明け方のけだるい空気の中をうつむき加減に歩く「あなた」の後ろ姿を見送りながら、少しばかり言い残したことがあったような気がしたのは・・・やはり僕の錯覚なのでしょう。

 あれはいつの事だったのか、同じような雨上りの朝に「あなた」を見送ったことがありました。
 傷つけるつもりではなかった筈なのに、「あなた」の思いがけない言葉に不意打ちを喰らったような気分で、僕は呆然として黙るしかなかった。黙ることで一層傷つける事になるのだろうと思いながら、それ以上に「あなた」を抱きしめるためのコトバを僕は知らなかった。
 自分の場所へ戻る為にここまで来たと、そう告げる「あなた」に、やはり僕は黙ったまま足元を見つめていた。どれほどの間、二人して立ちすくんでいたのか・・・おずおずと差出された「あなた」の手が僕の頬に触れ、その上に僕自身のそれを重ねる。爪先立ちした「あなた」が僕の目をまっすぐに覗き込んだまま、そっと口づけする。なまめかしさのまるでない、「あなた」の悲しみそのもののように乾いた感触が、いつまでも僕のくちびるに残った。
 雨に濡れ冷えきった「あなた」の手が僕の掌をすり抜けていく。耐えようもない喪失感と自責の念に捕えられながら、やはり僕は無言で「あなた」の後ろ姿を見送った。

 そう、あの日の雨もやはりこんな風に「あなた」の両肩を濡らしていつまでも降止む事がなかったような気がします。もう一度強く抱きしめればよかった・・・しかし、愚かな未練を罰するためにも僕自身はいつまでもぬかるみの中で「あなた」の後ろ姿を眺めていることになるのでしょう。
 孤独であることに馴れようとして出来ない、愚か者が受ける当然の報いだとすれば、やはり今朝の雨は必然の結果でもあったようです。