曲目解説


受難曲の成立とその位置づけ

 キリスト教会は独自の暦を持っており、今でも毎日曜日にはそれにもとづき礼拝が執り行われている。クリスマスの4週間前に待降節が始まり、この日から約5ヵ月くらいを「有祭期」と呼び、降誕祭、顕現節、受難節、聖木曜日、受難日、復活祭、昇天祭、聖霊降臨祭、三位一体祝日、そして「無祭期」の主日がつづく。覚えておいていただきたいのが「固定祝日」と「移動祝日」。クリスマス以上にキリスト教で重要な祭日である復活祭は、春分の日以降の満月後の日曜日。これはユダヤ教の影響を受けている。
教会暦に話を戻すが、復活祭、この祭日無しにキリスト教は成り立たないと言っても過言ではあるまい。そしてその前の受難日も同様。

 さて、受難日の歴史を遡るとローマ帝国の国教になる以前から重要視されていたようだ。その頃から受難日の昼過ぎに信者たちが集まり、新約聖書の受難の箇所を回し読みしたのが「受難曲の原点」。
その後キリスト教会が公の宗教と認められ初代教会期には聖職者によってマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書の受難の部分が朗読された、と言う。ちなみにこの集まりを教会用語で晩祷(ヴェスパ)と呼ぶが、受難日のそれは正午から始められた。
中世の頃になると下級聖職者たちが、イエス、ト書き、群衆、ピラト等、配役を決め朗読、応唱されるようになる。ルネサンス期には簡単な旋律がついたお手本で応唱がなされ、「受難曲」の基礎ができはじめる。しかしアリアや合唱などは付かなかった。
その後マルティン・ルターによる宗教改革が起こり教会は枝分かれする。ルターは自分でもコラール(賛美歌)を作曲したほど教会音楽を重要視した。その影響で、17世紀始めには北ドイツではオラトリオ(聖譚曲)風受難曲が作曲され、中部ドイツでは応唱風受難曲が成立し始めた。
しかしハインリッヒ・シュッツの「マタイ受難曲」でも約1時間くらいの作品。だが、その後も「受難曲」は進化を続け、北ドイツ、中部ドイツの大集作ともいえる、今日演奏されるバッハの「マタイ受難曲」のような教会音楽の歴史上最も優れた作品が出来上がったのだ。
さて、ヨハン・セバスティアン・バッハは代々のルター派教会(日本ではルーテル教会)の信者で、生涯にマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと4曲の受難曲を創った、と言われている。しかし楽譜、テキストが現存するのはマタイとヨハネだけ。マルコ、ルカを基にした曲はバッハの死後、失われてしまったと言う。バッハ自身は「マタイ受難曲」をたいそう気に入っていたらしく自ら「大受難曲」と呼んでいたらしい。
その成立には未だなぞの部分が多いが、1727年4月11日の受難日に「初期稿」がライプツィヒのトーマス教会で演奏されたのは史実である。1800年前半にメンデルスゾーンがベルリンのジング・アカデミーで所謂「バッハ復活」の演奏会を行った時に当時の音楽学者ツェルターが1729年初演、と記しているが、これは間違いである事が実証されている。

 本日演奏されるのは1736年にバッハ自身の手で改定された稿。初期稿との違いは、第一部の合唱部分とリュートの受け持ちがヴィオラ・ダ・ガンバに変わったくらいしか学者先生以外には私を含めわからない。この年にヴィオラ・ダ・ガンバの名手でバッハのケーテン時代の友人であるアーベルがライプツィヒに滞在していた事は資料研究が進み、今まで仮定とされていた「物語」が真実味を帯びてきた。
 書くべきことは多いが、この作品、当時の新聞によると「まるでオペラのようで教会にふさわしくない」などと批判されたようだ。しかしバッハはその事は重々承知だったと思う。なにせすぐそばのドレスデンでは「ナポリ派」と言われる「マタイ受難曲」以上に劇的な様式の教会音楽が演奏されていたのだから。バッハに対抗意識があったことは十分理解できる。
お聴きになればこの作品がト書き、アリア、合唱からなる劇的音楽である事を理解されることであろう。
 ただ、この作品が「キリスト教会」にとって非常に重要な位置を占めることを忘れないで頂きたい。曲のところどころに当時の神学思想を表しているところにも着目していただきたいと思う。
例えばイスカリオテのユダ。イエスを裏切り十字架につけた首謀者。だが、バッハはこの作品の中でこのユダの懺悔の後悔にアリアを披露しているのだ。これは当時のライプツィヒで裏切り者のユダ、その姿は我々そのものであるという神学的な考えが存在していた事を証明している。つまりイエスを十字架につけたのは「罪多き人間全て」と言う考え。そしてイエスは裏切ったユダをも許した、と解釈できる。これは受難曲に於ける大きなテーマだ。人間は全てイエスの死により罪を許されたのだ。

 マタイ受難曲は悲しみの合唱で幕を閉じる。しかし、これだけは忘れないでおいていただきたい。この大曲はイエスの生涯を表現した一部分の作品なのである。この後、復活祭オラトリオ、昇天祭オラトリオ、聖霊降臨祭のためのカンタータ等など、人々にとって喜びと感謝の作品が続く事を。これがバッハが残した「大いなる財産」なのだ。

ライプツィヒ・バッハ・アルヒーフ 国際広報官 高野昭夫


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