Program Note


J.S.Bach:ヨハネ受難曲 BWV245

 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ johann Sebastian Bach(1685~1750)は、中部ドイツのルター派の街、ライプツィヒのトーマス・カントルに就任した1723年、実に多くの仕事をこなした。 毎週毎週、新しいカンタータを作曲し、トーマス学校に通う元気あふれる子どもたちの授業を行い、歌の練習をつけ、そして日曜日・祭日などの礼拝で演奏する――
これらは、ライプツィヒの音楽生活に大きな貢献であった。そしてまた、バッハという音楽家の個性や芸術性を、ライプツィヒ市民や市参事会に強く印象付けることにもなった。
 1724年の受難節が近づいてくると、バッハにとって新たな受難曲を作曲するということは自明のことであっただろう。というのも、前任のトーマス・カントル、ヨハン・クーナウ Johann Kuhnau(1660~1722)も受難曲を演奏していたからである。 キリスト教徒にとってきわめて重要な意味をもつ「受難」。この信仰の根源を音楽化するという課題に、バッハは真摯に向き合ったように思われる。 このようにして、《ヨハネ受難曲》の最初の稿が完成した。受難曲はライプツィヒの主要教会であるトーマス教会とニコライ教会で毎年交互に上演されたが、この曲の初演はニコライ教会にて1724年4月7日に行われた。
 その後の人生においてずっと、この受難曲はバッハと共にあった。彼の生前、少なくとも4回上演されたことが伝えられている(一度、再演の計画が市参事会によって中止を命じられたこともある)。 再演のたびに少しずつ改訂が加えられ、合唱曲やアリアが差し替えられたりした。記録に残っているバッハが指揮した最後の上演は、死の前年、1749年の聖金曜日のことである。
 《ヨハネ受難曲》は(二つの声楽と器楽のグループが必要とされる《マタイ受難曲》とは異なり)、一つの合唱、器楽、ソリストという編成で書かれている。 テクストは新約聖書の『ヨハネ福音書』(ルター訳)の第18~19章をもとに、《ブロッケス受難曲》をはじめとする複数の受難曲詩を改作した自由詩、そしてコラールで構成される。 聖書からの言葉は、地の文はテノールの福音書記者(エヴァンゲリスト)、イエスの言葉はバス歌手によって歌われる。合唱で歌われるコラールが多いのもこの受難曲の特徴で、それによって共同体としての意識がもたらされる。
 しばしばキリストの受難を劇的に表現した作品であると言われるように、聖書の場面を迫力をもって伝えている。 とりわけ冒頭の神への悲痛な呼びかけで始まる、長大な合唱曲は印象的だ。続くイエスの捕縛、裁判、判決、そして処刑。その息をのむような劇的な展開はオペラ的でさえある。 そしてイエスが「成し遂げられた!」と十字架上でつぶやいた後は悲しみと浄化の音楽へ。 大規模な祈りの合唱と最終コラールは、超越的な尊厳を備えたイエスへの祝福であり子守歌であると同時に、聴く者それぞれの心にあたたかい癒しをもたらすであろう。

高野 昭夫(ライプツィヒ・バッハ資料財団国際広報室長)


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