合唱団たちばな

NS−4 
第8回 演奏会


曲目解説


イギリスの近現代合唱曲について

 数年前、私はわが国におけるイギリス合唱音楽の普及について調査をしたことがあります。その資料として用いたのは、主に1948年に始まった第1回全日本合唱コンクールから1999年の第51回全日本コンクールにいたる約50年間にわたって登場したイギリス合唱曲をはじめ、1972年から99年にいたる東京都合唱コンクール、1971年から84年の14年間にわたる「知られざる名曲演奏会」に登場した作品、それに幾つかの合唱団に問い合せたアンケートによる回答などでした。初期に歌われたのはもっぱらヘンデルが多かったようですが、コンクールの選択曲としてバードの3声のミサが登場する1973年頃からイギリス作品が増え始めます。といっても、バード、タリスを中心とするルネサンスの作品や、ブリテンの作品が1〜2曲登場する程度で、たまに、エルガー、ヴォーン=ウィリアムズ、ディーリアス、ウォルトン、バークリー、ハウエルズなどの作品も登場しています。近年はラッターの作品も目につきます。いずれにしても、ルネサンスの作品はともかく、イギリス近現代合唱作品の豊富なレパートリーの殆どはわが国に紹介されていない、ということを確認した次第です。その理由については色々考えられますが、やはり、明治以来のわが国音楽教育の主流が、19世紀ドイツ音楽を中心として行われたこと、1960年代以前にイギリスとの音楽上の交流が少なかったこと、さらに英語で歌うことへの抵抗があったこと(音楽大学では教えない)、などが挙げられます。
 かつてイギリスで音楽の勉強をし、また合唱の上でこれまでイギリスと何らかの深いつながりをもってきた者として、今回のNS−4の指揮者の方々から演奏会の監修を依頼されたことは大きな喜びであると同時に重い責任も感じました。できるだけイギリス近現代合唱作品の流れが明確に映し出されるようなレパートリーをと考えました。本日の演奏会を契機に、イギリス合唱曲への理解がさらに深まることを期待したいと思います。
 “音楽のない国”−19世紀のドイツ人はイギリスのことをこう呼んだといいます。確かに19世紀はドイツ音楽全盛の世紀でした。ベートーヴェン、ブラームス、ヴァグナーなど幾多の巨星がひしめき、壮観でさえあります。一方この時代のイギリスには彼らに匹敵する作曲家は見えません。しかし、歴史を振り返ると、この国が“音楽のない国”でなかったことも明白です。古くはダンスダブルらの活躍した15世紀イギリス様式が、デュファイなど大陸の作曲家に大きな影響を与え、ルネサンス音楽を準備したこと。また、16世紀後半のエリザベス朝にタリス、バード、ダウランド、モーリーらの活躍で黄金時代が築かれたこと。当時のドイツは音楽後進国だったと言えます。そして、17世紀後半のパーセルの出現でイギリス音楽の発展が予感されたものの、夭逝したこの天才のあとを継ぐ作曲家は現れず、代わりに登場したのがドイツ生まれのヘンデルでした。オペラでは失敗した彼も、オラトリオでは合唱を愛するイギリス国民に絶大な人気を博しました。一方、18世紀後半には外国人音楽家の訪英が相次ぎ、ハイドンやモーツァルトもロンドンを訪れています。18世紀後半から始まった産業革命は、19世紀にかけてこの国にかつてない繁栄をもたらし、音楽の世界でも楽譜出版やピアノ製造などの商業音楽業界が隆盛を極め、グリー・クラブなどアマチュア合唱サークルが続々誕生しました。19世紀中頃ロンドンを訪れたベルリオーズは“ロンドンほど音楽の盛んな都市は他にない”と言っています。このように、19世紀イギリスは一般市民の音楽受容や活動では他国の追従を許さぬものがあり、音楽市場としても外国人音楽家を惹き付けていたのです。とは言え、偉大な作曲家は現れませんでした。しかしこれも、19世紀末から変化を見せはじめ、エルガー、スタンフォードなどすぐれた作曲家が登場する一方、1883年には王立音楽院が設立されて、本格的音楽教育が始まります。そして、ここで教育を受けた若い作曲家、ヴォーン=ウィリアムズ、ホルスト、ハウエルズ、ウォルトンらが20世紀の幕開けと共に登場して“イギリス音楽のルネサンス”が始まるのです。これに続く20世紀後半のブリテンの活躍は、戦後の国家的芸術振興政策と相まって、イギリス音楽が国際的脚光を浴びる糸口となりました。本日の演奏会は、こうした近現代のイギリス合唱音楽に光を当てて、高い水準を維持しているイギリス合唱界の魅力の一端に迫ろうというものです。

Five English Carols  Paul Trepte 編曲

 キャロル集<わたしの踊りの日>は、《エンマウスのためのキャロル》を除いて全て伝統的キャロルの現代風編曲です。《羊飼いがその羊を夜見守る間》の歌詞は昔から色々な旋律にのせて歌われました。《先夜わたしは見た》《コヴェントリー・キャロル》は16世紀の資料として残っている有名なキャロルで、マリアの子守歌です。《わたしの踊りの日》は19世紀の資料によるものですが、古くは、降誕劇の最後に踊って歌われたのではないかと考えられています。編曲者のポール・トレプトについては、詳細は不明です。

(有村 祐輔)


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