曲目解説


J.S.バッハとA.ドヴォルジャークの宗教音楽

 バッハが活躍した時代の音楽作品はそのほとんどが何らかの用途が在って作曲された「実用音楽」であった。宗教的作品もそうであり、ほとんどの作品がキリスト教会の何らかの儀式に関わったものであった。(そうでない作品も少数ではあるが存在した。例えばヘンデルの「メサイア」とか)
 今日演奏されるミサ曲、モテットもキリスト教会での宗教的儀式のために作曲されたのである。唯、カンタータが教会暦に深く関わっており、祝祭主日つまり日曜日の礼拝での「音楽的説教」の要素を持った作品だった、と用途がはっきりしているのに比べ、小ミサ曲(キリエとグロリア)、モテットには諸説がある。
 まずはミサ曲についての概論を述べると「祝日、祭日の為の礼拝で演奏された特別な音楽」と位置づけられている。と言うのも、ギリシャ語でのキリエ、ラテン語でのグロリアはバッハ時代、ローマカトリックでは日常演奏されたが、バッハが勤めていたルター派の教会では自国語、つまりドイツ語で歌われるのが原則だったからだ。あえて書き記すとバッハの小ミサ曲に関しては諸説入り混じり、未だにはっきりしないのが現状、と言い切っても良いであろう。
 今日演奏される「ミサ曲ヘ長調」は1738年頃トーマス教会での祝日礼拝(復活節、降誕節、及び聖霊降臨祭)のためにワイマール時代に書かれた作品を元に創作し直された曲である。他の小ミサ曲と同様1曲にまとまったキリエ、5曲からなるグロリアの6楽章からなる作品。バッハの比較的初期の作品を円熟期に見直し手を加えた珠玉の曲である。
 モテットは元々「詩篇歌」の意味を持つ初期キリスト教時代から存在した典礼音楽の一つのジャンルだ。唯その時代時代、国々で様々な意味で使われた音楽形式である。例えば18世紀前半ドイツでは宗教的合唱曲を指したし、後半のオーストリア地方では伴奏つきの独唱曲を示す場合も在った。今日演奏される2曲のモテットは日曜礼拝のための作品ではなく、葬儀のために書かれたもの。「御霊は我らの弱きを助けたもう」は1729年10月20日トーマス教会で執り行われたバッハの上司だったトーマス学校学長エルネスティの葬儀で演奏された。テキストは当日の説教のテーマ新約聖書「ローマ人への手紙」とルターのコラール「来たれ聖霊主なる神よ」。
 「イエスよ来たりたまえ」は歌詞からして追悼、葬儀の音楽である事ははっきりしているが原典資料が失われている為、年代用途とも推測の域を出ない。筆跡研究の結果1731年から32年頃に書かれたと言われている。「イエスよ、イエスよ」と死の苦しみの淵から救い主を呼ぶ歌詞は1684年に書かれたテューミヒの作。二重合唱のこの曲は小品ながら「マタイ受難曲」にも劣らないバッハの宗教精神を如実に現している重要な作品である。
 後半に演奏されるのは、後期ロマン派を代表するA.ドヴォルジャークのオルガン伴奏の作品「ミサ曲 ニ長調 作品86」。この作品はドヴォルジャーク46歳のときのもの。5年後にオーケストラバージョンに書き換えられた経緯を持つ珍しい作品であり、且つ「レクイエム」「スタバートマーテル」と並び彼の重要な宗教音楽の一つである。
 この曲は友人のヨセフ・フラウガー(チェコ科学芸術アカデミーの創設者)の依頼で書かれ1887年3月26日から4月14日までの19日間で完成させたとのこと。初演は同年9月11日、フラウガー家の敷地内に新設された礼拝堂の献堂式でドヴォルジャーク自らタクトを取り、本日演奏されるようにオルガンの伴奏のみで歌われた。声楽はソリスト、合唱共に四声部からなりローマカトリック教会のミサ通常文に則り、キリエ、グロリア、クレド、サンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュス ディの6楽章形式。古典派以降の教会音楽の中でも特になじみやすい珠玉の作品である。

バッハ アルヒーフ ライプツィヒ 広報室 高野昭夫


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