デーテーペーな1日

1999.03.16~31


日記関係の発言はこちらで。

3月16日(Tue)


 最近はピアノの練習なんて1ミリもやっていない子供達・・・週に1回、ピアノ教室での30分が練習の全てと言うことで当然進歩もなければ才能の欠片も感じられない訳です。いつまでたってもたどたどしい手つきでポロンポロンとピアノを弾いていてもしょうがないなぁと僕などは以前から思っていたんですが、ここに来てようやく奥さんもあきらめがついたのかも知れません。
 でもねぇ、「ピアノ教室やめて今度はそろばん教室に行けば。」って、奥さん。今時「そろばん教室」なんてものが存在してること事態が驚きですが、子供達の友達の中にはけっこう通ってる子が多いようです。マウスとキーボードの時代に「ごわさんでねがいましてわぁー」なんて間抜けな調子で問題読み上げてて、この世知辛い世の中渡っていけるのかどうか、僕にはなんとも疑問なんですが。もっとも「子供パソコンスクール」などと言った怪しげな看板も中身に関しては大同小異な気がするから、所詮は子供達のお遊びの一環としてなら「そろばん教室」にも何らかの意味はあるのかも知れません。そう言えば僕も友達に誘われて少しだけ通った記憶があります。昇級試験の時に隣の奴と問題半分ずつやってお互いに見せあっているのがバレて怒られたのでやめちゃったんですけどね。
 あとにも先にも塾とか習い事に通ったのはあのそろばん教室だけでした。読上げ算なんてけっこう得意だったんですが・・・今となってはそろばんでやるわり算のやり方すらも忘れてます。まぁ、電卓があるからいいや。でも、電卓のメモリー計算ってのが未だによく判らないんですが。

 なんだかつまらん日記だな。もともと日記なんてものはつまらない代物なんでしょう。一体誰が日記が面白いなんて言いだしたんだか。



3月17日(Wed)

 今日は特別にぐちゃぐちゃした一日。

 メール書いたり、ちょこっと日記書いたり、ついでに日記読んだり、合間に仕事したり、寝たり起きたり、コーヒー飲んだりご飯食べたり、また寝たり起きたり、メール書いたり日記巡りしたり、ご飯食べたり・・・あぁ、以下無限ループのように僕の1日はこうやってコマギレ過ぎていくようです。集中してなにかを成す、なんてことが既に出来なくなっているようで、実に情けない限り。本を読むことにも集中できなくて、読みかけて開いたまま伏せてある本が枕元にすで何冊も。あぁ、こうすると本が傷むんだよなぁ。
 そうやって気がつけば外は既に真っ暗・・・一日が通り過ぎるスピードだけがここの処さらに加速されているようです。無駄に過す人生なら早くても遅くても大した違いはないのかも知れませんが、以前ならなにもない1日があっという間に過ぎてしまうことに安堵することが多かった筈なのに、最近はそれを少し惜しむ気持が生れてきたような気がします。

 惜しむと言うよりも己の無自覚さをやはり恐れているのかな。

 時間的には以前よりよく寝ているような気がするんですが、昼間の眠りってのはどうも体質的に合ってないようで、あまりぐっすり寝たという実感がありません。1日の区切りが不分明な処がその原因のような気がします。明け方になってネムネムで布団に潜り込むというのがやはり一番僕には合っているようです。



3月18日(Thu)

 なんでしょうね。最近はいくら寝ても寝たりない感じがして、1日中調子が出ません。睡眠時間がめちゃくちゃなのが原因だとは思いますが、時間的には決して睡眠不足という訳ではない筈なんですが・・・やっぱり睡眠って長さではなくて、その質が問題になるのかな。昼寝してもなんとなく落着かないのはきちんとパジャマに着替えて部屋も暗くして寝ることがないから、ぐっすり寝た気がしないようです。
 昨日も同じような事書いてた気がするんですが・・・ま、良いか。昨日と今日の日記の違いなんて気にする人はいないんでしょう。本人ですらここ最近は前日になにをしていたかなんてよく覚えてないんですから。

 当分はこんな感じでやって行くんで自分の体を慣すしかないようです。そんな訳で身も心もだれきってるせいか日記は短めです。もっとも普段がそれほど一生懸命かと訊かれれば口ごもるしかないんですけどね。

 日記猿人も落ちてるようで、昼間の時間つぶしに困ってます。そんな事なら眠い眠いと言う前にもっと寝ればよさそうなものですが、それが出来ないからこそ眠い訳ですなぁ。などと相変らず人ごとのようです。



3月19日(Fri)

 いつもの予定日記を書く時間がなかったので、「日記書き専用旧式パワブク」持ち歩いてお外で日記書こうかなと一瞬は思ったんですが、今更そこまでして更新するほどの日記でもないなぁと・・・ようやく強迫神経症の一種「日記更新症」からは開放されたような気がします。
 もう3年以上もこんな馬鹿げた日記書いてるんですから、いい加減飽きが来ても当然なんでしょう。まぁ日記だからこそ続いたと言えるのかも知れませんが、ほんとの処は日記だからこそそんな代物は読む価値がないのだと言ってしまった方が世間一般には理解がされやすいような気がします。
 なんてありきたりな何時ものゴタクを並べていてもしょうがない。もうそろそろ寝ないと、自分でもいつ寝たらいいのかさっぱり判らなくなってます。だったらこんな日記を夜中に書いてないでさっさと寝てしまえば良いはずなんですが、なにせ本人の為だけに更新している日記なのでこのまま寝てしまうとひどく気分的に落着かないようです。<どこが「日記更新症」からの開放なのだか。

 雨が降っても暖かなままで、季節は本当に春みたい・・・って、桜の開花予想も出ているんですから、まさに今は「春真っ盛り」なんでしょう。雪のなかった冬にいささか物足りない気分ですが、春の気配はそれはそれで嬉しいものです。



3月20日(Sat)

 午前中の3・4時間目の授業を使って正美達のクラスの「お別れ会」があったんですが、スマン、父は爆睡してました。10時頃に奥さんが「お別れ会行かないの?」とか訊いていたような気がします。「うん、行く行く」とお返事しながらそのまま寝てしまって起きたらお昼過ぎでした。どうせ学級崩壊寸前の3年2組の子供達がやる事なんで碌な事にはならないだろうからまぁ良いか。がはははh、ホントは良くないんでしょうが、寝てしまったものは仕方がない。
 午後からはやっぱり学校でPTAの運営委員会があるらしい。げげっ! こんな雨の日に? 面倒クセーなぁ。
 最近はとんと看板に偽り有りの「人情裏日記」としてはたまには学校ネタも書いておこうかと、こんな雨の降る日にそれでも出掛けたんですが・・・冷たい雨と風の中を傘をさしながらフラフラ歩いていると無性にうんざりしてきて、碌でもないオバサン達のおしゃべりを黙って聞くために出掛ける気が失せて途中から帰ってきました。あーダメダメ。3年間、毎月1回まじめに出席してきたけど最後の今日はさぼりました。なんの意味もない時間の浪費に付合うのにもいい加減厭きました。形式ばかりに囚われてつまらない「活動ごっこ」してる暇があるんなら、子供達と一緒に遊んでる方がよほど面白いと思うけど、世の中にはやたらと「形式」の好きな人達が多いようです。

 これで一応PTAのお役目はオシマイかなぁ。もっとも今年は全然やる気がなかったのでほとんどなにもしてませんが。
 暖かくなったらまた子供達とハイキングにでも行きたいとは思ってるから、PTAとは別に気が向いたときにでも一緒に遊べばいいや。



3月21日(Sun)

 奥さんはお買物にお出かけなんですが、どうやら例の「地域振興券」で政府の思惑通りに無駄なものを買い込むためのようです。実にもう日本人の鏡かもしれません。
 わが家の奥さんもご多分にもれず「ブランド」でしか物の価値を計れない人なので最近流行のバッグでも欲しかったようですが、残念ながら4万円では碌な物は買えそうもないと嘆いているようです。しかしなぁ・・・単なる革製のバッグひとつが何十万円って、買う人が居るからつけているとは言え、いくらなんでもバカげた値段だと思うけど、女性にとってはその金額もまた立派なステータスのひとつだったりするのかも知れません。浪費することが目的のアメリカインディアンの「ポトラッチ」を彷彿とさせる、女性にとってはひとつの「おまつり」なのかも。わたしはいかにしてかくも無価値なものに対価を支払っているかを競っているとしか男の僕には思えないもの。
 アルコールやギャンブルに依存するのは男性女性問わずのようですが、こと「買物」に関しては女性に特有の依存のような気がします。モノを買うことでストレスを発散することが出来るのは、つまりは太古の「狩猟・採取」の時代に木の実を蓄えることで家族を養ってきた女性という性に起因するのかも知れません・・・などと何時ものいい加減なヨタ話しにはなんの根拠もありません。
 奥さんの「ポトラッチ」は結局近所の「イトーヨーカドー」で満喫してきたようです。あぁビンボーくさい。

 名目はなんであれ宛先は一応父親の名前になっていたはずですが、結局「地域振興券」の使い道については僕にはなんの発言権もないようです。それよりもなによりも、僕は未だに「地域振興券」の実物も見てないんですが。



3月22日(Mon)

 うーん、お腹いっぱいでもう食べられませんてば。

 などと、例によっていきなり訳ワカラン前ふりから始るのもいい加減マンネリな、そんな日記です。もっともマンネリでない日記なんてこの世に存在しないような気がします。つまり人間の存在そのものが大いなるマンネリだからかも知れません。
 なんてのも我ながら手垢にまみれすぎた文章のようです。読まれることを意識しすぎた文章というものは実に陳腐なもので、普段はそんなことなど碌に考えてもいない癖になにやかやと言訳して見せるのも姑息な限りです。

 そんなお話しではなくて・・・要はビンボーくさいホテルのランチバイキングを食べ過ぎてお腹がいっぱいだと言いたかっただけなんです。
 連休と言いつつ何処にも出かけないようでは「家族」の絆もなんとなく危うい今日この頃・・・そんな時は日頃の罪滅ぼしに家族そろって食事などが定番なのかも知れません。
 ただし、ホテルのランチバイキングなどと言い出すと日頃の貧しい食生活の反動からか、家族全員焦って料理の並んだテーブルに殺到するものだから、到底家族団らんという訳にはいかないようです。子供達は料理はそっちのけでデザートの苺をアホほど皿に盛るものだから、よそのオバサンに呆れられる始末だし、父親は父親であれもこれもと欲張るものだから完全に食べ過ぎです。元を取らないと納得できない貧乏性がこんな時には遺憾なく発揮されるようです。あぁ、それにしても食べ過ぎ。しかしなぁ・・・ちらし寿司とかコロッケとか、ホテルにしては妙なバイキングでした。
 ゆでたまご4個お土産にこっそり持って帰ってきました。がはははh、最後までビンボーくさい親子です。

 大森まで出かけたので帰りはすぐ近くの品川水族館に。ここの水族館の目玉のイルカショーなんですが・・・席とりの為におよそ一時間も前から屋外の客席に座っていてひたすら寒かったです。やっぱり家族団らんという奴もなかなかの難行苦行です。
 それにしても強風の1日でした。



3月23日(Tue)

 夕方から二度寝してしまってすっかり身体がダルダル。しかも椅子寝で余計に身体がだるいのかもしれません。コマギレ睡眠が駄目なのかも知れませんね。どうせならまとめて寝れば良さそうなものですが、ついあれやこれやと余計な事をしては結局椅子寝したりで実にどうも怠惰な1日です。
 で、その余計な事というのが単に日記巡りだったりしてなんとも不毛な限り。もう少し有意義な時間の過ごし方をすれば少しは違ってくるのかなぁ・・・しかし、これと言って趣味があるわけでもなく、ボンヤリとしているのが苦にならない人間にはWebの世界で時間を潰すことはなかなかやめられそうもありません。というか、なにも考えてないからそんな時間の浪費が好きなのかも知れません。

 あぁ、なんだか今日はものを考えるのが面倒。適当に日記書いたらもう一度夕寝などするのかも。

 昨日のお出かけが堪えてるのかもしれません。寒空にウロウロ出歩くと余計に疲れるような気がします。



3月24日(Wed)

 子供達は今日で学校終りなのかな? 「めばえ」だかの、要は通信簿をもらって帰ってきたところをみると多分そうなんでしょう。あぁ、親のくせに何時が終業式なんだか全然知りません。子供達に明日学校があるのかと訊いてみても「さぁ?」なんて自信なさげな返事が返ってくるし・・・相変らず頼りない限りです。ま、どーでも良いか。あまり興味ないから。
 BOWDOにも書いたとおり、昨日からやたらと眠くてあまり調子がでません。どこか具合が悪い訳じゃないんでしょうが、なにもする気がしなくてやたらと寝てばかり。
 と言っても椅子寝だったりソファー寝だったりで碌にベットで寝てないんですが、今夜あたりはベットで寝たいなぁ・・・なんてホームレスのオヤヂの嘆きのようです。昼夜逆転していて昼間にベットで寝るのがなんとなく億劫でテレビみたり本読んだりしているから駄目なのかも知れません。今夜はほんとにベットで寝よう。

 日記書くのもいい加減だれてます。こんな時は手抜きの不明日記を書く気にもなれないようです。



3月25日(Thu)

 引続き本日もネムネムな1日でした。
 昨夜はちゃんとベッドで寝たんですけど、何故か明け方の6時過ぎに目が覚めてしまって、もう少し寝ようとベッドの中でしばらくもぞもぞやってたんですが二度寝は出来そうもないので結局普段よりも早起きしてしまいました。なんだかなぁ・・・
 そんな訳で調子は相変らず。子供達はやっぱり今日から春休みのようです。暇でやることがないからと、朝っぱらから延々とアニメばかり見てるので「いい加減にしなさい。」と言うと、今度はトランプを取出してババ抜きを一緒にしようとうるさくせがむのは勘弁して。
 自分達でやりなさいとほおっておくと、ほんとに二人でババ抜き始めたんですが、あのねぇ・・・二人でババ抜きやっても全然意味無いのでは?
 そんな父親の疑問とは無縁に二人で嬉々として「あ!ババ引いちゃった」とか交互にやってますが、バカじゃないの?
 トランプに厭きると今度はどこからか「人生ゲーム」出してきて一緒にやろうと言われたんですが、朝っぱらからネムネムだというのにそんな馬鹿げたゲームにお付合いする元気はありません。何時ものぶさいくなひろこちゃんと遊べばいいのに、休みの日に限って電話もかかってこないからなぁ。なんだか春休みが憂鬱になってきました。やれやれ。

 夕方にはやっぱり椅子寝・・・まぁ当分はこんな感じなのかも。はぁ、ここの処スッキリしないなぁ。溜ってるのかな? まーね、まーね。



3月26日(Fri)

 やっぱり鬱の兆候なんでしょうか?
 「連日ネムネムで身体がだるいんです。」などと精神科医に訴えれば、今話題の抗精神薬を処方してもらってスッキリ幸せになれるのかも知れません。ついでにバイアグラの処方箋も書いてもらえば一石二鳥で更に幸せ度が増したりして。がはははh、
 でも、不能の診断ってやっぱり勃起の検査なんて事もやるのかなぁ。あくまでも目的はうふふな方面だから、隣りに若い看護婦さんでも居て思わず詐病がばれたりするとそれも恥ずかしいかぎりです。まぁ、たぶん患者の訴えに黙って処方するだけなんでしょうね。

 人がネムネムだというのにケーブルテレビの引き落しの口座が残高不足だから振込みしておいてとか言われて午後から銀行まで。まったくなぁ・・・口座引き落しの為の銀行が少ないからって、わざわざこの会社の為だけに口座が別で面倒くさい限り。いくらローカルなケーブルテレビ局とはいえ、引き落しのできる銀行が少なすぎ。我家の場合、地元の信用金庫とはローンの申請でもめてから取引きないんですから。まったくあの銀行の営業マンと言ったら、積立てをお願いするときだけはニコニコしていい気な話ばかりしていた癖に、いざローンの話になるとやれ収入が少ないだの保証会社がどうとか言い出して・・・とにかく「金貸し」なんて人種はドストエフスキーの昔からサイテーな奴と相場が決ってます。
 なんて訳ワカラン事で八つ当りしている処もやっぱり鬱なのかも。

 昼まで寝て、起きてすぐにご飯食べてまた夕寝して、薄暗くなって起きたら今度は夕食で、なんだか「寝て・起きて・ご飯食べる」以外のことはなにもしてないような気がします。もうお腹いっぱい。



3月27日(Sat)

「おはよう。」

 明け方まで眠れぬままに、それでもベッドの中で少しずつ明けていく空の気配を感じながら、いまだ薄暗い部屋を眺めるでもなくまどろむでもなく・・・ふたつ並んだベッドのあなたが寝返りをうつと共に起きあがり、わたしが眠っているのを確かめるようにチラと振り返ったことを、何故か見てはいけない事のように思えて、わたしはそのまま眠ったふりを続けた。
 このまま目を閉じていればいつかは眠れるのだろうと、もう一度眠ってしまったあなたに声をかけることをしなかったことを今更のように後悔しながら・・・しかし、相変らずわたしは眠ることが出来ずにいた。
 眠れぬままにこうしていることに耐えきれなくなったわたしは、その事を諦めると、居間のソファーに座って未だテストパターンのままのテレビをただ呆然と眺めていた。

 そうして何十分か、わたしはまどろんでいたようだ。
 ふと気が付くと雲の流れが早い・・・吹き流される雲間からのぞいた太陽は、まるで白内障の老婆の瞳のようにボンヤリと朝の空気のなかで滲んでいた。今日は雨のようです。窓の外には既にポツリポツリと雨足が。

 何時になく遅い目覚めのあなたに、「おはよう。」と胸の裡で挨拶してみた。

 しのつく雨の日というのも、無為な一日の背景としてはなんとなくココロ穏やかです。降り込められた時間を過すことも、たまには過去の記憶に立返ったりする為にも必要なのかもしれません。



3月28日(Sun)

 なんだか近ごろはやたらとビデオばかり観てます。それも最新作じゃなくて「エイリアン4」とか「ロストワールド」なんてちょっと前にビデオが公開されたものばかり。最新のものだと大抵が貸し出し中なので、仕方なくそんなのばかり選んでるんですが。それも、「なんて書いてあるの? どう言うこと?」とうるさい麻美の為にわざわざ日本語ふき替え版でなければいけないのでなにかと面倒です。中身に関しても、怖いものだと「キャーキャー」とテレビの前でうるさい限りだし、ラブシーンなどあると今度は妙に色気づいて、急に部屋の中をウロウロしはじめたりで、実にどうも落ちつきがない。もっとも父親としても、裸で男女が抱合っているシーンをどう説明して良いものか・・・てゆーか、お互いにそうしたときはなにも気にしていない風を装ってさりげなくテレビの画面を眺めたり興味なさそうに手元の新聞にチラと目を落したりで、なにかと苦労してます。
 麻美は単に照れてるだけのようですが、正美なんか興味津々の癖に笑っていいんだか困った顔していいんだかよく判らない表情で、それでも鼻の頭あたりがなんとなく笑っていたりするのもやっぱり彼女らしいのかも。
 なんかどうもねぇ・・・テレビの連続ドラマなどでもかなりきわどいシーンがあったりすると、男親というのはやっぱり表情に苦労します。ニヤニヤしてるのもどうかと思うけど、ついつい鼻の頭あたりが笑ってしまうのは、あぁこの子にしてこの親ありでしょうか。

 「エイリアン4」にも「ロストワールド」にもそんなムフフなシーンはありませんでした。
 しかし、シガニー・ウィーバー怖すぎ。ジェフ・ゴールドブルームはいつ蝿男に変身するのかと、その事ばかり気になりました。



3月29日(Mon)

 ネムネムなのは相変らず。何故眠いのかと言えば、やっぱり睡眠不足なんでしょうね。<当り前すぎ。

 しかし、昼間寝てばかりで日記に書くことがあまりない。子供達ともおはようの挨拶をすると後はあまり会話した覚えもないし、奥さんとはなるべく目を合わさないようにしてるので一層会話も弾まないようです。
 わはははh、なんだか家庭での存在感がどんどん希薄になってるような気がします。もともと父親なんてものは、ねぐらの中にあっては居ても居なくてもどうでも良い存在なのかも。頑張って外で餌を稼いで来てはせっせと巣穴に運べばそれで役目は果せているんでしょう。
 餌運びもおろそかなままで、ひがな一日寝ているようではやっぱり家族の信頼を失うようです。まして夜遊びが過ぎて眠いだけだったりすると忘れられるだけでは済まなくて、いい加減「父親失格」のレッテル貼られてしまうのかも知れません。
 もっとも、我家の奥さんからは「夫失格」のレッテルはとっくの昔にお墨付のはんこ共々にしっかり頂けているような気がします。まぁ、そういう風に評価済だとなにかと便利ではあるんですが。

 寒さがぶり返しているのもネムネムの原因かも。こんな日に日中ベッドに潜り込んでいたりすると何時まででも眠っていられそうです。



3月30日(Tue)

 子供達は春休みで暇を持て余しているようで、なにかというとテレビを眺めている事が多いようです。つられて父親も昼間から「エイリアン4」だの「ロストワールド」と言った、愚にも付かないハリウッド製娯楽映画をぼんやり眺めていたりします。
 そんな訳でつまらないアニメ映画を物色中の子供達に付合ってビデオショップの棚をぼんやり眺めていると「全身小説家」なんてタイトルが・・・「さよならCP」とか「ゆきゆきて神軍」と違って、こんな大手のレンタルビデオショップに並ぶようなメジャーな作品なんだと、認識を新たにしました。だって原一男の作品を観るなんてことは、アングラ(死語だなぁ)な場所でのブルーフィルム上映会みたいなイメージがずっとあって、「ゆきゆきて神軍」なんて確か新宿の薄汚い喫茶店みたいなところで隣の人間と膝付合わせるようにして観た覚えがあります。あれは完全に秘密上映会みたいな感じでした。
 そんな原一男の作品が、まさか「極妻」とか「ふーてんの寅さん」と同じ棚に並んでいるなんて・・・いささか不意を突かれたような気さえしました。ベストテンにランクインしたり海外で映画賞を受賞したりで、かなりメジャーになったという事なんでしょう。ひょっとすると「奥さまカルチャースクール」なんぞの教材になったりしてるのかも。なんと言ってもあの「書かれざる一章」の井上光晴の死を扱ったドキュメンタリーなんですから、団塊の世代の奥さま達には意外となじみ深い作家なのかも知れません。大竹しのぶの映画の影響もあったりするのかも。

 井上光晴という作家にも随分と傾倒した事があって、彼の書くものならとにかくなんでも読むという時期があった筈なんですが、この映画の中で文字どおり自らのはらわたをえぐり出して見せる彼の「自己表現」の、その暗い情熱に触発されて、久しぶりに彼の書く小説を読んでみたくなりました。

 肝心の「全身小説家」については明日の日記にでも書くかもしれません。あれはやっぱり原一男の作品と言うよりも、やはり井上光晴の大いなる虚構の一編なのだと思います。どこまでも「井上光晴」を演じ続けようとする男の、切ない想いのこもった作品なんでしょう。



3月31日(Wed)

 小さい頃祖母から「嘘つきみっちゃん」と呼ばれ、長じては「小説家」などといった職業に就いた人間の自筆年譜などは、もともとが眉につばして読むべき代物なんでしょう。というか、連続した時間の中からある一つの出来事を選択した時点ですでに「フィクション」は始っているのだとする井上光晴の方法論に従えば、人間の書くものはすべて「フィクション」でしかあり得ないと云うだけの話しで、それを事実と違うとかそんな人物は存在しなかったといくら考証した処で、「小説家」が造り上げようとしたその世界を読み解く鍵とはならないようです。
 まさに彼の裡なる世界こそがすべての真実であり、その世界に住む者達だけが作家の創造の秘密を共有する事が許されているのでしょう・・・などとキレイ事で言訳るには、あまりにも生身の井上光晴は身勝手で軽薄で臆病で正直で繊細であったようです。観ていて身につまされるというか、我が事のように突き刺さるものがなにかと多かったような気がします。
 彼を巡る女達の独白のなかからかいま見える姿こそが「フィクション」に韜晦する井上光晴の本当の姿なのでしょうが、それをやられるとかなり困った事になる男が多い筈なのに、彼の場合はむしろそれすらもフィクション化しようとしていた節さえあります。
 井上光晴があんなにも女性ファンに囲まれることの多い作家だったとは今回初めて知りましたが、作家と読者という立場を越えた関係が少なからずあったようで、女達の口からあまりにもひたむきな彼に対する愛の言葉が語られることで、井上光晴という男がいかなる態度で彼女たちに接していたかが逆によく判ったような気がします。そのあたりにもまた、この小説家の自己を演じることの熱心さが図らずも露呈していたようでした。

 冒頭、画面の向こうから歩いてくる井上光晴の姿にはにかんだような笑顔の少年のイメージが一瞬ダブったのですが、それが「フィクション」でない可能性については、やはりよく判りません。

 この「全身小説家」には埴谷雄高が頻繁に登場してくるのですが、やっぱり彼は下町に住う落語家といったイメージで、凛とした表情と姿勢はまさに孤高というに相応しいたたずまいで、やっぱり生前に一度でも逢っておけば良かったなぁと今更ながら思ったのは、単なる一ファンの感想でした。


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