懐古癖
2015/04/28/(Tue)
* 嫌なもの
かおりさんだったか、かおるさんだったか一瞬考えこんでしまう。そんな僕が、偉そうにお説教するのはまったくの噴飯モノだ。つまり、こんな処でブツブツつぶやいていても何も変わらないことを知っているからこそ無責任に書けるのだろう。僕はいつだってサイテーな人間だから。
正直誰かに伝えたいものがある訳ではない。自分自身の気持ちを確かめるために書いている。

彼を責めるつもりはない、男と女というか人間同士の関係には余人の知ることのできぬものがある、という認識はもっているつもりだから。
ただ、生きることとは………本当につまらないことなのだと思う。つまらぬものに一喜一憂し、つまらぬものに執着する。なにか、正視に耐えないものを見てしまったような憂鬱な気分で文章を読む。そうまでして望む「人生の成功」のリアリティのなさと空虚な言葉の羅列。あぁめんどくせーなぁ………要はそれが感想なのだ。生きることとは本当に面倒な仕儀だと、こんなことを思う僕にも家族がいる。そんな家族には申し訳ない。彼女たちのせいではないのに。僕自身が全ての元凶なのだ。彼女たちには幸せになってほしいと願いながら、そんなものは永遠に続く訳がないと密かに囁く内なる声こそが、僕の本質なのだ。

きっと結論はない。結論が見いだせれば、人生は斯くの如く欺瞞的である訳がないのだから。

2013/01/02/(Wed)
* 来客
ドアを開けると、部屋の向こうで母がチョコンとこたつの前に座っていた。あれ、どうしたの?と僕が尋ねると、

「お正月だから。」

そう答える母に、子供達は正月早々に仕事があって昨日帰ったよと告げると、

「なんでもう少し引き留めておかないの、お年玉用意したのに。」

もうお年玉をあげるような年じゃないし、それよりこっちには一人で来たの?と返事しながら、この時点で僕はもう気付きはじめていた。

「今日はお正月らしい良いお天気でポカポカ陽気になりそう。」

「あとで散歩にでもいこうかね。」

「去年の紅白は見た?」

あまりに空虚な母との会話に耐えきれず、僕の意識は徐々に醒めてくる。そう、こんな会話を母と交わす筈も記憶もなかったのだ。
夢のなかで、これは夢なのだなと、なんとなく気づく時、僕の意識は多重露光の写真のように二つに重なって、夢の中の僕とそれを少し高みから見物する僕に別れていく。ひどくリアルに思えていた会話の端々に妙な違和感を感じたり、場違いな多幸感故にふと我に返ると、夢と現実の境目の濃度が少しずつ反転していくのだ。もう少し夢の側に居たいなと思っても、これは夢だとささやく声がつまりは自分自身の声であることを知ると目覚めはもうすぐ近くだったりする。

窓の外には正月の少し空虚な青空と明るい光が溢れている。

もう母とは二十数年会っていない。



2009/11/16/(Mon)
* 20年前
 積極的に子供を望む気持ちは、当時の僕にはあまりなかった。周りからは「子供はまだなの?」と聞かれることも多く、その度に「えぇ、そのうちにね。」と答えてはみたものの、だからどうするという、具体性には欠けていた。僕自身が親との関係をうまく結べずにいたことでためらう気持ちがあったのかもしれないが、だからといって絶対に子供は要らないと言えるほどには突き詰めて考えているわけでもなかった。要するに成り行きまかせで真剣には考えていなかったというのが正直なところだったような気がする。
 ただし女性の立場として彼女の考えはやはりもっと切実で、結婚して十年も過ぎると一度ちゃんと診察してもらいたと言うので、立川にある比較的大きな病院の不妊外来に通うことになった。
 診察の結果は「卵管癒着」、つまり子宮に繋がる卵管に癒着があってふさがっているのでこのままでは自然な妊娠は難しいということだった。その後の検査と治療は男の僕には実感はできないのだが、話を聞くだけでも屈辱的だったり大変な苦痛があったりで、かなり大変なものだった。最終的には卵管の入り口をメスで開くために開腹手術も受けたのだが、結局は望む結果は得られず、その病院からもなんとなく疎遠になりかかっていたある日、「ひょっとしたら?」と彼女が言うのだが、あれだけ苦労して病院通いをしていても駄目だったものが自然に妊娠するとは・・・二人とも半信半疑で顔を見合わせたが、とりあえず近所の小さな産院で確かめてみることにした。そこは本当に小さな産院でなんの設備もなく、とりあえず妊娠検査薬で確かめるとオメデタに間違いないと言われたと彼女は笑顔で戻ってきて、あまり実感のないまま、僕たちは素直に喜んだ。
 翌日、もう少しちゃんとした病院で診察してもらうと、彼女は少し離れた産科専門病院に出かけた。僕は仕事があったのでそのまま自宅に残った。あの時なぜ担当医のいる立川の病院に行かなかったのか。

 病院から電話があったのは午後になってからだった。すぐに来てほしい、命の危険もあるからと言われ、あわてて向かった病院で応対に出た医師から、彼女は子宮外妊娠で緊急の手術が必要だと言われた。なにも返事のできないまま、とりあえず会いますか?と案内された部屋の手術台の上に彼女はひとりでいた。全裸だった。なぜこんな寒々しい部屋で彼女はひとり裸でいるのか?緊急手術の前なのだと思いつつ、僕はひどく理不尽な気がしてしばらく言葉をかけられずにいた。握った手は凍えた金属でできているかのように冷たかった。
 そこでなにを話したのかよく覚えていない。ただ彼女がひどく投げやりな口調だったこと、瞳の奥に痛み以外の揺らめく感情があった事だけが鮮明に思いだされる。

 手術室からはすぐに追い出され、待合室で僕はなにも考えることができずにただ呆然としていた。
 それからどれぐらい待ったのか、ふと見るとドアを開けて出てきた医師がステンレス製の小さな盆のうえにのったなにやら赤黒い血の塊のようなものを僕に差し出した。命と呼ぶには「それ」はあまりにも小さくて儚い存在に思えて、僕はただ呆然としていた。
 ご主人も手伝ってくださいと呼ばれ、何事かと振りかえると担架に載せた彼女をエレベータもないのでそのまま階段で2階まで運ぶのだと言う。そして運ばれたのは病室ではなく、片側に三畳ほどの畳が引かれた、たぶん看護士たちの休憩室らしき部屋で、壁のもう一方には大きなはめ殺しのガラスになっていてとなりの部屋がよく見えた。そこは新生児室で小さなベッドに何人かの新生児が寝かされていて、そういえば赤ん坊の元気な泣き声が先ほどから聞こえていた。
 畳の上に寝かされた彼女はまだ麻酔が覚めず、ぼんやりとして僕を見返す眼も虚ろだった。やがて少し焦点のあってきた彼女が僕に気づき「ごめんね。」と小さな声でつぶやいた。その時、僕は手術室で彼女を見たときと同様、例えようもないほどの理不尽さを感じた。なぜ彼女が僕に謝らなければいけないのか、なぜこんな部屋で僕は彼女と二人いるのか、なぜガラスの向こうでは赤ん坊が泣いているのか、なぜ僕は赤黒い血の塊を黙って眺めていたのか、なぜ、なぜ、なぜ・・・

 僕はこの理不尽さを誰かに伝えたいと思った。痛切に。本当は彼女の母親に伝えたかったが、もうすでに母親は亡くなっていた。嬉しくて昨夜のうちに沖縄に住む彼女の一番上の姉に妊娠を知らせたばかりだったことを不意に思い出した僕は沖縄に電話した。しかし、電話に出た長姉に僕は彼女の子宮外妊娠だけを伝えると、それ以上の言葉が思いつかなかった。昨夜あれだけ「よかったね。」と喜んでくれた人に僕はなにを伝えようと言うのか、言葉を失ったまま、子供のとき以来、初めて僕は人前で泣いていた。泣き虫だった子供の頃のように、電話口で僕は馬鹿みたいに泣きじゃくっていた。

 「神」や「運命」など昔から信じたことはなかったが、あの日僕はなにか・・・「悪意あるモノ」がこの世には確かに存在するような気がした。そして、そんな存在にきりきり舞いすることが僕にはどうにも耐え難いことに思えたのだ。もっと積極的に立ち向かうべきなのだと。強く望むことで「悪意あるモノ」の存在を打ち負かすことができるのだと、僕はそう信じた。
 そして、強く望んだ結果、君たちが生まれてきた。生まれてくることを望まぬ母や喜ばぬ母が現実に存在するこの時代にあって、君たちの母親ほど君たちが生まれてくることを望み、そして喜んだ母親はいないかも知れない。そして君たちが生まれてくることを喜んだのは僕も同様だ。
 人生に生きる目的などない、とシニカルにつぶやいてみても、君たちが生まれてきたことで僕の目的はつまりは達成されたのだと、そんなありきたりな結論にたどり着くことが、所詮は人生の真実なのかもしれない。

 何はともあれ、20年前の今日、君たちはこの世に生を受けた。

2009/03/13/(Fri)
* 海辺の生と死
例によって「しまおまほ」という漫画家の存在についてはなにも知らなかったのだが、ひょんなことでその彼女があの島尾敏雄の孫娘、ということは島尾ミホの孫娘でもあることを知り、そうか・・・夫婦であれば子供をもうけ孫を抱くことだってあるんだと、至極当たり前の事に今更のように納得した。小説の中の時間とは別に、膨大な日常がそこにはあるのだから。
それよりもあのミホがおととしまで生きていたという事に驚いたのは、やはり「死の棘」という小説の内容、というか題名そのものにある種の悲劇を予感していたせいなのかもしれない。考えてみればシャーマンというのは特別な存在であり、長命であって当然なのだろう。

87歳・・・脳溢血で倒れていた一人暮らしのミホを発見したのは、たまたま彼女の許を訪ねた孫娘のしまおまほだったのだが、その時、ミホがまるでお姫様のように床に横たわっていたという言葉から、僕にはありありとその場の光景が浮かんだ。
普段はひっつめている髪がその時ははらりと床に広がり、少し伸ばした腕を枕にして、よこざまに眠るように倒れているミホ・・・やはりどこまでも神話的な景色に思えて、僕はすこし震撼する。と同時に、ミホの人生の「孤独の美しさ」のようなものに、僕はすこし羨望する。

海辺の生と死をもう一度読み返したいなと思ってAmazonで検索してみると、中公文庫は当然のように絶版で、古本には結構な値がついていた。明日は久しぶりにBookoffにでも行ってみようと思う。

2009/03/11/(Wed)
* 兆し
滅びの兆しというようなものは、実は以前から感じてはいました。
あの阪神淡路大震災の映像の数々・・・人を殺すことで己を消し去りたいとでも言いたげな若者たちの衝動・・・年間3万人が自殺する社会・・・建前と本音の前で右往左往する大人たち・・・子供を殺す母親・・・母の死体を放置する子・・・

まぁ、数え上げればきりがない訳です。

ただし、その滅びのイメージはなにも第三次世界大戦で人類滅亡とか、隕石大激突などといったおどろおどろしいものではなく、いつか気がつかないうちにある程度の時間をかけて、人類という種は絶滅していくような気がします。
金魚鉢と金魚・・・地球という閉鎖された空間で限られた資源を消費していくかぎり、結末は自明のことであり、それを止められると考えるのは、あまりにも浅はかで不遜な事だというのが僕の実感です。

人間などという生き物は過去において、ただただ食べることに汲々とし、やっとの思いで生きてきたのが本質であり、先進国が自由と浪費を満喫してきたなど、たかだか100年にも満たない時間の中でのほんの一瞬の出来事でしかないのだから。

僕のことでいえば、幼い頃、何もかもが貧しかった時代。その中でもとりわけ貧しかった我が家の、あの頃の生活に戻れといわれれば・・・最初はその不自由さ貧しさに戸惑い不満を漏らすのだろうが、やがてはそれに慣れるのだと思う。
テレビもないので夕食時はラジオから流れる連続ドラマを聴く。で、その食卓はといえば、木製のみかん箱に高島屋の包装紙を張っただけ。母は共同の流しで米を洗い、味噌汁をつくる。僕は月に一度の縁日に立つ古本市を物色するのが楽しみで、父親がどこからか自転車の荷台に乗せて持って帰ってきた小さな本棚に江戸川乱歩の少年探偵団シリーズを並べる。勿論シリーズ番号はバラバラ。
家族の娯楽の中心といえば、その頃は本当にあちこちにあった映画館で3本立ての安い映画を見る。洋画はここ、東映の時代劇はあそこ、大映ならばこちらでと、行きつけの映画館は決まっていて、話題の映画ならばちょっと遠くの封切館まででかけたりと、本当に良く通ったものだった。

書いていて、なんだかそんな生活も案外楽しいような気がしてきた。食べて、寝て、子供を育てて、泣いて、笑って、怒って、そして死んでいく。ただそれだけの生活ならば人間という奴は案外としぶとい生き物なのかも知れません。

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