デーテーペーな1日

2000.04.01~15


日記関係の発言はこちらで。

4月1日(Sat)


 有珠山噴火したのはいつでしたっけ? 最近テレビゲームばかりでテレビはほとんど見ていないのでよく判りません。キムタクと常盤貴子の話題のドラマもとうとう一度も見た事ありませんでした。そう言えば常盤貴子は最近オッパイが小さくなったんじゃないでしょうか。以前は洋服の上からでもムラムラくる感じがあったんですが近頃はごく普通のような気がします。まぁ、ムラムラきたからと言ってなにかする訳でもないのでどっちでも良いんですが。えぇ、最近はとんとご無沙汰です。あぁ・・・なぜに嘆息するのかこのオヤヂは。
 そんな事じゃなくて「有珠山噴火」でした。麻美が「どのチャンネル廻しても同じ噴火の映像でつまんない!」と怒ってます。時事ネタにはとことん興味のない性格で最近の話題や知識にはまるでうといのが麻美なので、自分の身の回りの出来事にしか興味がないから地震がおきても火山が火を噴いても一切我関せずという奴です。そのくせテレビコマーシャル等にはやたらと詳しくて新製品のジュースなど出ると真っ先に飲みたがるのも麻美という、とにかく一事が万事なんともわかりやすい性格をしてます。要はちょっとバカっぽいんでしょう。

 そう言えば本日は「エイプリルフール」か。4月バカの習慣は我家では根ついてはいません。家族全員いつでもバカだからというのもあるのかも知れませんが、「エイプリルフール」だからなにかを食べるというような事だったらきっと違っていたかも。
 「行事=なにか食べる」という図式が貧乏人の頭の中には強く刻みつけられているようです。



4月2日(Sun)

 椎名林檎って、よくよく見ると左の鼻の脇に目立つほくろがあるんですね。でもああいった感じだからひょっとするとつけぼくろ?
 以前から何度かミュージックビデオを見た覚えがあるんですが、なに歌ってるんだかよく判らないし、白塗りのマネキン人形みたいな怖い顔でどうも苦手なタイプだと言うことで漫然と画面を眺めていただけなんで今日まで知りませんでした。
 ほくろフェチの僕としては俄然得点が高くなるんですが惜しむらくはちょっと大きすぎるのと鼻に近すぎてうっかりすると鼻くそと間違えてしまいそうなところが残念かな。もう少し唇に近かったりするとかなり良いんですが・・・って、オヤヂ趣味全開です。まぁ顔のほくろはそれほど好きって訳でもなくて、本当は肩胛骨のあたりとか脇腹のちょっと下なんてところにあるとおじさんはドキドキしてしまいます。<勝手にドキドキしてろ。

 椎名林檎のDVDソフトでも借りてきてそのあたりをもう一度確認してみるのも良いかも知れません。

 いくらほくろフェチといっても「ちあきなおみ」のあの鼻の脇のでっかいほくろはノーグッドでした。黒くてポツンとした奴が良いかな。



4月3日(Mon)

 えーっと、ひとまずはお詫びから。<「ひとまず」というのがダメだなぁ。
 とにかくお詫びから。<「とにかく」ってのが傲慢ではないでしょうか。
 とりあえずお詫びから。<なにも変ってないって。

 そんな訳で申しわけなかったですぅ。椎名林檎のほくろににやけている場合ではありません。以前からメールがどんどん短くなる傾向にあって、その上うっかり寝てしまったりすると肝心のお返事すら忘れてしまうようで、そんな短いメールすら届いていなかったようです。
 なんなんでしょうねぇ・・・自分で自分の怠惰さにイヤ気がさしてきます。過剰になりすぎるととめどもないメールチャットに陥ったりする癖に独りよがりな都合でメールの1行も書かないでいたりするところがなんとも自分勝手な奴です。
 返事が来るかと思っていて届かない夜のなんと空疎なことか・・・自分にも覚えがある筈なのに、こうやって無為なままに時間を浪費するのも愚かしい限りです。

 そんな訳で今度メールチャットしましょう。

 なんて訳ワカラン日記なんでしょう。まぁこれを日記だと思うから訳ワカラン訳で、要はメールにすればいいことをそのまま日記に書いてしまっているだけなんです。



4月4日(Tue)

 今日のお昼前のNHKラジオの放送で京都の「平野神社」からのお花見中継と言うのをやっていて、懐かしさに思わず車を止めてしばらく聞き入っていました。
 平野神社は北野天満宮のすぐ近くにあって、地元の子ども達にとっては有名・無名、由緒正しき神社仏閣といった意識はまるでなくて一連の遊び場のひとつとして毎日のように行き来していた場所でした。だからこそ北野天満宮は「天神さん」であり平野神社は「平野さん」と呼ばれて日常の一部のようなものでした。「天神さん」がかくれんぼに最適な変化に富んだ遊び場だとすれば、「平野さん」はだだっ広い境内が鬼ごっこにぴったりだったりしてその日の気分でどちらで遊ぶかが決ったりしたものです。途中の道には川があったり、川岸の土手には小さなわき水があって砂地の石ころの下には沢蟹がいたりで、とても町中とは思えない自然が満ちているのも街場の子どもとしては楽しみのひとつでした。
 平野神社といえば夜桜が有名で、シーズンには茶店の他にも屋台の露天商などもならんで賑やかなことこのうえなしなんですが、子ども達にとっては遊び場を大人達に奪われた心境で桜見物などといったつまらないものは早く終ればいいのにと思っていたようです。

 そんな訳で桜の思い出はあまりないんですが、あの広い境内を走りまわっていた頃の記憶が鮮明に蘇ってきてひたすら懐かしかったようです。 

 今度の週末がこちらでも桜の見頃のようです。あちこちで咲きはじめたうす桃色の花に思わず見とれる事が多くなりました。



4月5日(Wed)

 やったぁー。「バイオハザード2」やっとクリアしました。親子そろってきゃーきゃー言いながら。Webで見つけた攻略法の助けをちょっぴり借りてですが、あれがなかったらいまでも警察署の地下でウロウロしてるだけかも。
 子ども達はじっと横で見ているだけで決して自分ではやらないんですが、観客モードで一生懸命恐がってます。いや、あのゲームってマジで怖いです。夜中に電気消した部屋でひとりでやっていて、天井から怪物が飛出してきたりすると思わず「きゃっ!」とか声が出たりして子どもの手前恥ずかしいかぎりです。

 しかしまぁ、いい歳したオッサンの書くべき文章ではないなぁ。日本の将来についてとか、病に倒れた小渕前首相の容態はどうなんだとか、日本の経済動向は果していかなる展開を指し示すのか・・・なんて事には一切関心がありません。日本なんて国はさっさと滅んだ方が良いし、首相なんてどうせ自民党の派閥の持ち周りで決るポストなんだろうから誰がなっても同じでしょう。そんな事より「バイオハザード3」買おうか買うまいかと日々悩む毎日です。

 さぁどうだ。さっさと寝ればいいものを、こうやってあれから日記書いてます。我ながら物好きだなと思います。この際だからついでにもうひとつの日記も書くか。



4月6日(Thu)

 子ども達は今日から新学期でクラス替えがあったというのに、父親はといえば担任の名前さえ上の空です。新しいクラスと新しい担任でスタートといっても1学年3クラスしかない小さな小学校ではクラスの顔ぶれも大して代りばえしないし、担任もどうやら男の先生のようでまるで興味ありません。
 そんな訳で本日もご多分にもれずゲーム三昧でした。ようやく「レオン編」をクリアしたんですが今度は「クレア裏編」に突入で、これがまた難しいんです。
 古ぼけたゲームを嬉しがってるところもゲーム初心者ならばこそで、その上やたらと時間がかかって本日は二度寝も出来ずでいささか睡眠不足のようです。
 またもやゲーム日記と化しているようで興味のない方すいません。そのうち飽きると思うんでいましばらくの辛抱です。
 明日ぐらいには子ども達に新しい担任の印象でも聞いてみることにします。そう言えば麻美はまたもやひろこちゃんと同じクラスで、これで保育園と小学校合計で9年間も一緒にいることになるようです。もっとも最近は麻美にとっては友達ではないようで、本人曰く「友達はいない。」だそうです。そう言えば春休みの間も麻美の友達からの電話って1本もなかったかも。どうやら彼女の場合は父親に似て友達のいない寂しい人生を送るようです。

 正美はなんと背の順で前から5番目だとか。今までせいぜい前から2番だったんですが急に身長が伸びた訳でもなくて、なんでも正美のクラスにやたらとチビが集ったせいで順送りになったんだとか。
 麻美はやっぱり一番前のようです。



4月7日(Fri)

 真新しいランドセルが目にまぶしい新1年生をよく見かけるようになって改めてその姿がなんとも小さくて、なんだか新種のオモチャが歩いてるような気になるんですが、我家の子ども達も新入学の頃はあんなものだったのかと思うと彼女たちも小さいなりに成長していたようです。もっとも今でも小さいことには変りはないんですが。
 そう言えばこの日記を書きはじめた頃って彼女たちはまだ保育園だった訳で、それが今年は5年生かと思うと改めて飛ぶように通り過ぎる時間というものを意識します。この調子なら10年なんてすぐなんでしょうがこんな調子でダラダラと10年も日記を書いているのかと思うと我ながらちょっと情けなくなります。
 そうそう、昨日は正美が背の順で5番目になったとか聞いたんですが今日になってみるとそれは靴のせいだったようで結局4番目にくりあがったんだとかでひどく残念がってました。麻美はあまり身長の話題に触れるのがイヤそうですがとにかく全学年でも2番目ですから、その一番小さい子と同級になる以外は常に一番前が定位置のようです。そういえば僕も小学校時代はずっと前から4番目から5番目のあたりをウロウロしてました。奥さんはやっぱり一番前だったようで、そのあたりもよく親に似ているのかも知れません。頭の中味も推して知るべしでしょうか。

 親子3人でテレビゲームで大騒ぎ。エンディング直前が難しくて何度も死んでしまう度に「お父さん、頑張って。」と応援されるのもバカっぽい限りでした。夕食の支度をしながらそんな様子を眺めている奥さんの横顔は既に諦めの境地なのかも。



4月8日(Sat)

 実は誰にもナイショで持ってる携帯電話(なので誰からもかかってきません。知らせてないんですから当り前ですが。外出時に重いPC持たなくてもE-mailのやり取りが出来るからと思って買ったんですが、これも携帯のメールアドレス教えてないのでどこからも届くことはありません。じゃ、なんで持ってるのかって・・・それは寂しいからです。)のメール機能が使えなくなったので修理にだそうと買った店に持込もうとしたら、携帯電話って修理は販売店では受付けてなくて直接ショップに持込まなければいけないんだとか。今時そんな面倒な事を言い出すなんて携帯電話会社ってのは随分といい気なものですが、まぁ仕方がないので朝一番で立川まで。確かJ-PHONEのショップが立川の駅前にあった筈。
 しばらくぶりで立川駅まできたけど随分と変ってます。駅前にあったデパートの跡地はロータリーの一部になってしまって跡形もなくなってました。駅前は混雑してるんで車を路上に止めてショップまで。しかしまぁ、J-PHONEってのはサイテーな会社です。液晶が液洩れしてるから修理は有償になるかも知れませんとか、現在本社のコンピュータがダウンしていてメモリーの移し替えが出来ないので代替機がだせないとか、修理の前にはこの同意書にサインしろとか、とにかく対応がお役所的でサイテー。窓口のおねーさんは花粉症らしくて鼻をぐずぐずしながらでやたらと手続きに時間はかかるし、なにより鼻の下にうっすらとヒゲが生えてるのがコワイぞ。
 このまま携帯電話なんか投捨てて帰りたくなったけどせっかく立川迄来たんだからと、仕方なく置いてきました。この上有償修理なんて言いだしたら絶対に解約するぞ。どうせ誰からもかかってこないし誰にもかけないんだからやっぱり僕には無用の長物でしょう。なんだか書いててだんだん寂しくなってきたぞ。とほほ。

 暇なんで子ども達も連れ出したんですが途中で麻美がお腹が空いたというのでマクドナルドで朝マックなど。どうせならファミレスにしようと言ったのに麻美がどうしてもマクドナルドがイイと言うからそちらに。相変らずビンボーくさいものには目がないようです。



4月9日(Sun)

 お花見には絶好の陽気だというのに一日じゅう家にこもってぼんやりってのも、その怠惰さが意外と好きだったりするんですが家族の方はいい迷惑かもしれません。もっとも父親のいい加減さを知りつくしているので最近ではどこかに連れていってなんて言う事もありません。行きたいところがあれば自分達で勝手にお出かけするから・・・それって父親は仲間外れってことじゃないですか。道理で近頃はポツンとひとりで居間に居ることが多いと思ったら、やっぱり父親はのけ者だったのか。
 そんな訳で午後から子ども達は奥さんとお出かけだったようです。寝ていたんで出掛けたの知らないんですが、まさかこのまま家出という事はないだろうなぁと一瞬不安がよぎったのは該当するような後ろめたい事でもあったんでしょうか。
 仕方なくひとりでゲーム・・・あぁ、いい歳したオッサンの日常としてはもう少しなんとかならないものかと思いながら、そんな毎日のくり返しに溺れがちなのがまさに「日常」そのものなのかも知れません。

 夕方には無事帰ってきたから家出ではなかったようです。って本気で心配していたんでしょうか、このオヤヂは。



4月10日(Mon)

朝食の準備

 子ども達と主人の朝食の準備をするために流しの前で蛇口をひねろうと少しかがんだ拍子に、ふいに股間を温かいものがつーっと伝わり落ちるのがわかった。ほんの数時間前にあの人がわたしの中に残していったものの名残りだとすぐに気がついた。

 家族が寝静まった深夜・・・後ろ手に閉めようとしたドアが風に煽られてガチャリと大きな音をたてた。一瞬凍り付いたままじっと耳を澄ませるわたしを、皮肉な調子で眺めているわたし自身をどこかで意識していた。幼い日の「かくれんぼ」のように足音を忍ばせ、鬼に気づかれぬようにと壁沿いに沿って歩きながらわたしは夜の闇をではなく、その暗闇のなかをひとり歩くわたし自身の心を恐れていた。
 闇の向こうにはあの人の車がひっそりと停まっていた。ドアに手をかけるといつものように鍵はかかっていなかった。そのまま無言で助手席に座ると、すぐに手が伸びて椅子ごとわたしの身体は倒され唇がふさがれた。コートの下にはパジャマ以外何一つ身につけていないわたしの身体をあの人の手がいつものようにまさぐり、わたしはいつものようにすぐに濡れる。

 「欲しい。」

 そう耳元で囁くと「え、もう?」という風にあの人の目が笑っている。そのくせわたしをいじる事は決してやめない。そうやってわたしをじらせながら決してわたしの期待を裏切ることがないのがあの人の手だと知りながら、どこまでもわたしはそれに溺れていく。
 わたしの上に重なると少しずつ入ってくる・・・そう思った瞬間深く貫かれてわたしは一息に登り詰める。

 車のドアを閉めると無言であの人は小さく手を振ってすぐに見えなくなった。少し空が明るくなりはじめていた。コートの襟をあわせるとあの人の匂いがした。

 テーブルの上にハムエッグとトーストを並べ、子ども達を起そうと台所の扉を開けようとした時、もう一度流れるものを意識した。

 意味不明日記はなんだか久しぶりです。まぁ、これを日記と思うひともいないとは思いますが。



4月11日(Tue)

 まだ僕の日記を読んでいたとは正直驚きですが、相変らずの勘違いぶりにはそれ以上にゲンナリと言う以外はないかな。あなたの知る「僕」だけが僕のすべてではないと何度も言っているのに、そうやって自分自身が信じる言葉で僕を責めるというのもいい加減にしてもらえないでしょうか。あなたが見ている僕自身はひとつの断面でしかないことに気づけば、言葉にはあなたが知る以上の意味があることも当然だとは思いませんか。

 あなたの事ではないのにあなたが不快になるというのも滑稽な話ですが、かくの如くあなたは僕という人間について過去も現在も決して理解することはなかった。

 つまりは「すべてはなかったこと」を望んだのは他ならぬあなた自身であることも忘れてしまったようです。
 そう、僕にとっても「無関係」と言う以外に語るべき言葉はありません。



4月12日(Wed)

 桜というものはなにも混雑する名所や酔客の嬌声がうずまくぼんぼりの下でしか楽しめないというものではないのがよい。
 例えば、通りすがりの道路はしの1本の桜の木であったとしても、その下で空を見上げると青空をバックにした薄桃色の花びらに思わず心を奪われたり、散りつもった花びらを踏みしめて歩くことになにかしら感傷に似たものを感じたりする。
 どこと言って特徴のないありふれた公園だと思っていたのにその中央に見事な枝ぶりの桜が2本あることに初めて気づいて、僅か1週間程の花の時期の為に見事に手入れされているその様子に日本人の感性の贅沢さを思い知らされる。なぜこうも桜に執着するのか。咲きほこる様の見事な事とその散りゆく様子の余りの性急さがひとの心を捕えて離さないのかも知れません。散る花に執着することのないのは来年になれば再び会えることを知るからだとすれば、やはり桜の花と僕たちとの関係はいつまでも満たされているのだと思います。

 ドアを開けると風に乗ってたった一枚、桜の花びらが舞込んできた。手に取ってみて、これが僕にとっての「お花見」なのかもしれないとそう感じた。



4月13日(Thu)

 引き続き本日も桜ネタ。もう葉桜になろうというのに・・・いかにも未練たらしい性格が現れているようです。

 今度の週末じゃもう桜は散ってますよねぇ。このせわしない処が桜の花の良さでもあるんですがもう少しゆっくり咲いていれば良いものを。まぁだからと言ってどこかにお花見に行く予定があったわけでもないんですが、やっぱりこの時期にはどこかでのんびり花でも見上げてみたいなぁと思うこともあったりします。
 そういえば今日公園の桜の木の下で小さなゴザをひいてその上で文庫本を読んでいる少女を見かけました。遠くから見かけただけなんで少女だったかどうかは定かではありませんし、読んでいたものも文庫本じゃなくてただのマンガだったかも知れません。ただ桜の木の下に横座りしてじっと本を読んでいる様子がまるで坂口安吾が書く小説の主人公のようで、僕には凛とした少女をその姿に重ねてみたようです。

 ひっそりと孤独に見えて、内側では豊かに充実するものを秘かに飼っている・・・そんなちょっぴり不遜で可愛い少女の面影を誰かになぞらえていたのかも知れません。

 そんなおめでたい感想を抱いて本日もお気楽に時間だけは過ぎていくようです。



4月14日(Fri)

 麻美が朝からぼんやりして着替えもしていないようだからどうしたのかと聞いてみると、熱があるから今日は学校休むんだとか。熱といっても37度3分とか4分で微熱の部類だと思うのに頭も痛いとか言いだして本人はすっかり休む気になっているようです。
 正美までぼんやりしているからこちらも訊いてみると頭が痛いなどと言い出すのでやっぱり熱でもあるのかと計ろうとすると熱はないらしい。麻美が休むから自分もさぼるつもりなのかと思って「熱がないんなら学校に行きなさい。どうせズル休みなんでしょ。」
 しぶしぶといった様子で支度するために3階にあがったと思ったのにそのまま一向に降りてくる気配がないので正美の部屋をのぞいてみると、椅子に座ってシクシク泣いていたようだったが慌ててランドセルを背負って行こうとするのでどうしたのかと尋ねてみてもなんでもないと首を降るばかり・・・このままじゃ遅刻だと思うから慌てて車に乗せて学校の通用門の前まで送っていってなんとか間にあったようです。
 戻ってから麻美に訊いてみるとなんでも「蟯虫検査用紙」を入れる袋をなくしたものだから学校に行きたくないと朝から泣いてたらしい。なんだ・・・そんなつまらないことで学校に行きたくないと騒いでいたのかと思うと同時に、僕にもそうした些細な理由でどうしても学校に行きたくないと駄々をこねた事があったのを思いだした。兄弟がいないせいで学校に行きたくない理由を誰にも話すことはなかったので、僕はそうしたときは母親になんと言われようと決して学校に出掛けることはありませんでした。今となってはその理由すら思い出せないのに。

 学校から戻ってくると正美はいつもの調子でメソメソした様子は見えませんでした。回復が早いというか、根が単純なようです。今度の日曜日は友達のお誕生会らしくて、みんなで手づくりケーキを作るんだとか。誰も作ったことがないのにいきなりスポンジケーキから手づくりって・・・かなり無謀だとおもうけど、まぁその訳のわからなさが君の良いところでもあるんでしょう。



4月15日(Sat)

 我家の奥さんの兄嫁が入院中なので子ども達も一緒に午後から病院まで。入院中もあまり体調が良くないと聞いていたので子ども連れでのお見舞はかえって迷惑かと躊躇していたのだが、近々沖縄の病院に転院するらしいと知らされて急遽子ども達も連れていくことに。
 食事がとれなくて栄養はすべて点滴からと聞いていたので相当痩せているものと覚悟していたが案外元気そうでそのあたりを取繕う必要がなかったのが、こうした場面が苦手の僕としては有難かった。病気に対する本人への告知も既にあったようなので病名でウソをつかなくて良かったことも負担がひとつ減った思いがするが、考えてみればそんなものは見舞う側の勝手な理屈であって本人にとってはなんの意味もないことだった。
 子ども達がそれぞれ選んだ小さな花束を手渡すと「ありがとう。」と微かに微笑んでみせたが僕とは結局目が合うことがなかった。ベッドの端に腰かけながら横顔だけで話す僕はいかにも気のないそぶりに見えたかも知れない。「天性の嘘つき」などと自称しながら、いざとなるとからきし意気地のないのは我ながら情けない限りだが、だからと言って空疎な励ましの言葉でどうにかなると思うには彼女の目は空虚すぎるような気がしたのだ。

 「じゃ、またね。」
 そんな言葉が簡単に出てくる僕自身が少し許せない気がした。

 病院の窓から眺める景色は思いの外美しかった。雨に濡れた葉桜と新緑の向うに子どもの通う中学校の校舎が見えるんだよと彼女が指さすのを見て、ふいに息が詰った。


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