。中耳炎になにか関係しているのかなぁ。それとは違ってただの食あたりか風邪のような気もします。いったん家に戻って様子をみて、それでも調子が悪いようなら医者に連れていかなければいけないようです。校舎を出てグランドから校門の外に停めた車に戻る間もなんだか恐る恐る歩いているといるようで、途中の水飲み場ですこしもどしたりで、よほど具合が悪そうです。
 結局家に戻ってからは横になってしばらく静かにしていると夕方頃には調子も戻ってきたようで夕食はしっかり食べてます。朝は今にも死にそうな顔をしていたのに、さすがに食い意地のはってる正美だけの事はあります。

 結局風邪なのかも知れません。本人に「お医者さんに行くか?」と訊いてみると行きたくないと言う事だったのでそのままにしておいたのは、麻美と違って正美は何かにつけて大丈夫だろうと言った親の側の勝手な思いこみのようです。そのあたり、正美はけっこう割を喰ってるのかも。



6月10日(Thu)

 昨日の朝は本当に死んだようで、真っ青な顔であぶら汗まで浮べていた正美なんですが、夕方あたりから随分元気になって夕飯のまぐろ丼なんかぺろりと平らげてたと思ったのに、今日も学校はお休みだとか。下痢してるからなんて言ってますが、見た目はぜんぜん平気そうだし、ひょっとすると病気を言訳にした単なるサボリなのかもしれません。父親に似てダラダラと時間を潰すのが一向に苦にならないタイプなので、学校が休みだったりするといろんな事を始めたりで、それなりに忙しそうです。えぇ、父親も最近は一段とヒマを持て余しているようで、朝っぱらからテレビばかり見てたりします。そうそう、最近ハマってるのがNHKの朝の連続ドラマ「すずらん」です。未だかつて、朝の連続ドラマなんてものを毎日続けて見ようなどと思ったことは一度もなくて、あの「おしん」すら興味はなかったんですが、何故かここの処毎日見てます。もっとも見るのはお昼0時45分からの再放送の時間なんですが・・・朝なんて未だに見る気にはなれません。連続ものはうっかり見始めると先の展開が気になるからということも有るんですが、それよりもやっぱりヒロイン常盤 萌を演じる「遠野凪子」ちゃんが気になってるようです。美人という訳ではないし愛嬌のある顔つきとも違っていて、どちらかというと暗い影を何時までも引きずっているタイプなんでしょうが、何よりあの凛とした目の表情が健気でオジサンはとっても好きなんだなぁ、ぐふふふh、
 例によって彼女がどういう経歴の女優なのかも全然知らなくて、たまたまテレビで見てからファンになるという、極めてミーハーなファンなんですけどね。戦前の暗い世相の中に置いてみるのがよく似合う古風な顔立ちがなかなか新鮮です。って、不幸フェチの血が騒ぐタイプなんだと思います。

 する事ないんでテレビ見てるってのがやっぱり一番正しいテレビの見方なんだと思います。昔はテレビを一億総白痴化のシンボルなんて呼んでいたようですが、最近そうした声が聞えなくなったのは、既に白痴化は完了してしまったからかも知れません。



6月11日(Fri)

 「子育て日記」としてなら、既に本人に子育てしてる実感がまるでないんでちょっと違うような気がしますが、一応子供の動向などを記してるから、まぁジャンルとしては同じようなものかも。子供をネタにして日記を書いているというにはあまりに子供との接点が少ないような気がします。朝学校に出かける前に一言二言言葉を交すと、後は学校から帰ってきてもほとんど会話らしい会話もなくて、夕食もテレビを見ながらだったりすると子供達はほとんど上の空だし、父親は父親で新聞見ながらご飯食べたりで、およそ一家団欒などといった雰囲気からはほど遠い食事風景のようです。そう言えば奥さんとも碌に会話してないような気がしますが、これは昔からそうでした。およそ興味の質が二人では全くの正反対なんでそもそも会話が成立たないというか・・・正直言って奥さんと「和平合意後のコソボ情勢について」などと会話するのはかなり気が重いし、だからと言って「最近ミッチーはちょっと元気ないんじゃないの。やっぱり渡辺絵美って昔から不細工だよなぁ」といったワイドショー的ゴシップで夫婦の会話が弾むというのもどうしようもなくバカっぽいから、やはり夫婦で何を話せば良いのかなんてことを考えるのは昔から苦手でした。
 そんな訳で我家の夕食風景というのはテレビがついているいないに係わらず、弾まない会話にただ黙々と箸を動かすだけで実に静かなものです。それはやっぱり、やがて来る日の予感なのかも知れません。

 そうそう、子供達は今日は体験学習ということで田植えなんぞをしてきたらしい。秋までに何度か世話をしてちゃんと収穫するそうで、学校での餅つき大会に使われるもち米は毎年の子供達の収穫した米を使っているようです。感想はといえば田圃のぬるぬるが「気持悪かった」そうで、麻美などは既に泣きが入ってます。



6月12日(Sat)

 「ふれあい下水道館」って何?

 PTAの役員からは3年ぶりに逃れて、そっち方面の話題についてはすっかりご無沙汰なんですが、今日は正美のクラスのお母さん達の呼びかけで子供達は上記の施設を見学するらしいとは聞いてはいましたが、なんだか妙なものにふれあわされそうなイヤな予感がするので僕はパスするつもりでいました・・・その筈だったんですが、昨夜になって奥さんが体調不良だとかで急遽父親が付合わされる事に。やれやれ。
 朝っぱらから近くの駅で待ち合せで、集合時点で既にダレダレだったんですが、そんなこんなでうるさいガキやおばさん達の後ろからとぼとぼと歩くオヤヂがひとり。
 おそらくは下水道の工事の際に管理用として作られたものを利用しているんだと思いますが、地下5階までくり貫かれた「ふれあい下水道館」は玉川上水の直ぐ脇にありました。何だか思った以上にせせこましい施設で、水や下水道に関するおざなりでありがちな展示が地下の各階にぱらぱらとある以外は、下水道の本管を直接見ることが出来る地下5階の施設がここの一番の「売り」のようなんですが、ドブの匂いのする下水道を眺めて何がうれしいんだか・・・あぁ、やっぱりうちで寝てればよかったかも。

 帰りは天気も爽やかだったので玉川上水にそった遊歩道を歩いて戻ることに。4キロほどあるから結構遠かったんですが、きちんと整備された遊歩道は舗装路ではなくて土の道だったせいもあって散歩には最適だし、ずっと木陰が続いてちょっとしたハイキング気分でした。ブラブラ歩くにはとっても良い感じだったんですが、歩くのが大嫌いな麻美はかなり不満そうでした。ついこの間も校外学習で7キロも山道歩いて、もう歩くのは勘弁してほしいようです。わはははh、うっかり付合わされて大迷惑だったかも。

 久しぶりに土の道を歩いたような気がします。川沿いで水音はするし、頭上は武蔵野の雑木林に覆われて木漏れ日が爽やかだし、ゆっくり散歩するにはとっても良いところでした。そう言えば、太宰治が入水したのはあのあたりではなかったかな。現在では水かさが大幅に減っているので入水自殺するのはちょっと無理みたい。



6月13日(Sun)

 今夜はお出かけなんで久しぶりの予定日記。
 梅雨の時期はほたるのシーズンでもあるようで、各地でほたるを巡るイベントがけっこうあります。長野県の辰野町なんてほたる音頭などを盛大に踊る町興しのイベントくさい代物まであるようです。
 やっぱりほたるを見る風情といえば、ひとけのない川縁の暗闇にひとつ・ふたつとあえかな輝きを見つけ、ふと気がつくとあたりの梢に無数の同じような輝きを見つけて思わず息をのむような、そんな沈黙の世界での静かな興奮といった感じのものをイメージするので、ほたる音頭とか縁日でごった返すお祭気分というのはちょっと違うような気がします。まぁえらそうな事を言っても、そんな風に無数に群れ飛ぶほたるなんてものは見たことがないんですけどね。間違えてアパートの部屋に飛込んできた一匹のほたるにひどく嬉しがった事があるぐらいで、小さい頃からそんな自然とは無縁な生活でしたから。
 たまたま今夜は福生の小さな公園(ほたる公園と名付けているところを見ると、ほたるの人工飼育のために作った公園のようです)で人口飼育しているほたるの群を夜空に放つ「ほたるまつり」があるらしいので、未だにほたるを見たことのない子供達に見せようかと思ってます。
 住宅街の中にある小さな公園なので人が殺到するとほたる見物どころではなさそうな気もするのですが、まぁ行ってみなければ判らないのでとりあえず出かけることにします。

 しかし、梅雨とも思えない爽やかなお天気が続いてますが、ひょっとして今年は「から梅雨」って奴なんでしょうか。雨が続くとうんざりなんですが、夏場の渇水というのも気になるので少しは降ってもらった方が良いのかも知れません。琵琶湖を抱える関西圏の人間はあまり渇水に切実な思いはないんですが、東京にいると結構気になったりします。降れば降ったで文句ばっかりになりそうなんですが。



6月14日(Mon)

 昨夜は「ほたるまつり」に出かけたんですが・・・はい、日曜ではなくて土曜日でした。とほほ。
 Webで検索して見つけたんですが、なんのことはない去年の予定だったとは。最新の情報とか書いてあったのを信用したのが大間違いで、1年間そのままほったらかしだったようです。
 でもほたるはしっかり見れました。群飛ぶと言うには無理がありましたが、それでも5・6匹が同時に明滅しながらふわふわと暗闇の中を飛ぶのを見たのははじめてで、公園のそこここで小さな光を見つけては「あっ、あそこにも」と子供達と一緒になって結構嬉しがっていたかも知れません。
 8時前になると何処からやってくるのか、ぞろぞろと人間の数も増えてなにやらうるさいガキも走り回ったりで落着いてほたる見物をしていられないのがちょっと残念。子供はしょうがないにしても、いい歳したおっさんやおばさん連中の騒がしさも格別で、コンビニで買ってきたおにぎりほおばりながらまるでほたるとは無縁なバカ話が何時までも終らなくていい加減うんざりさせられます。おしゃべりなら家帰ってからいくらでもすればいいのに・・・黙ってほたるを眺める風情なんてものを彼らに求めるのが土台無理なんでしょう。
 儚げで、一瞬輝いてはあっと思う間もなくすぐ闇の中に消えていくところや、そのあまりにつつましい輝きが人間の身の丈に近いところなど、ほたるの光というのはどこか線香花火に似ているような気がしました。ふと、去年の江戸川での「花火オフ」を思い出したかもしれません。

 帰ってきてからはBSで「2001年宇宙の旅」を観ていたんですが、いつの間にかソファーで眠ってしまったようで、気づいたらもう終ってました。



6月15日(Tue)

 とうとう我家も扇風機が出てくる陽気になりました。
 えぇ、扇風機が出てくるのは別に良いんですがその隣りにしっかり石油ファンヒーターが鎮座しているのがどうにもはぁ・・・しかもどこかの家庭とご同様に灯油入り。とほほ。
 南国生れで無類の寒がりの奥さんは「梅雨の頃は寒い日があるから」とかでいつも片づけるのが遅くなりがちなんですが、いくらなんでもこの季節に石油ファンヒーターは使わないでしょうに。何時になったら片づくのかと秘かに考えていたんですが、この調子だと冬までこのままになりそうな予感も。もう6月も半ばですから、あと3か月もすればストーブが必要になるのかもしれませんから、いっそのこと年中出しておいた方が何かと奥さんは安心なのかも。それならコタツも年中だしておけばいいのになぁ。あぁ、そう云えば我家の奥さん未だに羽毛布団かぶって寝てます。しかもその下にはしっかり肌掛ふとんまでも・・・一体全体どういう感覚なんだか。
 確か冬場の衣替えが遅れて早く長袖だしてねってのが去年の冬の話題だったと思うから、寒がりじゃなくてただの面倒くさがりなだけなのかもしれません。しかしなぁ・・・それにしたって何時まであのごつい羽毛布団かぶって寝るんでしょう。

 そう、気になるなら自分でさっさと片づければ良いんですよね。なにかお互いに牽制しあっていつの間にかこんな時期までストーブが出ている羽目に。やっぱりこの際だからほおっておけば何時まで我家の居間に石油ファンヒーターと扇風機が同時に存在する事になるのやら・・・


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