Program Note


はじめに

 「キリスト教徒でなければ、バッハの音楽は真に理解できない」というのが、いわゆるバッハ愛好家、クラシック愛好家と呼ばれる方々の間では通説のようになっている。
 かく言う私もバッハと同じ、ルター派のキリスト教徒であり、ライプツィヒに住んで22年、聖トーマス教会で婚礼の式を挙げ(500年ぶりの外国人による挙式ということで、当時地元の新聞記事にまでなった)、今では同教会の広報までつとめている。
 そんな私であるからこそ、きっぱりとこの通説を否定したいと思う。
 少なくとも私が住んでいるここライプツィヒでは、宗派に関係なく、誰もが礼拝に参加することができ、また参加しない自由もある。
 すべての信仰に普遍性が存在するように、音楽に魅了され、その旋律に陶酔することは、万人に平等に与えられた歓びという名の理解である。
 バッハの音楽に没入する歓びにおいてもまた、宗教の枠を超越した理解と言えるだろう。

 今回披露される3曲は、実に興味深い宗教音楽である。
 一曲目はフランツ・ヨーゼフ・ハイドンが1786年に作曲した管弦楽曲『十字架上のキリストの最後の七つの言葉』。ハイドンの作品の中でも特殊な曲と言えるだろう。
 二曲目はヨハン・セバスティアン・バッハの教会音楽の中でも有名な、カンタータ4番(BWV4)『キリストは死の縄に縛られて』。
 三曲目は同じくヨハン・セバスティアン・バッハのモテット6番(BWV230)『すべての国よ、主を賛美せよ』。
 本日ご来場くださったお客様には、是非ともラテン語、ドイツ語、日本語などといった言葉の壁を越え、その意味すら凌駕する旋律の素晴らしさに純粋に耳を傾けてもらえたら幸いである。

F.J.ハイドン『十字架上のキリストの最後の七つの言葉』

 ハインリッヒ・シュッツ(1585-1672)の『十字架上での七つの言葉』が基礎となっていると思われるが、このシュッツの曲をハイドンが耳にしたかは不明である。
1786年、ハイドン54歳の頃、スペインのカディス大聖堂からの依頼によって作曲した。当時は声楽曲ではなく、聖金曜日のミサのための曲であり、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書によるイエスの十字架上の七つの言葉を、聖職者が朗読し、この朗読に合わせて作曲した管弦楽曲である。
その七つの言葉とは、
第一の言葉 父よ彼らの罪を赦したまえ
第二の言葉 お前は今日、私と共にパラダイスにいる
第三の言葉 女性よ、これがあなたの息子です
第四の言葉 神よ、なぜ私を見捨てたのですか
呻き(言葉ではない)
第五の言葉 私は渇く
第六の言葉 成就した
第七の言葉 父よ、私の霊をあなたの手に委ねます
後にハイドン自身の手によって、弦楽四重奏版とオラトリオ版が編曲されており、さらにクラヴィーア編曲版がある。本日演奏される声楽付きオラトリオ版は1796年、ウィーンでのことであった。
1795年、イギリスからウィーンへの旅の帰途、バッサウの大聖堂に立ち寄ったハイドンは、楽長兼オルガニストだったヨーゼフ・フリーベルトがカンタータとしてこの曲を演奏しているのを耳にした。ロンドンでヘンデルのオラトリオを聴いて触発されていたハイドンは、ウィーンに戻り、フリーベルトの編曲を手直しするとともに、翌年にこのオラトリオ版を完成させた。
バッハの「オラトリオ」といえば、イコール礼拝音楽を表す。しかし同時代のヘンデルの「オラトリオ」といえば、一部の作品において教会音楽のみならず劇場音楽をも示す。とすると、ハイドンはこの曲をあくまでヘンデル寄りの「オラトリオ」として書いた。
1700年代後半に、果たして聖金曜日の大切なミサにオラトリオ版と題した曲が、例えばウィーンのシュテファン大聖堂で演奏されることなど絶対にあり得ない。
不勉強な私には、この曲が一体どういう場面で演奏されたのか不明である。ご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひライプツィヒの私宛にご連絡ください。
また、バッハが聖金曜日のために作曲した、かの「マタイ受難曲」は3時間という大作であったが、比してこの曲は1時間くらいの長さ。すでにヨーロッパ合理主義思想が教会音楽にも影響を及ぼしているのが見てとれる。

高野 昭夫(Bach-Archiv Leipzig)


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