曲目解説


PROGRAM NOTE

 「バッハは小川(Bach)ではなく大海(Meer)」と評したベートーヴェンをはじめとして、ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685〜1750)が後世に与えた影響は計り知れないものがあるが、その『マタイ受難曲』もバッハの死後演奏されることはなく、1829年に若きメンデルスゾーンがベルリンで歴史的な復活演奏を行ったことはよく知られている。『ヨハネ受難曲』に関しては、さらにその後1833年になって、ようやく復活演奏が行われている。
 このような事実は、2つの受難曲の楽譜が発見されなかったという事情でもなければ、当時はあまり評価されなかったというのでもなく、「受難曲」というジャンルそのものがもつその性格、すなわちキリスト教会における教会暦に沿ってその目的のために作曲されたものである点が影響しているものと考えられる。実際、バッハの時代には第1部と第2部の間に説教が行われたという。
 そもそもイエスの十字架の記事を役割分担して読み上げるということは、初期キリスト教会においても行われていたという。また、バッハはヨハネ福音書より18章のイエスの捕縛から19章42節の埋葬まで取り上げているが、すでに中世の時代、聖金曜日の典礼においてこの箇所の朗読が行われ、語り手(福音史家)とキリストと群衆が分担して歌われていたことがわかっている。バッハの生まれた17世紀には、聖書の記事に限定されず、それに関連する自由詩が取り入れられた受難曲というジャンルが確立され、ドイツの作曲家たちはルター訳によるドイツ語の歌詞による受難曲を作曲していたという。
 受難曲は〔1〕聖書の記事(福音書句)、〔2〕コラール、〔3〕自由詩から構成され、〔1〕では聖書の記事を語る役である福音史家をテノールが、イエスをバスの歌い手が担当する。
〔2〕のコラールは、聖書の記事に対する会衆の祈りをその内容とするもので、第5曲「あなたの意志がなされますように、主なる神よ」では、ルター作のコラールが採用されている。
最後の〔3〕は当時の詩人たちによるもので、場面に応じて合唱曲(第1曲、第39曲)や独唱者によるアリアという形で挟まれる。
 バッハは生涯5つの受難曲を作曲したとされているが、完成した形で伝えられているのは『ヨハネ受難曲』と『マタイ受難曲』のみで、畢竟、この両作品が比較されることも多い。
しかしながら、ライプツィヒにおいてバッハが最初に演奏したのも、亡くなる直前に演奏したのもヨハネ受難曲の方であり、自らのライフ・ワークとしてこの作品の完成に心血を注いでいたとの見方も現在では強まっている。いずれにしても両者は、それぞれの福音書の性格を見事に反映したもので、全く別の意義をもった優れた作品であると認められている。
 では、その福音書の性格の違いとは、どのようなところに現れているのであろうか。新約聖書はマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの4つの福音書を中心に構成されているが、前者3つは共通する記事が多く含まれ「共観福音書」と呼ばれているのに対し、ヨハネ福音書は成立年代もやや遅く、よりキリスト教教義の根幹を成すような思想的な色彩の強いものになっている。
 「はじめに言葉ありき」で始まるヨハネ福音書は、すべてが神の計画・意志によるものとされ、イエスは「まるで地上を歩む神のように行動する」のである。実際にイエスが神格化され、「神」と呼ばれるのはヨハネ福音書だけであり、イエスはユダの裏切りを予言もされるし、最期の言葉は(神の救いの「み業」は)「成し遂げられた」となっている。このようなヨハネ福音書の性格は、この曲における構成に大きく反映されている。すなわち第22曲のコラール「あなたの捕らわれによって、私たちに自由がもたらされた」を中心に、左右対称になるように似た曲が並べられ、聴き手に十字架を意識させることが意図されているのである。十字架のイエスこそが人間の罪の贖い、神の大いなる愛の証しであるとして中心に据えられ、キリスト教の教義を反映しているのである。
 また、マタイ受難曲が埋葬の合唱曲で終わるのに対して、ヨハネ受難曲では似たような埋葬の合唱曲(第39曲)の後、神の栄光を讃えるコラールが置かれている事も象徴的である。マタイ受難曲では、イエスの受難の出来事そのものに力点が置かれ物語が展開していくのに対して、ヨハネ受難曲は、それらの出来事がすべて神からの愛によるものであることが明らかにされ、その愛に対する感謝が高らかと謳われるのである。
 バッハは受難曲の伝統に従いつつも、全体の構成のみならず、さまざまな形で十字架を意識させるレトリックを採用し、「低さの極みにおける高き栄光」(第1曲)などのキリスト教教義における逆説的な真理を表現して。独自の世界を築きあげているのである。
 またバッハの用いた手法は、もともと「歪な真珠」を意味し、矛盾・対立するものの共存、同時進行を求める「バロック」の精神を反映したものともみることができ、『ヨハネ受難曲』はバロック芸術の最高峰としての位置づけが与えられるべき作品でもあるだろう。
 Soli Deo Gloria(ただ神にのみ栄光を帰す)

宮崎文彦


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