曲目解説


モテットの歴史

モテットとは:フランス語の"mot"(言葉の意)に由来するとも言われており、中世ヨーロッパで生まれた声楽曲の様式ですが、元々世俗曲のものだった様式が宗教曲にも拡がった、あるいは逆に教会のミサで歌われていた様式が世俗曲に拡がっていった、との説もあります。
 宗教曲としてのモテットは、その歌詞に、旧約聖書の詩編が用いられた時代、そして詩編以外の聖書の言葉が用いられた時代があります。また宗教改革以後の英国国教会では、モテットではなくアンセムと呼ばれています。さらに現代のドイツでは、教会音楽一般の意味で使われています。例えば、バッハがカントールを務めたライプツィヒのトーマス教会では、毎週金曜と土曜に、トーマス合唱団とゲバントハウス管弦楽団による演奏会が行われていますが、カンタータが演奏されることがあるにもかかわらず、「モテットの演奏会」とされています。

バッハの時代のモテット:
 バッハの時代には、モテット(ドイツ語で"Mottete")とは「宗教的な合唱曲」を意味していました。
 バッハの職業であったカントールという職務には、教会の礼拝でトーマス合唱団が歌うカンタータの作曲と、トーマス合唱団の指導が求められていました(注)。トーマス合唱団は礼拝の中で、カンタータなどのほかに入祭唱、つまり礼拝の最初の曲を歌っていました。当時の礼拝式文によると、入祭唱はコラール、つまり会衆が礼拝で歌いよく知っている讃美歌を、単旋律ではなく合唱で歌うもので、合唱モテットとも呼ばれていました。バッハは入祭唱を、ボーデンシャッツが17世紀初め頃に編纂したと言われているモテット集「シュールプフォルタの花園」全2巻から選んでいたと推測されています。そのためバッハは、カントールとしては、モテットを作曲する必要がありませんでした。
 しかし葬儀や追悼式などの特別な礼拝では、依頼主から、その入祭唱として、新しいモテットの作曲と演奏を依頼されることがあった、と考えられています。バッハやトーマス合唱団にとっては、臨時の副収入となったはずです。

注:なお礼拝でのオルガン演奏は、カントールには求められておらず、その役割の人が別にいた。

曲目解説

BWV230, "Lobet den Herrn, alle Heiden" 「すべての国よ、しゅを賛美せよ」
 4声。偽作ではないか、もしくは失われたカンタータの一部ではないか、と言われています。歌詞は、旧約聖書の詩編117編1節と2節です。

BWV227, "Jesu, meine Freude" 「イエスは、わが喜び」
 5声。部分的に4声または3声。1735年に写譜されており、それ以前に作曲されたことは確かで、歌詞から、葬儀か追悼式で歌われたと推測されます。1723年7月18日、ヨハンナ・マリア・ケースの追悼式で演奏された、とする説がありますが、証拠となる資料は存在しません。
 11節からなる長大な曲で、奇数番目の節はヨハン・フランクの歌詞、ヨハン・クリューガーの旋律によるコラール「イエスは、わが喜び」、偶数番目の節の歌詞は新約聖書「ローマの信徒への手紙」8章から採られています。また最初の第1節と最後の11節とがいずれも4拍子で4声、次の2節と最後から2番目の10節とがいずれも3拍子で5声、4節と8節がいずれも3声、などのように対称構造になっています。

以下の4曲は、いずれも二重合唱です。

BWV 228, "Fürchte dich nicht, ich bin bei dir" 「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる」
 1723年以後、バッハがライプツィヒで作曲されました。なお1726年2月4日に行われたライプツィヒ市参事で商人のクリストフ・ゲオルク・ヴィンクラーの妻ズザンナ・ゾフィアの追悼式で演奏されたとする説がありますが、確証はありません。
 歌詞は、旧約聖書「イザヤ書」41章10節と43章1節後半です。また後半ではソプラノが、パウル・ゲルハルトの歌詞、ヨハン・ゲオルグ・イーベリングの旋律によるコラール「なぜ私は自らを嘆くのか "Warum soll ich mich denn grämen"」の11節と12節を歌います。

BWV 226, "Der Geist hilft unser Schwachheit auf" 「聖霊は弱いわたしたちを助けてくださいます」
 1729年10月20日、トーマス学校校長であったヨハン・ハインリヒ・エルネスティの葬儀において演奏されました。歌詞は、新約聖書「ローマの信徒への手紙」8章26節27節で、教会の中でオーケストラ伴奏付きで歌われました。
 最後のコラールは、宗教改革以前から歌われていた「来たれ、聖霊、主なる神 "Komm heiliger Geist, Herre Gott"」です。簡潔な4声ですが、このコラールだけは墓前で、オーケストラ無しで歌われた、と考えられています。

BWV 229, "Komm, Jesu, komm" 「来てください、イエスよ、来てください」
 1731年に演奏されたと考えられています。演奏の目的については諸説がありますが、歌詞から推測すると、葬儀の礼拝で歌われたと考えられます。
作詞はパウル・ティーミヒ、成立は1684年です。

BWV 225, "Singet dem Herrn ein neues Lied" 「新しい歌をしゅに向かって歌え」
 成立は1726年頃と考えられ、3部で構成されています。第1部の歌詞は詩篇149編1節~3節、第2部では第2コーラスがヨハン・グラマンのコラール「わが魂よ、主を讃えよう "Nun lob, mein Seel, den Herren"」の第3節(元の歌詞は詩編103編13~16節)を、また第1コーラスは作者不明の詩によるアリアを歌います。第3部は詩編150編2節と6節によるフーガです。
 追悼、新年、あるいは誕生日のために作曲されたと言われている大規模な作品であり、バッハとトーマス合唱団には高額の謝礼が支払われたでしょうから、依頼者は社会的地位が高い人だったと考えられます。
 モーツァルトが1789年4月にライプツィヒを訪れた際、トーマス合唱団の演奏でこのモテットを聴き、「ここには学ぶべき何かがある!」として、写譜を持ち帰ったことが知られています。

秋吉 亮


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