合唱団たちばな



1978年4月に都立国立高校音楽部のOB,OGを母体として発足したアマチュア混声合唱団である。翌1979年、名称を「合唱団たちばな」とし、指揮者に岡本氏を迎え、本格的な活動を開始。同年11月に第1回演奏会を開催した。以来、12回の演奏会を開催。但し、最近は隔年の演奏会実施となっている。 邦人現代曲が中心であるが、古典から現代音楽、ポピュラーまでレパートリーは幅広い。団員は初期は大学生が中心であったが、最近は30代のメンバーが多い。


たちばなのメンバーって?
合唱団たちばなには、お父さんもお母さんもいます。社会人も主婦もいます。恋に燃える女性も傷心の若者もいます。もちろんアツアツのカップルもいます。犬型人間も、猫型人間も、猫になりたい犬型人間も、果てはイグアナまで居ます。世話好きな人も、世話焼かせっぱなしの人もいます。都心に住んでる人も、多摩から離れられない人も、神戸に行っちゃった人も、大分に行っちゃった人もいます。練習に毎回来る人も、年に数回しか来られない人もいます。でも、みんな「合唱団たちばな」の仲間です。 歌が好きで、(お酒が好きで、)仲間が好きな「合唱団たちばな」の団員です。


各パートの昔(1979年)と今(1997年)
パ|ト昔(1979年)今(1997年)
ソプラノ 「さわやかに走るソプラノ、妖しく淀むソプラノ、陰陽多彩な表現力がその特徴です」といえる日まで、茨の道が続きます。この典雅にゆれる乙女たち。全身に涙ぐましい努力を払って五線の外に消える音の階段を、かけ昇り、かけ昇り、かけ昇り♪音の高みを這い、いえ、舞い踊ります。 茨の道は今も続いています。メンバーに入れ替りはありましたが、挑んでいるのは永遠の命題なのでしょうか。お喋りでなら胸を張って「陰陽多彩な表現力がその特徴です」といえるのですが…。
アルト 私たちアルトは、華々しいソプラノを下から支え、吼えるテナーをなだめ、唸るベースを押さえ、地の底から湧き上がるような包容力のある声を出そうと、常に地味な活動を続けております。いつかソプラノに上がれるのではないか、というはかない夢は捨て、そのうちテナーあたりからお声がかかるのではないか、とひそかに思いつつ、練習に励んでおります。 いつかソプラノに上がれるのではないか、えぃっ上がってしまえ!とアルトを去った人がいます。そして今や本当にテナーを歌う人がいます。そんなこんなで人数は合唱団で最少になってしまいました。練習の出席率は高いので、練習の時には優位に立っていますが、本番になっても人は増えず、主旋律のソプラノの裏に廻り、人数に優るベースの陰になり、圧倒的パワーのテナーに追いやられ…。聞こえてるかしら?
テナ| 泣き笑いして我がテナー、Gじゃ!Aじゃ!と歌うなり。Aじゃ!Bじゃ!と歌うなり。我が合唱団で、最も少人数、個性派のパートであるテナーは、あの陽気さと変態性に身を隠し、出ない高音もでてくるばってんと、身をやつして焦がれている者たちである。身すぎ世すぎの是非もなくおどけたれども我がテナー、うたの心は身にしみて真実なみだを流すなり。 あれからはや幾年、体型も変わり、髪形も変わり、いまでは髭のお父さんもいます。でも、目立ちたがりの性格と大きな声だけは変わらない(変えられない?)ようです。相も変わらず、出ない高音に苦しんでおります。五線から外にはみ出した音を歌う時の表情の豊かさは一見の価値あり?
ベ|ス ベースは目立ちこそしませんが、他の3パートの音をしっかり支えるいわば合唱の土台ともいうべき重要なパートです。然るに、我がベースはバリトンばかりでベースの本分である低い音が決まらず、また個性の強い人ばかりで、たまに高い音のfがあると、こことばかり欲求不満を解消し、自己顕示欲を満足させています。しかし、我がベースは歌にかける情熱だけは誰にも負けないと自負し、日夜努力に励んでまいりました。そんなベースの心意気だけでも感じて頂ければ幸いです。 永年ベースをやっていると伴奏の左手はいつもお友達でした。だから、自分たちの出す音と伴奏とが2度の音程でぶつかるなどということは身体が許さないのです。たとえ、楽譜にそう書いてあったとしても…。永年ベースに在籍していても、身に付かないものもあるようです。我がベースは今でもバリトンばかりで、高い音では妙に張り切り、低音では欲求不満をつのらせています。本物のドンベースが欲しい…



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